ストーンズ脱退とその後の関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 14:40 UTC 版)
「ミック・テイラー」の記事における「ストーンズ脱退とその後の関係」の解説
テイラーはストーンズを1974年12月に脱退する。次作『ブラック・アンド・ブルー』のセッションが西ドイツのミュンヘンで始まる頃であった。脱退についてテイラー自身は「メンバー間の個人的感情の問題ではなく、純粋に音楽的理由で脱退した」と語った。ミック・ジャガーはテイラーの脱退を冷静に受け止めており、1995年に『ローリング・ストーン』誌のジャン・ウェナーとのインタビューで、テイラーがメンバーだった時期がバンドの最も音楽的に充実した時期であったと認めた上で、「彼はソロ経歴を積みたかったんだよ。僕が思うに彼はキースとうまくやっていくのが難しいと悟ったのさ」と語った。キース・リチャーズは彼の脱退に対して不満を漏らしたが、ギターワークについては後に加入するロン・ウッドの方が「ブライアンとやってた時のような感覚に戻った」とも語っている。この頃リチャーズと不仲だったというビル・ワイマンは、この脱退に乗じて自身のプロジェクトでバンドを組まないかと誘ったという。チャーリー・ワッツも後年「あの時期での脱退は不適切だったと思う」とそれぞれ語っていて、脱退についてメンバーそれぞれに全く異なる印象を与えていたことが窺える。 しかしながら1981年12月14日にテイラーは、ストーンズのカンザスシティ、アローヘッド・スタジアム公演に参加した。また1986年12月28日のテイラーのニューヨーク・クラブでのコンサートにはキースが参加している。彼らは「キー・トゥ・ザ・ハイウェイ」「キャント・ユー・ヒア・ミー・ノッキング」を演奏した。1987年にはキースの初ソロ・アルバム『トーク・イズ・チープ』(1988年)の「ストゥッド・ユー・アップ」のレコーディングに参加しており、キースから「なんでお前のことが嫌いなのか良くわかったよ」とジョークを飛ばされたといい、1980年代に入って以降は互いの持っていた複雑な感情を時が解消しており、現在メンバー達との関係は良好である。こういったことがきっかけとなって、ストーンズの1989年にロックの殿堂入りの際に、メンバーとして共に舞台にあがっている。2012年11月にイギリスで、12月にアメリカで開催されたストーンズ50周年記念ライブに参加して「ミッドナイト・ランブラー」で見事なギター・プレイを披露してファンを感涙させ、その後、2013年から2014年のワールド・ツアーにはゲスト・ミュージシャンとしての扱いながら毎回参加しており、公演後のスタンディングオベーションにメンバー達とともに応えている。
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