ゲーム機としてのC64とは? わかりやすく解説

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ゲーム機としてのC64

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 02:59 UTC 版)

コモドール64」の記事における「ゲーム機としてのC64」の解説

C64を筆頭とするホームコンピュータ市場攻勢は、アタリショック後のアタリ社家庭用ゲーム機追い討ちをかけ、北米ゲーム専用機市場壊滅した。この状況下でホームコンピュータゲーム市場のみが残る形となり、結果として北米ホームコンピュータ市場席巻したコモドール64NESファミコン)やSega Master Systemセガ・マークIII)が北米上陸する1985年までの時期北米ゲーム市場事実上覇者となった1980年代後半ゲーム市場北米ではNES流行し任天堂影響力弱かった欧州いくつかの国ではMaster System流行したが、C64はゲームプラットホームとして既に欧米各国確固たる市場築いており、その牙城崩れなかった。この頃には上位製品のC128も登場したが、ほとんどのゲームはC64/C128双方対応した。「Commodore User」(1983年創刊)や「Zzap!64」(1985年創刊)などレビュー充実したゲーム雑誌各国多数刊行され開発プラットホームホームコンピュータシフトすることでアタリショック生き延びたほぼ唯一のゲームメーカーとなった最大手アクティビジョン筆頭として、新興エレクトロニック・アーツU.S. GoldOcean Softwareといったゲームメーカー良作投入する体制整っていた。NES人気のソフトは多くがC64でもリリースされさらにはR-TYPE」や「ニンジャウォーリアーズ」などファミコンNES)にすら移植されなかった日本製人気アーケードゲーム多数移植されている。「アウトラン」や「スペースハリアー」などのMaster Systemキラーソフトセガ製品がC64にリリースされ、C64のキラーソフトとして機能したことも特筆される若者におけるホビーパソコン普及デモシーンをいう文化生んだが、デモシーン活躍した若年ハッカーたちが後にプロゲーム製作者となる例もドイツファクター5はじめとして多々あり、そういった人々NESなどの強力なライバル登場した後もC64にソフトを供給し続けた。 C64は元々ゲーム機として企画されていたこともあり、3チャネルノイズ1チャネル同時発音可能なSID音源、8または16(スプライトダブラー利用時)のスプライト機能搭載したVDPのVIC-IIなど、同世代パソコン比べてサウンドおよびグラフィック性能群を抜いており、NESMaster Systemなどの後発ゲーム機渡り合うのに十分な機能持っていた。SID音源現在の視点から見ると制約が多いが、当時チップ音源で他に類のないフィルター機能変調機能などシンセサイザーに近い演算行なうことで他の音源PSG・pAPU、波形メモリ音源など)とは異な特徴的な発声実現していた。また高速アルペジオなどのチップチューン独特の技法と、それらの技法駆使して曲を奏でる専門ゲーム音楽家を生み出した。C64の発売初期からRob HubbardMartin GalwayといったSID音源十分に使いこなすゲーム音楽作曲家活躍していたが、発売後期至ってサンプリングによる合成音声すら取り入れるようになり、サンプリング音声大々的取り入れたJeroen Tel編曲による「ターボアウトラン」は世界3ゲームショー一つであるECTS(European Computer Trade Show)の1989年度開催回にて「1989年度最高の8-bit音楽」の栄誉輝いている。 上記のような充実したソフトの結果として、C64は「ゲーム機」として1980年代後半においてもNESMaster System拮抗する人気を持つことに成功し16ビット機が普及する1990年頃まではC64向けのゲーム相当数リリースされ続けたこのようなゲーム機としての自信後述のC64 Games Systemにつながる。ちなみにNESキラーソフトの「スーパーマリオブラザーズ」はリリースされなかったが、マリオ酷似した「グレートギアナシスターズ」がリリースされ人気博した。 C64を所有するゲームオタクに過ぎなかった若者は、これを用いてソフトウェア開発することでお金稼げることを知った。トラミエル社長CeBITなどの展示会参加した際、そのような若者たち感謝の意を表すために預金通帳見せびらかしに来たという逸話がある。14歳にしてゲーム製作目覚め17歳にしてZeppelin Games(現Eutechnyx)を立ち上げたイギリスBrian Joblingや、前述マリオのパクリゲーム「グレートギアナシスターズ」や「R-TYPE」のパクリゲーム「カタキス」を製作して訴えられたものの、そのあまりの技術力の高さからアイレムの公式デベロッパーとしてC64版「R-TYPE」の移植担当することになったドイツManfred Trenzらが立志伝中の人物として知られている。

※この「ゲーム機としてのC64」の解説は、「コモドール64」の解説の一部です。
「ゲーム機としてのC64」を含む「コモドール64」の記事については、「コモドール64」の概要を参照ください。

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