キリスト教と社会主義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 14:28 UTC 版)
「日本のキリスト教史」および「アナキズム#日本におけるアナキズム」も参照 日本において近代化による社会矛盾と戦ったのはキリスト教徒と社会主義者である。資本主義と資本主義による矛盾を日本にもたらした日清戦争や日露戦争の後にキリスト教社会主義運動が活発となった。多くの日本の社会主義者はキリスト教的人間中心主義に影響を受けており、この点で彼らはキリスト教と強く関連している。 キリスト教は江戸幕府によって禁じられたが明治の知識人に影響した。内村鑑三は「二つのJ」の思想を発展させて伝統的な武士道とキリスト教を統合した。自分の天職は「日本(Japan)」と「イエス(Jesus)」に奉仕することだと彼は信じていた。彼は無教会運動を提唱した。彼は教育勅語に挑戦して日露戦争に反対した。新渡戸稲造はクェーカー教徒で日本文化とキリスト教の融合に努めた。彼は日本文化を海外に紹介した。また、彼は国際連盟事務次長になった。新島襄は渡米して神学を学び、京都に同志社英学校(のちの同志社大学)を設立してキリスト教による人格陶冶に従事した。 日清・日露戦争期には、日本が産業革命を通じて資本化に成功するとともに資本主義に対抗する社会主義が広がっていた。しかし、社会運動は1900年に制定された治安警察法によって抑圧され、ついには1910年の大逆事件で社会主義者たちは軍隊及びファシスト政府によって根絶やしにされた。河上肇は新聞で困窮について記事を書いている。彼は、初めは個人の変革によって貧困を解決することを強調したが、後にマルクス主義者になって社会的強制による社会変革を主張した。幸徳秋水はもともと議会を通じての社会主義の実現を模索していたが、ユニオニストとなってゼネラル・ストライキによる直接的行動を訴えた。彼は1910年の大逆事件の首謀者として処刑された。大杉栄はアナーキズムとユニオニズムを利用して個人的自由を主張した。彼は政府によって脅威とみなされ、関東大震災の後の混乱の中で秘密警察に暗殺された。 1925年に、元軍人で新聞記者の夢野久作は九州日報連載「東京人の堕落時代」の中で、「田舎の人々が東京へ集まる傾向が強まり、世間が世智辛くなっていった。日本の教育は忠孝仁義を説きながら、実は物質万能、智識万能を教えており、日本の若者はことごとく物質万能主義者となっている。」「上流社会が平民的になってきて、風紀頽廃していった」と述べている。また、「無産階級の人々が目標とし、規準とする生活が、東京人の生活と同様の意味の文化生活を夢見るものであったならば、それ等の人々の覚醒と運動とは、将来に於て無価値のものとなり終るべき可能性を、充分に持っていはしまいかと疑い得られる」として都会人による社会主義にも警告を発しているほか、「農民文化が尊重される傾向が出来つつある」「新たに天下を取る者は常に田舎者である」「今日の如く、東京を憧憬する人々、東京の文化を本当の文化と信ずる人々が無暗に殖えて行ったならば、今に日本人全体が東京人のようになってしまいはしまいか」として地方の人々による警鐘が必要ではないかとした。
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