ヒルベルトの問題の性質および影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 16:25 UTC 版)
「ヒルベルトの23の問題」の記事における「ヒルベルトの問題の性質および影響」の解説
ヒルベルトは、当時彼の実力と名声の頂点にあり、その後にはゲッティンゲン大学で類を見ないような学派を率いることになるのだった。しかし、この問題をつぶさに見ていくならば、それほど単純でない。 当時の数学はまだ散漫なものであり、言葉を記号に、直感への訴えかけを公理に置き替える傾向はまだ抑制されていた。これらは次世代の数学者たちによって強く取り入れられることになる。 1900年のヒルベルトは(それぞれの分野に恒久的な変革をもたらす)公理的集合論、ルベーグ積分、位相空間あるいはチャーチの提唱を利用することはできなかった。関数解析は、ある意味ヒルベルト空間を見いだしたヒルベルト自身によって基礎づけられたといえるが、そのころはまだ変分法との明確な区別がされていなかった。変分数学に関連した問題が2つリストに挙げられている一方で、素朴な問いが立てられたであろうスペクトル理論に関する問題は一つもない(問題19は準楕円性に関連しているが)。 その意味では、リストは予言的ではなかった。ヒルベルトのリストは位相幾何学、群論および測度論が20世紀に急速に発展することを予測できていなかったし、数理論理学が成功していく方法論とは違った考え方にたっていた。したがって、リストの直接の価値は、部分的で個人的な論説としてのものでしかなく、いくつかの研究プログラムと未終結の調査を示しただけのものだともいえる。 実は、投げかけられた問の多くは21世紀の(あるいは1950年代の、でも)職業数学者の、よい問に対する解答は数学の学術的専門誌で公表された論文の形をとるだろうという考えを裏切ることになった。もしそうだったとしたら、リストの解説は問題が解決されていれば論文の掲載誌への参照を示し、さもなければ質問が未解決であるといえるほどに簡単になっただろう。 場合によっては、ヒルベルトが用いた言葉は、何が問題として定式されているのかについて、何かしら解釈の余地があると考えられる。繰り返しになるが、ヒルベルト自身によるユークリッド幾何の定式化に端を発し、プリンキピア・マテマティカをへてブルバキと「知のテロ」に至るまで純粋数学に植え付けられた公理的な基礎付けはまだなかった。驚くべきことに、第1と第5の問題は記述が十分に明瞭でないために未解決の状態にあるとも言える。 第12問のような場合では、ヒルベルトが何を目指していたのかがわかりやすいように書かれているとも、単に中途半端な予想を示しただけだともとれる。Rowe & Grayによると、いくつかの問題は完全に定義されておらず、しかし十分な進歩がそれらの問題を"解決された"として考えられるようにはなっているという。 ともあれ重要な点は、当時の数学者のコミュニティ(数少ない研究リーダーはだいたい少数のヨーロッパ諸国に集中しており、また個人的な知り合い同士だったので、今と比べたら小さなものだった)によりヒルベルトのリストが速やかに受け入れられたことである。それら問題は綿密に研究され、1つでも解決できれば名声を得ることができた。 少なくとも、問題内容と同じくらいそのスタイルも影響力をもっていた。ヒルベルトは明晰さを要求し、アルゴリズム的な質問に対しては、実際のアルゴリズムではなく原理的な解決を、非専門家には分かりづらい直観によって導かれていた分野(シューベルト幾何および数え上げ幾何)についてはしっかりとした基礎付けを求めた。 こうした姿勢は多くの追随者によって引き継がれたが、同時に今なお疑義が呈されてもいる。30年後になっても、ヒルベルトは彼の立場をさらに先鋭化しただけだった。
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