ストーンズ脱退と以後の活動
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「ビル・ワイマン」の記事における「ストーンズ脱退と以後の活動」の解説
ビルは1970年代よりストーンズ脱退を示唆するような発言を度々行っており、1980年のインタビューでもはっきりと「俺はストーンズからリタイアする。他にやりたいことがあるんだ」と宣言している。1980年代半ば、ミックとキースが衝突し、ストーンズの活動が停滞すると、普段は不満を外に漏らすことの少ないビルもこの時ばかりはミックに対し公然と批判の声を上げた。1989年、ミックとキースの仲が改善しストーンズが復活した後も、ビルの気持ちだけは元には戻ってはいなかった。 1991年、シングル「ハイワイアー」のプロモーションビデオ撮影にビルが無断欠席し、これにミックが見切りをつける形となり、ビルの脱退が決定的となる。1992年暮、ストーンズがヴァージン・レコードと新規契約を結ぶ際にビルはついにサインせず、正式に脱退が決まった。キースやチャーリーは最後までビルを説得し、チャーリーは「何度も頼んだが気持ちは変わらなかった」と悔しさを吐露しているが、ミックは「仕方ないね。新しいベーシストを探さないと」と気にも留めなかった。以降グループは正式なベーシストは置かず、ダリル・ジョーンズをサポートメンバーに据えて現在に至る。 ビルは2013年のインタビューで、脱退を決意したのは1990年の日本ツアーであったことを打ち明けている。その理由について「40年も飛行機に乗っていて、ぞっとするような瞬間も相当経験してきて、日本ツアーでもう飛行機に乗りたくないと決意したんだ。最後のヨーロッパツアーでは僕だけ陸路で移動してたんだよ」と説明している。しかしビルが1990年のツアー終了後に上梓した自伝『ストーン・アローン』には、脱退の決意を窺わせるような記述は見当たらない。ストーンズを脱退したことへの後悔は「全くない」という。 しばらくの沈黙の後、1997年にリズム・キングスを結成。このバンドではR&Bやオールディーズ、スタンダードナンバーのカバーを中心に行っている。リズム・キングスには元ストーンズのミック・テイラーやジョージ・ハリスンといった豪華ゲストも参加している。リズム・キングスはこれまでに5枚のアルバムをリリースしているが、このうち2000年発表の『Groovin' 』が全英52位、2001年の『Double Bill』が全英82位にランクインしている。 2002年、ストーンズ40周年記念のツアーにビルが参加するのではないかという噂が流れたが、これは実現しなかった。しかし10年後の2012年11月に行われた50周年記念ライヴでは、ゲストとしてストーンズのステージに立った。1990年以来、実に22年振りにストーンズのメンバーと演奏した。ところが、このステージでたった2曲しか参加できなかったのが不満だったと明かしていて、たった2曲のためにこの後行われた12月のアメリカ公演のために渡米する気はないとし、良好な関係を保っているミック・テイラーとは違い2013年から始まったワールド・ツアーには参加していない。 2015年、全曲新作のオリジナルアルバムとしては32年ぶり(日本では23年ぶり)となる『Back to Basics』を発表。 2016年3月8日、自身のTwitterにて前立腺がんを公表。
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