ナッシュエアフライトの登場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 03:48 UTC 版)
「ナッシュ・モーターズ」の記事における「ナッシュエアフライトの登場」の解説
1949年にはナッシュ・エアフライト("Airflyte")がエアロダイナミックなスタイルで発表され、戦後の先進的デザインの乗用車として評判となった。 ボディの形状は風洞実験により開発されたものだった。ニール・ワルバーグの考えでは空力抵抗を減らすためには、滑らかな形とするとともにフロントフェンダー部は覆われていることが必要とされた。戦後の新設計モデルが輩出されていた当時のトレンド以上に、幅広で低い(ワイドアンドロー)自動車となり、1948年の先代よりも室内は広くなっていた。600型では112-インチ (2,800 mm)ホイールベースを使い、アンバサダー型では121インチ (3,073 mm)に伸張されたが、どちらも同じボディを共有した。弱点は、フロントフェンダー部が覆われたことでハンドル切れ角を制限されてしまったことで、競合する他車に比べると回転半径が大きくなった。 1950年式エアフライトはわずかに変更をおこない、リアウィンドウがより広くなり、給油キャップ("fuel filler cap")は隠され、ダッシュボード上にいくつか変更が加えられ、アンバサダー型にはGM製のオートマチックトランスミッションのオプションであるハイドラマチックがついた(ナッシュは自動変速機を自社開発できる程には企業規模が大きくないという弱みがあった)。600型は「ステーツマン(Statesman)」と名前を変えた。 1951年式エアフライトの変更点としては、リアフェンダーが垂直型テールライトも一体となるように引き伸ばされ、ステアリングコラムにつけられたUniscopeは従来風だが新型のダッシュボードで置き換えられ、新しくなった垂直バー型グリルには水平型駐車灯が装備された。GMハイドラマチックはステーツマンでのオプションとしても用意されるようになった。1949年、1950年、1951年はナッシュの歴史でも売り上げのトップ3の最盛期であった。 ナッシュ=ケルビネーターの社長となっていたジョージ・W・メイソンは、この好業績をチャンスと捉え、より大きな市場に小型車を販売しようと、戦後世代の車として初めて、コンパクトカー開発を命じた。これは先見の明と言える判断であった。コンパクトカーブランドとしては、ナッシュとゆかりのある古いブランドの「ランブラー」がリバイバルされ、1950年式ランブラーが機能満載の高級コンバーチブル車として販売された。メイソンは1954年式として英国オースチン(BMC)との提携で、1500ccクラスのイギリス製小型車メトロポリタンも投入したが、こちらはさほどの商業的成功は得られなかった。 フルサイズのナッシュエアフライトは1952年にフルモデルチェンジ(completely re-designed)をおこない、(ナッシュ社の系譜としてトマス・B・ジェフリー社の時代から数えた)ナッシュ・モーターズ自動車製作50周年記念を祝して、ゴールデンエアフライト(Golden Airflyte)として宣伝された。ナッシュ社の宣伝用スローガンの一つは「1902年からの偉大な自動車("Great Cars Since 1902" )」だった。新型ゴールデンエアフライトは1949-1951年式と比べてよりモダンで攻撃的な外観となり、「バスタブをひっくり返した姿のようだ」と言われた。 空調システム改良に強いナッシュの特性は戦後も発揮され、自動車産業界初の一体型冷暖房エアコンが1954年式ナッシュで装備された。エンジンベイ内に完全に一体化され、暖房と冷房の複合装置として、乗車中の人に向けてダッシュボードに装備された通気口(ベント)から冷風を送った 。当時の同業他社では、暖房装置と冷房装置は別装置で、また冷房装置は、圧縮器(コンプレッサー)をエンジンに付け、気化器(エバポレーター)は後部トランク内に置いて、後部パッケージシェルフ("rear package shelf")と頭上の通気口から冷風を送り込んでいた。それらに比べれば、ナッシュの設計は極めてスマートなものであった。
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