カー・ディクスン(John Dickson Carr)
1906年(明39)、アメリカのペンシルヴァニア州ユニオンタウン生まれ。父はウィルソン大統領時代に国会議員だったウッダニコラスカー。イギリスアメリカで活躍。別名ロジャーフェベアン。
14歳の頃から地方新聞に寄稿しはじめ、のちにパリにてボヘミアン的生活を送り、ロマン小説に手を染めたが認められなかった。
1921年(大10)、密室物の短編「The Ruby of Rameses」を学園誌に発表。
1926年(大15)、副主筆を務めていた「ハヴァフォーディアン」誌に「死者を呑むがごとく…」を発表。
1929年(昭4)に「ハヴァフォーディアン」誌に匿名で掲載された中編「グランギニョール」をもとに、1930年(昭5)、ニューヨークのホテルにて探偵小説の第一作「夜歩く」を完成。
1930年(昭5)、シートン動物記などで知られる英米文学者、内山賢次の訳で「夜歩く」が日本に紹介される。
「夜歩く」が好評を博したので、再度ヨーロッパに渡り、その船上でイギリス女性と知り合い、結婚。1933(昭8)年から16年間、イギリスに住みつく。
1932年(昭7)、「蝋人形館の殺人」を発表。
1933年(昭8)、「帽子収集狂事件」を刊行。
1934年(昭9)、カーディクスン(のちにカーターディクスン)名義で「プレーグコートの殺人」を刊行。
1935年(昭10)に発表された「三つの棺」が、1936年(昭11)、「魔棺殺人事件」の題で判大矩によって訳されるが、訳文が拙く、戦前の日本におけるカーの評価を低める要因となった。しかし、「三つの棺」はエドワードDホックが1981年(昭56)のアンソロジー「密室大集合」の密室長編人気投票で第一位を獲得。また、第17章の「密室講義」は江戸川乱歩の「類別トリック集成」に影響を与えた。
1936年(昭11)には、戦後、江戸川乱歩や横溝正史にカーを伝導した井上英三の訳によって「絞首台の秘密」が「新青年」増刊に抄訳で掲載。
1937年(昭12)、「火刑法廷」を発表。
1938年(昭13)、カーターディクスン名義で「ユダの窓」を刊行。
1942年(昭17)、「皇帝の嗅ぎ煙草入れ」を発表。
1947年(昭22)、「妖魔の森の家」を「エラリークイーンズミステリマガジン」に発表し、第2回コンテスト特別功労賞を受賞。
1948年(昭23)、アメリカに帰国し、アメリカ探偵作家クラブ会長に就任。
1949年(昭24)、「ドイル伝」を発表。
1952年(昭27)、「九つの答え」を発表。
1955年(昭30)、「喉切り隊長」を発表。
1961年(昭36)、「引き潮の魔女」を発表。
1963年(昭38)、アメリカ探偵作家クラブ巨匠賞を受賞。
不可能犯罪テーマに固執し、密室ものに定評がある。オカルト、怪奇趣味、ファース、歴史などの味付けがされた作品が多い。
1977年(昭52)、死去。
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