クリーク戦争とニグロ砦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/31 04:48 UTC 版)
「セミノール戦争」の記事における「クリーク戦争とニグロ砦」の解説
フロリダのセミノールに影響する次の大きい出来事は、1813年から1814年のクリーク戦争であった。1814年、アンドリュー・ジャクソンはホースシュー・ベンドの戦いでクリーク族のレッド・スティックス一派(en:Red Sticks)に打ち勝った後に、国民的英雄となった。彼の勝利の後、ジャクソンはクリーク族にフォート・ジャクソン条約(en:Treaty of Fort Jackson)を押しつけ、ジョージア南部と、アラバマ中部および南部のクリーク族の土地を収奪した。この結果、多くのクリーク族が、アラバマとジョージアを去ってフロリダに移動した。 1814年にも、アメリカ合衆国と交戦していたイギリスは、西フロリダのペンサコーラや他の場所に軍隊を上陸させ、インディアンの同盟を編成し始めた。1814年5月、イギリス軍はアパラチコーラ川の河口に入り、セミノール、クリーク、および逃亡奴隷に武器を配った。イギリス軍は上流に移動し、プロスペクト・ブラフ(en:Fort Gadsden)に砦を築き始めた。ジャクソン将軍率いるアメリカ軍は、モービルへの攻撃によってイギリス軍と彼らのインディアン同盟軍を撃退した後、ペンサコーラからイギリス軍を追い出した。しかし、プロスペクト・ブラフの砦は機能し続けた。米英戦争が終わったとき、イギリス軍部隊は、イギリス海兵隊のエドワード・ニコルズ少将を除いて西フロリダへ去った。彼は、大砲、マスケット銃、および弾薬を砦に供給することを指示し、ガン条約が、ジョージアとアラバマのクリークの土地を含む、戦争の間に失われたすべてのインディアンの土地の復帰を保証するとインディアンに伝えた。しかしセミノールは、砦の守備には関心がなく、彼らの村に戻った。1815年の夏にニコルズ少将が去る前に、彼は地域の逃亡奴隷に砦の占有をするように誘った。この砦の噂は広まり、それはすぐにアメリカ南部の白人たちに「ニグロ砦」と呼ばれるようになった。彼らは自分たちの奴隷が逃亡したり反乱したりする危険な予感として砦を見なした。 アンドリュー・ジャクソンはニグロ砦を排除したがっていたが、それはスペイン領内にあった。1816年4月、彼は、スペインがその砦を排除しないのなら彼が排除することを、西フロリダ総督に知らせた。総督は、彼には砦を取り返す手段がないと返答した。ジャクソンは、エドモンド・ペンデルトン・ゲインズ(en:Edmund P. Gaines)准将を砦の対処に割り当てた。ゲインズは、フロリダの境界のすぐ北のフリント川(en:Flint River (Georgia))に、スコット砦を造るようにダンカン・ラモント・クリンチ(en:Duncan Lamont Clinch)大佐に指示した。そして、ゲインズは、ニューオーリンズからアパラチコーラ川経由でスコット砦へ供給するという彼の意志を明らかにした。これはスペイン領とニグロ砦を通り過ぎることを意味していた。ゲインズは、スコット砦に供給するのにアパラチコーラを使用することは、米国陸軍がセミノールとニグロ砦を監視することになり、そしてもし砦から補給船へ発砲するならば、それはアメリカ軍に砦を破壊する口実を与えるであろうとジャクソンに伝えた。 スコット砦への供給船隊は、1816年7月にアパラチコーラに到達した。クリンチは100人以上の米兵とおよそ150名のクリーク族の軍隊と共に、アパラチコーラを進軍した。供給船隊はニグロ砦でクリンチに出会い、そして船隊を率いた2隻の砲艦が、砦から川を横切って位置についた。砦の黒人は、アメリカ兵と彼らのクリーク同盟軍に向けて大砲を発射したが、しかし大砲を向ける際の訓練も経験もなかった。アメリカ軍は撃ち返し、そして、砲艦によって撃たれた9番目の発砲は、砦の火薬庫に落ちた。この結果起こった爆発は、ペンサコーラから160km(100マイル)以上離れたところでも聞こえて、砦を破壊した。砦にいたおよそ320名のうち、250名以上は即死し、そして、さらに多くの人はすぐ後に負傷により死亡した。砦の破壊の後、アメリカ陸軍はフロリダから撤退したが、アメリカからの不法入居者と無法者は、セミノールに対して襲撃を実行し、インディアンを殺して、彼らの奴隷と牛を盗んだ。アメリカの白人によって遂行された殺害と窃盗に関する憤りは、セミノールたちの中で広まり、それは報復と、特に入植者から牛を盗むことに通じた。1817年2月24日、セミノールはジョージア州カムデン郡在住の女性、ギャレット夫人と、彼女の3歳になる子供と生後2か月の子供を殺害した。
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