エセックス伯爵との対立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/08 15:00 UTC 版)
「ロバート・セシル (初代ソールズベリー伯)」の記事における「エセックス伯爵との対立」の解説
宮廷内ではエリザベス女王の寵臣であるエセックス伯(1593年に枢密顧問官となる)とセシル親子の対立が深まっていった。エセックス伯はエリザベス女王と血縁関係があり、野心的な美男子だったため、国民人気が高かった。特に都市とその選挙区における人気は絶大であり、セシル親子も圧倒されるほどだった。 エセックス伯は宮廷内にセシル親子に対抗する派閥を作ろうと自分の取り巻きを高官職に就けることに腐心した。1593年には法務長官トマス・エジャートンが国璽尚書兼大法官に昇進したのに伴って法務長官ポストが空席となったが、その後任人事をめぐって、エセックス伯が庶民院議員フランシス・ベーコンを推したのに対してセシル親子は法務次官(英語版)エドワード・コークを推して対立が深まった。結局この件はエリザベス女王が1594年にコークに決定したことでセシル親子の勝利に終わったが、エセックス伯の女王の寵愛や国民人気は続き、セシル親子の権勢を脅かし続けた。 ついでエセックス伯は、女王暗殺を企んだとしてポルトガル・ユダヤ人の女王侍医ロドリゴ・ロペス(英語版)を逮捕したが、長く女王に仕えてきたロペスが今更そんなことをするはずがないと考えたセシル親子は冤罪と主張し、再びエセックス伯と対立した。女王もはじめ冤罪と考え、エセックス伯を叱責したが、まもなくエセックス伯の説得で翻意し、ロペスの取り調べを許した。エセックス伯は世論の反ユダヤ主義が高まったのを好機として、ロペスを是が非でも犯人に仕立て上げようとし、拷問の末に「自白」を引き出して裁判にかけて死刑に追い込んだ。 エセックス伯がカディスへ出兵していて不在の1596年7月、セシルは国王秘書長官に任じられた。同じくエセックス伯がアゾレスへ出兵していて不在の1597年にランカスター公領大臣に任じられた。もちろんエセックス伯としては自分の不在時にセシルが高官ポストを次々と得ていることを快くは思っていなかったが、エセックス伯自身も戦争指揮によって英雄化し、セシル親子に対抗する足場を着実に築いていった。 スペインとの戦争が長引く中、女王の宮廷の廷臣たちの意見は二つに分かれた。セシル親子をはじめとする和平派とエセックス伯をはじめとする主戦派である(エセックス伯は戦争が終わってしまうと自分の国民人気が薄くなり、セシル親子の権力が増大すると恐れていた)。1598年2月にセシルはフランス・パリへ派遣され、フランス単独でスペインと講和を結ばないようアンリ4世の説得にあたった。しかし成果はなく、フランスは5月にもスペインと講和して、イングランド・ネーデルラントとの同盟から離れている。セシルら和平派はこれを機にイングランドもスペインと講和に入るべきと主張したが、エセックス伯ら主戦派はこれまでネーデルラントに投資してきた金が全て無駄になると主張して徹底抗戦を唱え続けた。この論争は最終的にはネーデルラント外交官たちの巧みさもあって主戦派が勝利している。 1598年7月1日にはアイルランド総督人事の論争をめぐって女王がエセックス伯を侮辱し、それに激怒したエセックス伯が剣に手をかけるという事件があり、女王とエセックス伯の関係がギクシャクした。セシルにとっては好機だったが、彼も同時期に痛手を被った。8月4日に父バーリー卿が死去したのだった。 翌1599年には父が就いていた後見裁判所(英語版)長官に就任した。これは人事権を掌握する実りのいい役職であった。 一方エセックス伯はアイルランド総督に任じられ、1599年3月にアイルランド反乱鎮圧に向かったが、鎮圧に失敗し、9月には軍を置き去りにして一人逃げ戻ってきた。女王は彼を自宅謹慎処分とし、期限切れが迫っているエセックス伯のワイン輸入税の独占権を更新しないことを決定した。これはエセックス伯にとって大きな経済的打撃だった。世論のエセックス伯人気は依然高く、巷にはセシルが女王に讒言を行い、エセックス伯を陥れようとしているという風説が流れた。こうした自らの国民人気を過信したエセックス伯は1601年2月、セシルの解任を女王に強要すべくクーデターを起こしたが、民衆はほとんど参加しなかった。セシルの対応も素早く、ただちにエセックス伯を大逆者と断じ、軍隊を出動させた。エセックス伯は瞬く間に逮捕され、裁判の末に死刑となった。 エセックス伯の失脚でセシルの権勢を脅かしうる者はいなくなった。
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