野上慎平との抗争とは? わかりやすく解説

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野上慎平との抗争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 06:08 UTC 版)

飯塚高史」の記事における「野上慎平との抗争」の解説

事の発端は、2010年8月8日G1クライマックスのスペシャルタッグマッチにて実況席にいた前述野上襲撃したことから始まった。なお2010年度のG1終了後飯塚襲撃続きその度野上半裸ネクタイ残っているという姿が一部お約束事になってしまっている。2011年1月以降では野上青義軍メンバーから貰った青いTシャツ着て実況を行うようになるもその態度気に入らないのか、飯塚はそのTシャツまでも破りかかっている。 2011年入ってからは、タッグパートナーである飯塚同じくCHAOS所属ヒール矢野野上を捕え飯塚に服を破かれている最中水を掛けるなどして便乗するようになったまた、野上飯塚襲撃されているのを救出しようと、青義軍井上亘飯塚との遺恨絶えていない天山挙句の果てには解説席の山崎一夫介入するなどより一層激しさ増している。9月19日神戸大会では、山崎背中越し会場椅子投げつけて山崎頭部が切れる(出血するケガを負わせていた。 この一連の飯塚行動見た解説金澤克彦が、飯塚にとって野上自身の「J・J・JACKS時代パートナー野上彰亡霊見えているからなのではないかという推測立てており、大阪尼崎大会で飯塚実況席に向かうも実況者が野上ではなく同局アナウンサー大西洋平だと気づくや否やすぐさまリング向かったため、大西は「飯塚見境なく実況アナ狙っているんでなく野上慎平アナ狙っているんだ」と実況していた。 だが、2011年11月12日大阪大会では実況野上ではなく先輩である実況担当同局アナウンサーである吉野真治であるにもかかわらず飯塚吉野野上勘違いして実況席から引きずり落としている。その後改め野上でないことに気づく吉野に対してそれ以上攻撃加え事無くリングへと向かった。この時、飯塚被害にあった吉野服装乱される程度済んでいる。 一連の飯塚行動について、野上と同じ席で解説行っている東京スポーツ記者柴田惣一蝶野正洋対談した際に「飯塚野上アナ襲撃」について質問したところ、蝶野自身新日本所属時代辻よしなり当時テレビ朝日アナウンサー)を襲撃した過去を基に分析し、「飯塚にとって野上君の実況はただの雑音にしか聞こえておらず、しかもその実況に不満を持っているからだと思う」と述べたプロレス大賞2011年度年間最優秀試合賞を武藤小橋矢野と共に受賞した2012年1月12日行われた授賞式最中司会進行行っていた野上襲撃した。 しかし、飯塚野上への襲撃実況席での襲撃以前にも2008年ごろから控え室でも行われていたことが後に判明した2012年になってからは更に野上への攻撃が更にエスカレートし試合後に野上引きずりまわした挙句選手控え室シャワールームまで連れて行きずぶ濡れにさせたこともあった。 だが、一方野上やられてばかりではなく飯塚対戦した選手後押しされる形で反撃転じた事もあった。最初野上反撃2012年7月1日新日本全日本プロレス40周年記念合同興行武藤小島天山組対飯塚矢野石井智宏組の試合後、武藤ら3人に押され飯塚串刺しラリアット食らわせた二度目野上反撃2013年1月4日東京ドーム大会の曙・ストロングマンMVP中西学組対飯塚矢野高橋裕二郎ボブ・サップ組の試合後、ストロングマンホールドされた飯塚ラリアット食らわせている。 11月9日大阪大会では毎度のように上半身服をボロボロにし、後ろ手手錠かけられ青と白スプレーで顔をドラえもんの状態にしてしまった(解説席にいた柴田記者野上の姿を「ノガえもん」と揶揄していたという。)。以降、ビッグマッチの度に野上スプレー様々なしっかりととなっている)ボディペインティングを行うようになり、飯塚残っていたかすかなユーモア垣間見せるようになった。 なお2014年5月25日横浜アリーナ大会以降飯塚鈴木軍移籍を境に野上との抗争行っていない。その後鈴木軍2015年から2016年末まで戦いの場をプロレスリング・ノア移したため一度終止符打たれ一方で2016年2月11日大阪府立体育会館大会に於ける野上実況より内藤飯塚とほぼ同様の行為による遺恨勃発したことがあった。 2017年1月鈴木軍新日本に再参戦し1月27日後楽園ホール大会にて実況席野上2年8ヶ月ぶりに襲撃した。しかし、その後野上飯塚試合実況する機会無くなり、これに伴って襲撃行われていない。2月11日大阪大会では野上実況席ではなくレポーター席におり、飯塚野上の姿を確認したようではあったが、襲撃は行わなかった。 2019年2月21日開催飯塚高史引退記念興行当初フリーアナウンサー清野茂樹実況担当していたが、メインイベントとなる飯塚引退試合開始前実況清野から野上交代した。そして飯塚入場時実況席野上がいることを確認する真っ先襲いかかり、野上がこの日のために用意した高級Yシャツ青義軍Tシャツ破り捨てた。その後野上半身裸のネクタイ姿で実況続け飯塚引退見送った

※この「野上慎平との抗争」の解説は、「飯塚高史」の解説の一部です。
「野上慎平との抗争」を含む「飯塚高史」の記事については、「飯塚高史」の概要を参照ください。

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