ストーンズ加入とは? わかりやすく解説

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ストーンズ加入

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/27 03:02 UTC 版)

ビル・ワイマン」の記事における「ストーンズ加入」の解説

1960年12月音楽趣味である職場仲間影響され中古エレキギターを買い、仲間達ポップグループ結成するグループ名も決めないうちに1961年1月初めてのステージ踏み当時最新ヒット曲披露した。やがてグループ名をクリフトンズと決め、セミプロバンドとして活動本格化させる。同年8月、妻ダイアン訪れたダンスホール演奏していたバロン・ナイツというバンドベースの音に衝撃を受け、ギターからベースへの転向決意当初手持ちギターベースの弦を張ろうとしたが失敗し中古ベース購入している。クリフトンズはクラブなど定期的にギグこなしていたが、プロモーターからまともに出演料支払われないことによる財政難や、主要メンバー脱退したことが要因となり、1962年秋頃には解散態となった。 12月初旬、クリフトンズのバンドメイトだったトニー・チャップマンから、「ローリング・ストーンズというバンドベース空席だから入らないか」と誘いを受ける。トニーはクリフトンズのメンバーには内緒で、6月ストーンズドラマーとして加入していた。ビルはまずイアン・スチュワート紹介され12月7日リハーサル中だったストーンズメンバー初め対面するビル第一印象ではミック・ジャガー気さくだったがキース・リチャーズブライアン・ジョーンズよそよそしかったという。だが、ビル所有する大きなアンプ持ち込む状況一変した当時ストーンズ小さなアンプしか持っておらず、キースは「あんな大きなスピーカー初め見た」とその時興奮語っている。またビル飲みものやタバコ奢ると、飢えていた彼等飛びついてきたという。この気前のよさがビルストーンズ加入させる一押しとなった。ただしスチュワートは「ビルアンプいくつか持っていたからグループ入れたっていう話はまるっきり嘘じゃない。だけどとにかくビルは上手かったんだ」と、あくまでビル演奏技術買われての加入だったことを強調している。 メンバー揃ったが、グループはトニー・チャップマンのドラマーとして技量疑問抱いていた。トニープレイキースから「曲のはじめと終わりスピードが3倍速くなるか4倍も遅くなるか」と酷評されるほどであった1963年1月グループ複数バンド掛け持ちしていたチャーリー・ワッツ引き抜き成功トニークビ宣告された。激怒したトニービルに共に辞めよう持ちかけたが、ビルはそれを断わりストーンズに残ると宣言したビルは後に「チャーリー入った途端、俺は前よりもベース上達した」と語ったが、トニーも「チャーリーの方が俺よりもずっと上手い」と素直に認めている。 同年1月10日、ストーンズ加入後初めてのマーキー・クラブでのギグビルは「リー・ワイマン」と紹介され以降ミュージシャンとしては本名のウィリアム・パークスを名乗らないことにした。

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ストーンズ加入

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 14:40 UTC 版)

ミック・テイラー」の記事における「ストーンズ加入」の解説

ローリング・ストーンズ1969年3年ぶりの北米ツアーを行うことを熱望していたが、問題があった。バンド創立以来ギタリストであったブライアン・ジョーンズ薬物依存脱しよう努力していたが、警察執拗に家宅捜索等をおこなわれた結果2度逮捕されてしまい、海外ツアー実施障害となっていた。ステージから遠ざかっていたストーンズ過去バンドと見なされ、その価値ステージ上で証明する必要があったため、1966年以来3年間遠ざかっているワールド・ツアー絶対に行わないといけない状況にあった逮捕前から他のメンバーから疎外されつつあったブライアン結局バンド解雇されることになり、解雇後間もなく自宅プール溺死した。この場所は「クマのプーさん」の著者知られるA・A・ミルンがかつて所有していた農場で、現在もハートフィールドにある。 ストーンズ参加は、5年後メンバーとなるロン・ウッド場合異なりオーディション行われなかった。ブライアン脱退後ミック・ジャガージョン・メイオールからテイラー紹介を受け、当時録音中の『レット・イット・ブリード』のセッション参加させた。テイラーは「カントリー・ホンク」「リヴ・ウィズ・ミー」の2曲に参加したが、単なるセッション仕事考えていた。数日後ジャガーテイラーストーンズの正式ギタリスト選ばれたことを伝えた。「ホンキー・トンク・ウィメン」のギター・トラックは「カントリー・ホンク」でのテイラーリフインスパイアされ、再録音されることになった。そのため「ホンキー・トンク・ウィメン」には解雇前のブライアン演奏含めギターが3トラック収録された。 テイラー参加したライブ1970年の『ゲット・ヤー・ヤ・ヤズ・アウト』に収録されている。同作オルタモントの悲劇1週間前、マディソン・スクエア・ガーデンでの2夜連続ライブ模様収録された。彼の参加したスタジオ・アルバムは『スティッキー・フィンガーズ』『メイン・ストリートのならず者』『山羊の頭のスープ』『イッツ・オンリー・ロックン・ロール』の4作品である。 ストーンズ加入後は主にリード・ギター担当していたが、一部の曲(「ビッチ」「シェイク・ユア・ヒップス」など)ではリズム・ギター廻り、非常に的確なリズム・ギター披露していた。また「フィンガープリント・ファイル」ではベース担当した

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