フィレンツェ市長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 05:46 UTC 版)
「マッテオ・レンツィ」の記事における「フィレンツェ市長」の解説
2009年、フィレンツェ市長選にイタリア民主党から出馬、中道右派連合が擁立したジョバンニ・ガッリを抑えて当選した。 市長に就任すると次々と改革を行った。市会議員の定員を半減させ、自治体関係の公用車を減らして歳出を削減した。一方で、公立学校の新設・改修に5100万ユーロ、社会福祉関連事業に2500万ユーロを投じ、幼稚園の待機児童を90%減らした。また、観光業を推進するために、市の歴史地区への一般車両乗入を禁止し、公衆無線LANスポットも500カ所設置した。これによって、年間800万人の観光客を呼び込み、新規雇用の創出にも力を入れた。直接的に市歳入を増やすため、歴史的な施設・広場を企業イベントや結婚式のために有料で貸し出したが、これは周辺住民からの反発もあり議論を巻き起こした。
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