ストーンズ結成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 13:55 UTC 版)
「ブライアン・ジョーンズ」の記事における「ストーンズ結成」の解説
1962年、コーナーの助言によりロンドンに移ったブライアンは、デパート店員の職を得て妻子を養っていたが、音楽への情熱を捨てきれず、求人誌にバンドメンバー募集広告を載せた。これを見て連絡してきたのが、後にバンドメイトとなるイアン・スチュワートだった。3月、コーナーによるブルース・バンド、ブルース・インコーポレイテッドにギタリストとして参加。このバンドには、やはり後にバンドメイトとなるチャーリー・ワッツも参加していた。 同年4月7日、イーリング・ジャズ・クラブでエルモア・ジェームスの「ダスト・マイ・ブルーム」をスライドギターで演奏する。この時観客として来ていたミック・ジャガーとキース・リチャーズは感銘を受け、ギグの後初めてブライアンと言葉を交わした。3人は「世界中でこの手の音楽をやっている唯一の仲間」である事を確信し意気投合、バンド結成への運びとなった。6月、ブライアンが「ローリング・ストーンズ」のバンド名を提案、一部のメンバーから反発されるが、他に代案が示されなかった事から「ローリング・ストーンズ」に決定した。7月より、ストーンズはマーキー・クラブに腰を落ち着けて活動する。またこの頃より、ブライアン、ミック、キースの3人は、チェルシーのアパートで共同生活を始める。 12月、空席だったベーシストの座にビル・ワイマンが就き、翌1963年には複数のバンドを掛け持ちしていたチャーリー・ワッツの引き抜きに成功。同年6月にストーンズはレコード・デビューを果たす。ブライアンは紛れもなくローリング・ストーンズの創設者であった。
※この「ストーンズ結成」の解説は、「ブライアン・ジョーンズ」の解説の一部です。
「ストーンズ結成」を含む「ブライアン・ジョーンズ」の記事については、「ブライアン・ジョーンズ」の概要を参照ください。
- ストーンズ結成のページへのリンク