バンツー系の拡散
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/13 07:04 UTC 版)
ボツワナの人口の大半を占めるツワナ人はバンツー系民族に分類されている。バンツー系民族は現在ではアフリカの中部、南部を中心に面積にしてアフリカ大陸の1/3を占めており、人口も4500万人を数える。しかし本来は狭い地域に限定して居住していた。アフリカ中央部、現在のカメルーン北部アダマワ高地が本来の領域である。バンツー系民族の拡散は急速に起こったことが分かっている。西暦100年ごろ当時のアフリカ大陸中央部において気候パターンが急変し、急激な乾燥が進んだ。農耕民族であるバンツー系民族は移動せざるを得なかったが、北方はより乾燥しており、南下しか道がなかった。エジプトでは、紀元前には豊富に見られたライオンなどの野獣が、このころ急減し、珍しい見世物の対象となったことが文字による記録に残っている。 西暦500年、アダマワ高地からの移動開始後、400年が経過し,バンツー系民族が6000kmに及ぶ移動の果てにアフリカ最南端に到達した。彼らの知識により1000年ごろから1300年ごろにかけてボツワナにおいても複数の鉱山が開かれ、内陸部から東海岸に至る交易路が維持されるようになった。交易品は金、銅、鉄、象牙である。ただし交易の中心となっていたのは東に隣接するショナ人のモノモタパ王国、現在のジンバブエであった。ボツワナは依然バンツー系民族にとっては辺境地域にすぎなかった。 バンツー系民族は農耕民ではあるが、ウシを飼育し、製鉄技術を身につけていた。現在アフリカ南部のステップ地帯に見られるバオバブの木も、バンツー系民族がもたらしたものの一つである。現在では言語が600にも分かれているが、移動が急速に進んだことから変異が少なく、最も離れた言語同士でも意思の疎通が可能である。バンツー諸語の特徴は多数の名詞クラスを備えること、音調言語であることである。名詞クラスとはドイツ語の女性名詞、男性名詞、中性名詞のように名詞がいくつかのクラスに分類されるものを指す。600の言語には合計23の名詞クラスを数えることができるが、ツワナ語にはそのうち19の名詞クラスが保存されている。残った名詞クラスは他のバンツー諸語との類似性が高い。音調言語とは単語のすべての意味単位が音調(音の高低)と結びついているものを指す。西アフリカに顕著であるが、音韻の高低を太鼓で再現し、詩歌や歴史を太鼓だけで語れる点もツワナ語に共通である。 鉄器の伝播を調べると、アダマワ高地では紀元前500年に既に利用されていた。熱帯雨林のコンゴ盆地を紀元100年ごろ通過すると、ボツワナの北の国境ともなっているザンベジ川へはほぼ同時に鉄器が伝わっている。移動速度自体は大きかったが、熱帯雨林が天然の大障壁となっていたことが分かる。ボツワナの南の国境であるリンポポ川へは紀元400年に伝わっている。カラハリ砂漠は熱帯雨林と並び、横断することが難しかった。 ボツワナの畜牛はサンガ牛とこぶなし牛と呼ばれる品種である。こぶなし牛はサハラ以北の世界で紀元前3000年以上前から飼育の対象となっていた。これが紀元750年ごろボツワナに伝わっている。その後、エチオピア原産のサンガ牛が伝わった。 ヒトの遺伝子の変異を調べると、現在ボツワナに居住するツワナ人はカメルーン近辺のバンツー系民族とエチオピア、スーダンに居住するナイル・サハラ語族のナイロート人のほぼ中間に位置することが分かった。 以上の証拠から、バンツー系民族のアフリカ南下は二派に分かれており、一つは直接コンゴ盆地を越えて一直線に南下し、もう一つはいったん東に移動したのち、アフリカ地溝帯沿いに南下したと考えられている。 バオバブの木はバンツー系民族においては重要な人物の墓の代わりに植樹されることが多く、村に1本は備わっている。したがって、バオバブの年輪を計測することができれば、年輪年代学の手法を用いてバンツー系民族の歴史を編年構成できる可能性がある。しかし、バオバブを切り倒すことは非現実的であり、自然に倒れることもないため研究は進んでいない。 モロコシは現在のボツワナの穀物生産のうち3/4を占める。モロコシの原産地はアダマワ高原からエチオピア北部に至る地帯が原産地である。モロコシの伝播は早く、紀元前1000年には現在のジンバブエを中心とした地帯に伝わっている。このためアフリカ大陸で生産される3大変種の一つとして確立している。モロコシの伝播だけはバンツー系民族によるものではない。
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