ハイレセラシエの独裁とは? わかりやすく解説

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ハイレ・セラシエの独裁

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 08:28 UTC 版)

エチオピアの歴史」の記事における「ハイレ・セラシエの独裁」の解説

帰国した皇帝ハイレ・セラシエ1世は、エチオピア国民から熱狂的な支持集めた。その信仰に近い崇拝ラスタファリ運動)は、ハイレ・セラシエ権威イタリア侵略以前はるかに凌ぐものに押し上げる。そのためにハイレ・セラシエは、戦後政体において立憲君主制ではなく旧来の絶対主義選択する権威批判的な勢力としては、レジスタンス指導者から取り立てられ諸侯らがいたが、エチオピア政界主流にはならなかった。ハイレ・セラシエとともにエチオピア政治をとりしきったのは、皇帝国璽を預かる職務大臣であり、1943年以降実質上の首相として機能していた。1955年までのギヨルギス・ワルダ、1961年から1974年までのアキル・ハブタといった大臣は、それらの中でも特に有力な存在であったハイレ・セラシエ統治は、軍事、経済的に最初イギリスに、後にアメリカ従属することで資本呼び込むというもので、東西冷戦利用して多数借款集めたイギリスアメリカエチオピア農業大臣商務大臣兼ねるメコネン・ワルダを通じて影響力行使し反体制派ソ連走らせたハイレ・セラシエ1955年には憲法改正行い皇帝神格化無謬性再確認した。 ハイレ・セラシエ最初に乗り出した産業育成対象農業であったが、近代化進展全土わたって停滞した。これは植民地化拒んで西欧技術思想侵入拒み続けていたため、アフリカ他の国々比べて経済計画導入困難なめだった。その中において、1952年からアメリカ技術援助行ったカッファコーヒー栽培順調に進みイエメンモカ港から積み出されるコーヒー豆アメリカ5000ドル利益もたらした1960年にはアメリカ200ドル開発融資基金貸し出されたが、それにより南部では私的土地所有進み土地高騰した一方北部では旧来の土地制度守り続け効果地方によりまちまちだった商業においては1960年代になって国民総生産の7%を占めるのみだったが、コーヒーといった商品作物利用して規模拡大していった。輸出品目には、それぞれ管理するボード設置し輸出される数量価格調整していた。工業においては1952年イギリス軍政下から連邦として加わったエリトリア著し進展をみせ、旧来のエチオピア緩慢な進捗であったその中でアディスアベバ近郊には電力会社設立され石油精製工場セメント工場建設され石油セメントといった都市計画不可欠な資材生産され始める。輸出品目としては、綿織物工場製糖工場生産品エチオピア外貨もたらす。しかし、工場はほとんどがアディスアベバ偏っており、その建設に伴う利権繁栄集中次第諸侯反感育てていった。 ハイレ・セラシエイタリア占領以前からハイレ・セラシエ軍事訓練校を設立するなど軍事改革乗り出していたが、皇帝復帰したことでその改革をさらに推し進めていく。軍の改革イギリスから1942年同意書を、アメリカからは1953年同意書をとり、両軍関与の元で推進された。エチオピア軍はイタリアへレジスタンス活動から引き継いだ非正規軍が多く地域領主との関わり深かったハイレ・セラシエはこれを自らの統制に戻すべく、正規軍へと徐々に編入させていった。この正規軍増員背景には、ソマリアとの間で帰属を争うオガデン存在があった。1953年ハイレ・セラシエはさらにスウェーデンに5,000人の帝国親衛隊送りエリート部隊としての訓練を受けさせたが、陸軍親衛隊、そして親衛隊内部での待遇の差が、激し反目もたらすことになった

※この「ハイレ・セラシエの独裁」の解説は、「エチオピアの歴史」の解説の一部です。
「ハイレ・セラシエの独裁」を含む「エチオピアの歴史」の記事については、「エチオピアの歴史」の概要を参照ください。

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