ヒール転向
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2005年1月、マッチメイクに異を唱え、新日本離脱を示唆する発言をする。3月、フロントとの確執の末ヒール転向を宣言。BNJに合流せず、1人で戦うことを選択した。その後、中西学、ケンドー・カシン、藤田和之らとレスリング軍団「チーム・ジャパン」を結成。4月26日、前田日明がヒョードル戦の内容に苦言を呈したのに対し「ニールセン戦が悪いんじゃないが、ヒョードル戦とはジャンルが違うだろ。胸に手を当てて考えろ。」と発言。 2005年10月、長州力が現場監督として新日本に復帰した際、蝶野を中心とした反長州派が不満をぶつけるなか、中立を宣言する。長州に好意的な選手が少な過ぎるため、棚橋と共に長州とタッグを組まされ、半ばうやむやな形で中西とともに本隊に戻っている。12月11日、当時IWGPヘビー王者のブロック・レスナーと対戦し、敗北した。
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ヒール転向
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2008年4月27日、飯塚は天山との同タッグで真壁刀義、矢野通組が保持するIWGPタッグ王座に挑戦した。ところが、試合終盤で飯塚は突如天山をスリーパーホールドで締め上げ、真壁・矢野の王者組をアシストした。飯塚は試合後もリング上でG・B・H勢とともに天山を痛めつけ、自らヒール転向を宣言しG・B・H入りを果たす。5月2日の天山戦では頭をスキンヘッドにし、現在の容姿と化した。また、この頃から飯塚の代名詞とも言われる「アイアン・フィンガー・フロム・ヘル」を使用し、当初は全く喋らないギミックでその不気味さを際立たせていた。稀に喋る機会もあったが、いつしか会話もままならず入場時には観客席を破壊する狂乱ぶりを発揮している。 後のインタビューで飯塚は、「善良だったころの飯塚高史の魂は等々力渓谷のほこらに封印したんだよ!」と語っている。 7月8日に天山とランバージャック・デスマッチで対戦を行い、天山のアナコンダバイスで敗北を喫するも飯塚はその後のシリーズでも幾度となく天山を襲撃した。10月13日両国大会で天山と今度はチェーン・デスマッチで激突、最後はチェーンで天山の首を締め上げレフェリーストップ勝ちを収めた。 2009年、3月に開催されたNEW JAPAN CUPで遺恨が芽生えた青義軍の永田に標的を変更、4月5日にチェーン・デスマッチを敢行してレフェリーストップで永田から勝利を収めた。また、23日よりG・B・Hから離脱し新ユニットである「CHAOS」の一員となった。 5月3日、レスリングどんたくでドッグカラー・チェーン・デスマッチ(首輪で繋がれたチェーン・デスマッチ)ルールで再び永田と対戦、ロープに絡まり身動きが取れなくなった所で顔面蹴りを喰らい失神、まさかのK.O.負けを喫した。その後は網膜剥離から復帰を果たした天山を再度付け狙い、7月20日にチェーン・デスマッチで天山と対戦するも返り討ちに遭った。8月にはG1 CLIMAXに出場するも反則負けを繰り返し、G1史上反則決着が最も多かった年の立役者の一人となってしまった。 9月シリーズでは真壁にピンフォール勝ちを3度も取られるという屈辱を味わい、9月27日のメインイベント終了後に真壁を襲撃し両者に因縁が芽生えた。さらに11月1日の全試合終了後、飯塚は菅林直樹社長の接待という事で車に乗り込んだ真壁に対して持参したバットでテロを引き起こした 。11月8日にチェーン・デスマッチとして試合が組まれK.O.負けとなったがその後も真壁との襲撃を繰り返し、12月5日に真壁と再度チェーン・デスマッチで激突するも今度はレフェリーストップを食らってしまい、デスマッチ4連敗を喫した。 2010年8月、入場中に観客席の中を暴れ回り、実況席にいたテレビ朝日のアナウンサーである野上慎平を襲撃した(詳細については、「テレビ朝日・野上慎平との抗争」を参照されたい)。これをきっかけに、以降も実況が野上の担当の場合は襲撃を敢行している。 2011年8月27日、東日本大震災復興支援チャリティープロレスALL TOGETHERのセミファイナルに出場し矢野と組み武藤敬司、小橋建太組と対戦。小橋のムーンサルトプレスでピンフォール負けを喫するが、後に開催されたプロレス大賞で同試合が2011年度年間最優秀試合賞を受賞した。 2012年3月、矢野と共にテンコジ(天山広吉、小島聡組)を襲撃し、同タッグチームが保持していたIWGPタッグ王座を強奪した。5月3日、福岡大会で同王座を賭けたタイトルマッチで対戦した。試合終盤で天山が持参していた手錠を逆に利用し鉄柵に固定させ、孤立した小島を矢野がピンフォール勝ちを収めて第59代王者に就いた。しかし、目に余る暴挙が後を絶たなかった為か王座を剥奪されてしまった。7月22日、KIZUNA ROAD最終戦にてタッグ王者決定戦としてテンコジと対戦したが、小島のラリアットで敗戦した。 2014年5月25日、横浜アリーナ大会でタッグパートナーである矢野にイス攻撃、アイアンフィンガーを食らわせCHAOSから離脱、対戦相手でもある鈴木が率いる「鈴木軍」に電撃加入を果たした。
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