ヒール時代
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6月26日の関西テレビ・なんでもアリーナ大会のメインのオープン・ザ・ツインゲート統一タッグ王座の防衛戦にDr.マッスルとして登場。王者組をアシストしREAL HAZARDへ加入。その翌日からリングネームをKzyに変更。ヒールに転向した背景には、WORLD-1時代に何事も巧く行かず土井や吉野正人から「何をしてるんだ!」と喝を入れられており、ヒールとして暴れ回っていた新井健一郎や神田裕之から手を差し伸べられて一大決心を決めた。Kzyがヒールに転向したことで谷嵜なおきとの間に因縁が生まれた。12月27日の福岡国際センター興業では、その谷嵜なおきとオープン・ザ・ブレイブゲート選手権試合を行い、拳で殴り合ったりイス攻撃があったりと壮絶かつ感情がストレートに交錯する荒々しい展開となった。記録は10分29秒でエビ固めに敗れる。この試合で韻波句徒を初公開。 2010年2月にREAL HAZARDが分裂し、ディープ・ドランカーズへ合流。5月5日に愛知県体育館で行われたオープン・ザ・トライアングルゲート選手権ノーDQマッチでは、神田裕之・菅原拓也との3人タッグで、曙、望月成晃、ドン・フジイの3人タッグに挑戦。反則裁定なしのルールで様々な凶器を駆使し、試合をコントロール。神田がフォールを決めてKzyら3人タッグが第26代王者組となった。記録は10分40秒で体固め。しかし僅か8日後に防衛0で王座陥落。 その後も土井軍(仮)-Blood WARRIORS-MAD BLANKEYとユニットが変わり、構成員はたびたび入れ替わったが、Kzyは派手なつなぎ・長髪・整えた右眉と剃り落した左眉・左右で異なるカラーコンタクトレンズ・髭というスタイルでヒールを貫き続けた。Blood WARRIORS時代の2011年9月にはダーツでこのメンバーに決まった土井・谷嵜とのタッグ「チーム土井ダーツ」で再びトライアングルゲートを獲得し、5度の防衛を達成。2012年1月に反則負けで王座を剥奪される。またオープン・ザ・ブレイブゲート王座戦線にもたびたび参戦し、2012年3月にはリコシェ、2013年4月にはドラゴン・キッドに挑戦した。同年9月には王座決定トーナメントを勝ち上がり堀口元気H. A. Gee. Mee!!との王座決定戦まで進出した。いずれも反則技を絡め相手を追い詰めるものの、ベルトを掴むには至らなかった。 2014年、ジミーズの神田・谷嵜、MAD BLANKEYの土井・ハルクの抗争が勃発。土井とハルクの口論をKzyが宥める場面もあった。5月5日の「敗者代理人髪切りマッチ」で土井成樹が負け残る。この試合は代理人制度を採用したエスケープ方式の試合であり、土井の負け残りとなったため代理人のKzyがルールにより自慢の長髪を丸坊主にされてしまった。以後は丸坊主を決定づけたうえに同門であり共にチーム名やロゴを考えた間柄であったハルクがユニットを離脱。突然の裏切りにKzyは「冗談じゃない」と憤慨、これ以降ハルクに敵意を燃やし、抗争を繰り広げた。 6月には土井、サイバー・コングとのタッグで3度目のトライアングルゲート王座を獲得し、3度の防衛を果たしたが、10月にCIMA、Gamma、ドン・フジイ組に敗れて王座陥落。さらにKzyはその試合で左目を負傷し、以後長期欠場に入った。長期欠場に関しては「ケガしても味方は別に手を差し伸べてくれるわけでもなく…」と不満を述べていたが、12月の後楽園大会では同じく欠場していた土井とリングに登場してMB勢で「ミラクル土井ダーツ2014」を開催。
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