フィレンツェ陥落
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 17:24 UTC 版)
「コニャック同盟戦争」の記事における「フィレンツェ陥落」の解説
詳細は「フィレンツェ包囲戦 (1529年-1530年)」を参照 フィレンツェ共和国だけはオラニエ公フィリベール・ド・シャロン(英語版)率いる皇帝軍に抵抗し続けた。1530年、フランチェスコ・フェルッチョ(英語版)が指揮したフィレンツェ軍と皇帝軍がガヴィナーナの戦い(英語版)で決戦し、オラニエ公を戦死させたが、戦い自体は皇帝軍が決定的な勝利をつかめ、その10日後に共和国が投降した。フィレンツェが鎮圧されたことで、アレッサンドロ・デ・メディチがフィレンツェ公となった。
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