ネイティブ・アメリカンの時代とは? わかりやすく解説

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ネイティブ・アメリカンの時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/30 22:04 UTC 版)

ヨセミテ国立公園」の記事における「ネイティブ・アメリカンの時代」の解説

この地域には、白人入植するはるか昔、パイユート族とシエラ・ミウォク族の人々住んでいた。白人入った時、ヨセミテ渓谷住んでいたのはアワニチ族と呼ばれるネイティブ・アメリカンであった。 アワニチ族は、パイユート族などいくつかの部族から出奔した者が集まった部族で、テナヤ酋長率いていた。彼らは、この土地を「大きな口」という意味の「アワニー (Ahwahnee)」と呼び、自らをアワニーに住む人々という意味でアワニチ (Ah-wah-ne-chee) と呼んでいた。一方、彼らは、これと対立関係にある穏やかなミウォク族からは、恐れ込めて、「殺し屋たち」という意味のYohhe'meti呼ばれていた。 白人としてヨセミテ渓谷発見したのは、アメリカ陸軍ジム・サヴェジ少佐率いマリポサ歩兵大隊であり、1851年のことであった19世紀半ばカリフォルニア・ゴールドラッシュによって、カリフォルニア流入する白人の数が激増する中、同大隊は、マリポサ戦争呼ばれる戦いの中、約200人のアワニチ族を追ってヨセミテ渓谷西端まで来た。 この地を「ヨセミテ」と名付けたのは、サヴェジ少佐部隊従軍していた医師ラファイエット・バンネルであるとされる。バンネルは、アワニチの人々がこの土地指していた「アワニー」という名前ではなくこの人々に対するミウォク族からの呼び名であり、よりアメリカ的であると感じられた「ヨセミテ (Yo-sem-i-ty)」という名称を採用することにした。前述のとおり、これは「殺し屋たち」という意味のミウォク語 (Yohhe'meti) であるが、バンネルやサヴェジ少佐は、発音似ているグリズリーベアを指すミウォク語 (ïhümat.i or ïsümat.i) と勘違いをしていた。 なお、テナヤ酋長とアワニチの残党は、結局捕らえられ、その焼かれてしまった。そしてカリフォルニア州フレズノインディアン居留地移転させられた。一部は後にヨセミテ渓谷に戻ることを許されたが、1852年春に鉱夫8人を襲う事件起こした。彼らは東方モノ湖逃げ近くモノ族にかくまってもらった。しかし、モノ族から馬を盗んだことで探し出され1853年モノのパイユート族に殺された。テナヤ酋長殺され生き残った者はモノ湖に連れ戻されモノ湖のパイユート族に同化してしまった。アワニーのインディアンは、現在、ヨセミテ渓谷ビジター・センター隣のヨセミテ博物館の裏手に再現されている。

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ネイティブアメリカンの時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/23 14:58 UTC 版)

カリフォルニア州の歴史」の記事における「ネイティブアメリカンの時代」の解説

一般に認められている南北アメリカ大陸への人類移動に関する学説は、およそ16,500年前にネイティブアメリカン民族ベーリング陸橋通ってアメリカ大陸入ったというもので、ネイティブアメリカンが、現在のカリフォルニアにいつ到着したかは不明である。 サンタローザ島のアーリントン・スプリングス人の遺跡は、最も初期ネイティブアメリカン住んだ跡であり、約13,000年前ウィスコンシン氷期(最も新し氷期)の頃とされている。現在のカリフォルニアになった地域には全体で約30部族あるいは文化集団住んでおり、恐らくは6種の言語族に分類される。これらの語族中には最も初期到着したホカ語族(はるか北の山岳地から南のコロラド川盆地分布)と最近到着した南東部砂漠地帯のユト・アステカン語族がいる。この文化多様性北アメリカ中でも密度濃く10,000年から15,000年前一連の移民勢力争い結果考えられている。ヨーロッパ白人による最初の接触時、チュマシュ族、マイドゥ族、ミウォク族、モードック族、モハーベ族オーロネ族ポモ族、シャスタ族、トングヴァ族およびウィントゥ族など、60超えるネイティブアメリカン部族住んでいた。 これらの部族カリフォルニア多様な気候適応した海岸部族は、石器使ってイガイ科貝類の殻から作られる交易ビーズの主要生産源だった。カリフォルニアの広いセントラル・バレーやそれを取り囲む丘の部族は、早くから農業発展させ、草地焼いて食用植物、特にオークの木生育促進した。これらの木の実ドングリ)を粉に挽き酸性タンニン濾過する食用の粉ができた。北部東部山岳地に住む部族サケ漁や動物の猟に大きく頼っており、カリフォルニア火山生成物である黒曜石集めて成形し交易用いた南東部砂漠は、過酷な環境生き残る術を覚えた部族住み、その土地植物慎重に扱いオアシス水源近く生活した。 これら全ての部族の状態は動的であり、より成功した部族がその領土を拡げ、あまり成功しなかった部族縮小した奴隷貿易部族間の戦争比較平和な期間と交互に続いたヨーロッパ人による接触広範になった1700年代には、およそ30万人ネイティブアメリカンカリフォルニア住んでいたと推計されている。(→カリフォルニアネイティブアメリカン部族

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