野上慎平との抗争
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事の発端は、2010年の8月8日のG1クライマックスのスペシャルタッグマッチにて実況席にいた前述の野上を襲撃したことから始まった。なお2010年度のG1終了後も飯塚の襲撃は続き、その度に野上が半裸でネクタイが残っているという姿が一部のお約束事になってしまっている。2011年1月以降では野上は青義軍のメンバーから貰った青いTシャツを着て実況を行うようになるもその態度が気に入らないのか、飯塚はそのTシャツまでも破りにかかっている。 2011年に入ってからは、タッグパートナーである飯塚と同じくCHAOS所属のヒール・矢野が野上を捕え飯塚に服を破かれている最中に水を掛けるなどして便乗するようになった。また、野上が飯塚に襲撃されているのを救出しようと、青義軍の井上亘や飯塚との遺恨が絶えていない天山、挙句の果てには解説席の山崎一夫が介入するなどより一層の激しさを増している。9月19日の神戸大会では、山崎の背中越しに会場の椅子を投げつけて山崎の頭部が切れる(出血する)ケガを負わせていた。 この一連の飯塚の行動を見た解説の金澤克彦が、飯塚にとって野上が自身の「J・J・JACKS」時代のパートナー・野上彰の亡霊に見えているからなのではないかという推測を立てており、大阪尼崎大会では飯塚が実況席に向かうも実況者が野上ではなく同局アナウンサーの大西洋平だと気づくや否やすぐさまリングに向かったため、大西は「飯塚は見境なく実況アナを狙っているんでなく野上慎平アナを狙っているんだ」と実況していた。 だが、2011年11月12日の大阪大会では実況が野上ではなく先輩である実況担当の同局のアナウンサーである吉野真治であるにもかかわらず、飯塚は吉野を野上と勘違いして実況席から引きずり落としている。その後、改めて野上でないことに気づくと吉野に対してはそれ以上の攻撃を加える事無くリングへと向かった。この時、飯塚の被害にあった吉野は服装を乱される程度で済んでいる。 一連の飯塚の行動について、野上と同じ席で解説を行っている東京スポーツ記者の柴田惣一が蝶野正洋と対談した際に「飯塚の野上アナ襲撃」について質問したところ、蝶野は自身が新日本所属時代に辻よしなり(当時テレビ朝日アナウンサー)を襲撃した過去を基に分析し、「飯塚にとって野上君の実況はただの雑音にしか聞こえておらず、しかもその実況に不満を持っているからだと思う」と述べた。 プロレス大賞2011年度年間最優秀試合賞を武藤、小橋、矢野と共に受賞したが2012年1月12日に行われた授賞式の最中、司会進行を行っていた野上を襲撃した。 しかし、飯塚の野上への襲撃は実況席での襲撃以前にも2008年ごろから控え室でも行われていたことが後に判明した。 2012年になってからは更に野上への攻撃が更にエスカレートし、試合後に野上を引きずりまわした挙句、選手控え室のシャワールームまで連れて行きずぶ濡れにさせたこともあった。 だが、一方の野上もやられてばかりではなく飯塚と対戦した選手に後押しされる形で反撃に転じた事もあった。最初の野上の反撃は2012年7月1日の新日本・全日本プロレス40周年記念合同興行の武藤・小島・天山組対飯塚・矢野・石井智宏組の試合後、武藤ら3人に押されて飯塚に串刺しラリアットを食らわせた。 二度目の野上の反撃は2013年1月4日東京ドーム大会の曙・ストロングマン・MVP・中西学組対飯塚・矢野・高橋裕二郎・ボブ・サップ組の試合後、ストロングマンにホールドされた飯塚にラリアットを食らわせている。 11月9日の大阪大会では毎度のように上半身服をボロボロにし、後ろ手に手錠をかけられ青と白スプレーで顔をドラえもんの状態にしてしまった(解説席にいた柴田記者は野上の姿を「ノガえもん」と揶揄していたという。)。以降、ビッグマッチの度に野上にスプレーで様々な(しっかりと形となっている)ボディペインティングを行うようになり、飯塚に残っていたかすかなユーモアを垣間見せるようになった。 なお2014年5月25日の横浜アリーナ大会以降、飯塚の鈴木軍移籍を境に野上との抗争は行っていない。その後鈴木軍が2015年から2016年末まで戦いの場をプロレスリング・ノアに移したため一度終止符が打たれた一方で、2016年2月11日の大阪府立体育会館大会に於ける野上の実況より内藤の飯塚とほぼ同様の行為による遺恨が勃発したことがあった。 2017年1月に鈴木軍が新日本に再参戦し、1月27日の後楽園ホール大会にて実況席の野上を2年8ヶ月ぶりに襲撃した。しかし、その後は野上が飯塚の試合を実況する機会が無くなり、これに伴って襲撃も行われていない。2月11日の大阪大会では野上は実況席ではなくレポーター席におり、飯塚が野上の姿を確認したようではあったが、襲撃は行わなかった。 2019年2月21日開催の飯塚高史引退記念興行は当初フリーアナウンサーの清野茂樹が実況を担当していたが、メインイベントとなる飯塚の引退試合開始前に実況を清野から野上に交代した。そして飯塚の入場時に実況席に野上がいることを確認するや真っ先に襲いかかり、野上がこの日のために用意した高級Yシャツと青義軍Tシャツを破り捨てた。その後、野上は半身裸のネクタイ姿で実況を続け、飯塚の引退を見送った。
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