ストーンズリバー方面作戦とは? わかりやすく解説

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ストーンズリバー方面作戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/12 17:12 UTC 版)

ストーンズリバーの戦い」の記事における「ストーンズリバー方面作戦」の解説

南軍将軍ブラクストン・ブラッグミシシッピ軍1862年10月8日ペリービルの戦い敗北した後、ケンタッキー州ハロッズバーグまで撤退し10月10日エドマンド・カービー・スミス少将軍隊10,000名と合流したブラッグ軍は38,000名の古参からなる軍隊となったが、主導権取り戻す動きは起こさなかった。ペリービルでの勝者ドン・カルロス・ビューエル少将同じくらい受動的であり、ブラッグ攻撃することを拒んだ。 不満が募ったブラッグカンバーランド渓谷通って撤退しノックスビルチャタヌーガ通過して北西転じ最終的にテネシー州マーフリーズボロで停止したスミスケンタッキー軍と合流して11月20日付けテネシー軍改名していたその軍隊は、市の北西ストーンズ川西支流沿って防御的陣地布いた。ここを12月16日アメリカ連合国大統領ジェファーソン・デイヴィス訪れた時、ブラッグビックスバーグ防衛助けるためにカーター・L・スティーブンソン少将歩兵師団ミシシッピ州派遣するよう命令受けたブラッグはその軍隊再編しスミス東テネシー州に去ったブラッグウィリアム・J・ハーディおよびレオニダス・ポーク少将の2個軍団ジョセフ・ウィーラー准将騎兵隊指揮したネイサン・ベッドフォード・フォレストジョン・ハント・モーガン両名中部テネシー州の外へ戦略的襲撃のために派遣されていたので、若いウィーラー指揮では騎兵戦力熟練度がかなり弱まっていた。ブラッグにはもう一つ困った問題があった。部下の中で上級将軍達ジェファーソン・デイヴィスブラッグ解任西部戦線全軍指揮官ジョセフ・ジョンストン将軍支持した)を願い出るという事上の反乱だった。デイヴィスブラッグ反乱起こした将軍達ともに解任拒んだ北軍側では、エイブラハム・リンカーン大統領ビューエル受動性に不満を募らせ最近イウカの戦い第二次コリンスの戦い勝利を上げたウィリアム・ローズクランズ少将指揮官すげ替えた。ローズクランズはその第14軍団間もなくカンバーランド軍改称された)をナッシュビル動かしワシントンからは、もし彼がブラッグに対して攻撃的に動かずテネシー州東部占領しなければ彼もまた解任されると警告受けた。しかし、ローズクランズはその軍隊再編し訓練(特に騎兵)するために十分な時間取り、さらに補給もした。12月26日になってやっとブラッグ追求のための行軍始めた。 ローズクランズがナッシュビル準備進める間、ブラッグジョン・ハント・モーガン大佐にその騎兵隊と共に北に移動し、ローズクランズの通信線活動し、ローズクランズがナッシュビル北から食料調達するのを妨げるよう命令した。(マーフリーズボロの北にある)ナッシュビルからカンバーランド川上流40マイル (64 km)にある渡渉点起こったハーツビルの戦いは、ローズクランズがその歩兵軍に大挙して行動起こさせる前に北方モーガン隊による襲撃中の出来事だった。モーガン隊の急襲に続く比較小さな戦闘は、北軍にとって厄介な敗北となり、北軍多く物資兵士捕獲された。北軍もまた戦略的な騎兵襲撃を行わせた。ローズクランズ軍がナッシュビル発った12月26日サミュエル・P・カーター准将小さな部隊ケンタッキー州マンチェスターからテネシー渓谷上流襲った翌年1月5日までカーター隊は鉄道橋破壊し12月28日のパーキンスミル(エルクフォートとも呼ばれる)での重大な戦闘含め幾つかの小競り合い演じた。しかし、北軍にしても南軍にしても騎兵隊襲撃でストーンズリバー方面作戦に大きな影響与えることは無かったカンバーランド軍クリスマス翌日に3隊、あるいは3「翼」で南東のマーフリーズボロに向けて進発したが、途中で南軍ウィーラー騎兵隊効果的な嫌がらせを受け、その速度遅くなった。ローズクランズはナッシュビルで有効兵力総勢81,729名と報告していたが、南軍騎兵隊嫌がらせからその基地供給線を守る必要性があったので、進発した軍は総勢半分をやっと超えたくらいだったトマス・L・クリッテンデン少将左翼14,500名は、ナッシュビル・アンド・チャタヌーガ鉄道並行する道を採り、ラ・ヴェルニュとスミルナの南を通過した中央翼はアレクサンダー・マクック少将16,000名であり、ノーレンズビル・ターンパイクに沿って南にノーレンズビルまで降り、トライユーヌの南に出て東のマーフリーズボロに向かった右翼ジョージ・ヘンリー・トーマス少将13,500名はナッシュビル・アンド・ディケーター道路並行するウィルソン・ターンパイクとフランクリン・ターンパイクに沿って進み続いて東にノーレンズビルを抜け、クリッテンデン翼が通ったのと同じナッシュビル・アンド・チャタヌーガ鉄道の南を進んだ。翼を分けたのはトライユーヌのハーディに対して転回運動起こすことを意図したものだったが、北軍動き始めた時にブラッグ対決避けるためにハーディ隊をマーフリーズボロに戻らせた。

※この「ストーンズリバー方面作戦」の解説は、「ストーンズリバーの戦い」の解説の一部です。
「ストーンズリバー方面作戦」を含む「ストーンズリバーの戦い」の記事については、「ストーンズリバーの戦い」の概要を参照ください。

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