若き巨匠ラファエロ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/17 17:45 UTC 版)
「アンシデイの聖母」の記事における「若き巨匠ラファエロ」の解説
「フィレンツェ時代」のラファエロは、さまざまな芸術家からの影響を過剰なまでに受けていた。自身の師ペルジーノをはじめ、ドナテッロの大理石彫刻作品、マサッチオのフレスコ画、ミケランジェロの『ダヴィデ像』、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画など、当時のラファエロが自身の作風を洗練させるために多くの芸術家の長所を取り入れようとしたことが、『アンシデイの聖母』の構成、仕上がりに見てとることができる。 ラファエロは『アンシデイの聖母』において、詳細部分にわたる精緻な表現で優れた作品を描きあげた。当時23歳という若さだったラファエロは、入念かつ秩序だった技法を導入することで新たな絵画表現手法を得た。主題を明確にするために何を描くべきかは重要な要素で「優れた画家かどうかは、何を描かなかったによって決まる」ともいわれる。『アンシデイの聖母』の背景は、余計なものが一切描かれていない清明で平穏な表現となっている。宝飾飾りが散りばめられた衣服や紅珊瑚の飾り紐などに用いられている彩色も明快で、効果的な顔料が使用されている。 1508年、25歳のときにローマへとわたったラファエロは、『大公の聖母』(1505年、ピッティ宮殿パラティーナ美術館所蔵 (en:Madonna del Granduca))や『ヒワの聖母』(1505年 - 1506年、ウフィツィ美術館所蔵 (en:Madonna del cardellino))そしてこの『アンシデイの聖母』などの作品で知られた、非常に高く評価される著名な芸術家となっていた。
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