ゲーム機としてのC64
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「コモドール64」の記事における「ゲーム機としてのC64」の解説
C64を筆頭とするホームコンピュータ市場の攻勢は、アタリショック後のアタリ社製家庭用ゲーム機に追い討ちをかけ、北米のゲーム専用機の市場は壊滅した。この状況下でホームコンピュータ用ゲーム市場のみが残る形となり、結果として北米のホームコンピュータ市場を席巻したコモドール64がNES(ファミコン)やSega Master System(セガ・マークIII)が北米に上陸する1985年までの時期の北米ゲーム市場の事実上の覇者となった。1980年代後半のゲーム市場は北米ではNESが流行し、任天堂の影響力が弱かった欧州のいくつかの国ではMaster Systemが流行したが、C64はゲームプラットホームとして既に欧米各国で確固たる市場を築いており、その牙城は崩れなかった。この頃には上位製品のC128も登場したが、ほとんどのゲームはC64/C128双方に対応した。「Commodore User」(1983年創刊)や「Zzap!64」(1985年創刊)などレビューの充実したゲーム雑誌が各国で多数刊行され、開発プラットホームをホームコンピュータにシフトすることでアタリショックを生き延びたほぼ唯一のゲームメーカーとなった最大手のアクティビジョンを筆頭として、新興のエレクトロニック・アーツ、U.S. Gold、Ocean Softwareといったゲームメーカーが良作を投入する体制が整っていた。NESで人気のソフトは多くがC64でもリリースされ、さらには「R-TYPE」や「ニンジャウォーリアーズ」などファミコン(NES)にすら移植されなかった日本製人気アーケードゲームも多数移植されている。「アウトラン」や「スペースハリアー」などのMaster Systemのキラーソフトのセガ製品がC64にリリースされ、C64のキラーソフトとして機能したことも特筆される。若者におけるホビーパソコンの普及はデモシーンをいう文化を生んだが、デモシーンで活躍した若年ハッカーたちが後にプロのゲーム製作者となる例もドイツのファクター5をはじめとして多々あり、そういった人々がNESなどの強力なライバルが登場した後もC64にソフトを供給し続けた。 C64は元々ゲーム機として企画されていたこともあり、3チャネル+ノイズ1チャネルを同時発音可能なSID音源、8枚または16枚(スプライトダブラー利用時)のスプライト機能を搭載したVDPのVIC-IIなど、同世代のパソコンと比べてサウンドおよびグラフィック性能が群を抜いており、NESやMaster Systemなどの後発のゲーム機と渡り合うのに十分な機能を持っていた。SID音源は現在の視点から見ると制約が多いが、当時チップ音源で他に類のないフィルター機能や変調機能などシンセサイザーに近い演算を行なうことで他の音源(PSG・pAPU、波形メモリ音源など)とは異なる特徴的な発声を実現していた。また高速アルペジオなどのチップチューン独特の技法と、それらの技法を駆使して曲を奏でる専門のゲーム音楽家を生み出した。C64の発売初期からRob HubbardやMartin GalwayといったSID音源を十分に使いこなすゲーム音楽作曲家が活躍していたが、発売後期に至ってはサンプリングによる合成音声すら取り入れるようになり、サンプリング音声を大々的に取り入れたJeroen Telの編曲による「ターボアウトラン」は世界3大ゲームショーの一つであるECTS(European Computer Trade Show)の1989年度開催回にて「1989年度最高の8-bit音楽」の栄誉に輝いている。 上記のような充実したソフトの結果として、C64は「ゲーム機」として1980年代後半においてもNESやMaster Systemと拮抗する人気を持つことに成功し、16ビット機が普及する1990年頃まではC64向けのゲームも相当数がリリースされ続けた。このようなゲーム機としての自信が後述のC64 Games Systemにつながる。ちなみにNESのキラーソフトの「スーパーマリオブラザーズ」はリリースされなかったが、マリオに酷似した「グレートギアナシスターズ」がリリースされ、人気を博した。 C64を所有するゲームオタクに過ぎなかった若者は、これを用いてソフトウェアを開発することでお金を稼げることを知った。トラミエル社長がCeBITなどの展示会に参加した際、そのような若者たちが感謝の意を表すために預金通帳を見せびらかしに来たという逸話がある。14歳にしてゲーム製作に目覚め、17歳にしてZeppelin Games(現Eutechnyx)を立ち上げたイギリスのBrian Joblingや、前述のマリオのパクリゲーム「グレートギアナシスターズ」や「R-TYPE」のパクリゲーム「カタキス」を製作して訴えられたものの、そのあまりの技術力の高さからアイレムの公式デベロッパーとしてC64版「R-TYPE」の移植を担当することになったドイツのManfred Trenzらが立志伝中の人物として知られている。
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