若きリーダーとして
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/18 04:24 UTC 版)
「ウード (アキテーヌ公)」の記事における「若きリーダーとして」の解説
711年、ウードはパンプローナの西ゴート王ロデリックと戦ったとされる。715年、ガリアで起こった内乱の間にウードは独立を宣言したが、王とは名乗らなかったとみられている。 718年、ネウストリア王キルペリク2世と宮宰ラガンフリド(Ragenfrid)との同盟のため、ウードはバスク軍を招集したようである。このとき、ラガンフリド側がウードをアキテーヌの支配者と認めることを提案した可能性がある。ウードらはアウストラシア宮宰カール・マルテルと戦ったが、同年のソワソンにおけるキルペリクの敗北の後、ネウストリア王位と宝物を引き渡し、カールと和睦した。
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