ウォーターゲート事件と辞任
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 16:20 UTC 版)
「リチャード・ニクソン」の記事における「ウォーターゲート事件と辞任」の解説
詳細は「ウォーターゲート事件」を参照 外交と内政で大きな成果をおさめ、内外からその手腕が高い評価を受けて大統領選挙で再選を果たしたニクソンを、アメリカ史上初めての大統領任期中の辞任という不名誉な状況に追い込んだのが、大統領選挙の予備選挙が最終盤を迎えた1972年6月に起きた民主党全国委員会本部への不法侵入および盗聴事件、いわゆる「ウォーターゲート事件」である。 1972年6月17日にワシントンD.C.のウォーターゲート・ビル内にある民主党全国委員会本部オフィスへの不法侵入と盗聴器の設置容疑で逮捕された5人のうち、1人はジェームズ・W・マッコード・ジュニアでニクソン大統領再選委員会の警備主任であった。また他の2人が所持していた手帳には、元ホワイトハウス顧問エドワード・ハワード・ハントの自宅の電話番号と「House.WH」と書かれていた。このために、ニクソン政権に近い者がこの事件に何らかの形で関与されていると疑われたが、当初ニクソンとホワイトハウスのスタッフは「民主党全国委員会本部オフィスへの侵入事件と政権とは無関係」として、1972年秋の大統領選挙には全く影響は無かった。 しかし2期目の大統領就任後の1973年3月になって、マッコードが大統領再選委員会とホワイトハウスのスタッフが関与していることを明らかにして、これが政権の屋台骨を揺さぶるスキャンダルに発展した。 そして上院に特別調査委員会が設置されて、委員会の質疑からやがて侵入事件発覚後のかなり早い時期にニクソンが知って「もみ消し」に関わっていたかが焦点となっていった。そしてこの事件調査の過程で、大統領執務室内の会話が録音されている(バターフィールド証言。但しこれはニクソン以前にケネディも行っていた)ことが判明して、その会話を録音したテープの提出を求められて、事件の調査は事件直後にホワイトハウス内でどのような会話がされていたのかが焦点となった。最初は録音テープの提出を拒み、やがて一部提出されたテープには18分も消去された部分があって、謎が深まった。そして1973年10月にニクソン自身がこの事件調査のため設置して司法長官が任命したアーチボールド・コックス特別検察官を突然解任しようとして司法長官や次官が相次いで辞任する事態(土曜日の夜の虐殺)となり、国民にも「大統領はもみ消しに関わっていた」という疑惑が拡大し、しかも同じ時期に副大統領のアグニューが知事時代の収賄事件で突然辞任してニクソン政権は窮地に陥った。これで議会は大統領弾劾に動き始めた。 当初ニクソンはこの盗聴事件についてその詳細を知ったのは事件から9ヶ月後の1973年3月であるという説明を行っていた。しかし連邦最高裁の決定で提出された録音テープの会話記録から、実際には1972年6月23日(侵入事件の6日後)にはすでに事件を知っており、明らかなFBIへの捜査妨害を指示していたことが明らかになった。このため下院司法委員会が弾劾の発議を可決し、さらには上院での弾劾裁判で反対票を投じるはずの与党共和党の議員からも雪崩のようにニクソンへの支持撤回が相次ぎ、8月7日に共和党上院の有力者からもはや大統領弾劾を回避することが不可能と伝えられ、ついに辞任を決意した。 そして1974年8月8日夜、ホワイトハウスからテレビで全米の国民に大統領を辞任することを表明し、ウォーターゲート事件の責任をとる形で翌8月9日に正式に辞任した。なお、大統領の辞任はアメリカ史上初めてのことであり、その後も辞任した大統領は現れていない。大統領が議会の弾劾の動きに直面したのは、リンカーン暗殺後に昇格した第17代大統領アンドリュー・ジョンソン以来であった。また、辞任の瞬間大統領専用機エアフォースワンに搭乗しており、辞任の瞬間に別のコールサインへ変更された。こちらも現在のところ唯一の例である。 後任の大統領に昇格したフォードは、ウォーターゲート事件の訴追前の段階であった9月8日、ニクソンに対する特別恩赦を行った。これによりニクソンは、大統領在任期間中のあらゆる罪について問われることは無くなった。誰が何のために不法侵入と盗聴を指示したかは未だに定かではないし、ニクソンもどこまで関わっていたのか明らかにならず、事件は幕が下ろされた。結局自ら辞職したことでニクソンは現実に弾劾されず有罪と判決されもしなかったが、恩赦の受理は実質的に有罪を意味した。 アメリカ国内での諜報機関が非合法監視活動を行っていたこの事件は自由の国アメリカのイメージを国内外で大きく失墜させ、1975年に元上院議員フランク・チャーチによって組織された委員会の提言で外国情報監視法 (FISA) の成立につながった。 なお事件後にニクソンや事件関係者が証拠隠滅のためにウォータゲート事件の資料を廃棄できないよう、アメリカ合衆国議会が制定した大統領録音記録および資料保存法によってウォーターゲート関連書類は政府が押収した。資料はワシントンD.C.地域外への持ち出しが禁止されたので、カリフォルニア州ヨーバリンダの「ニクソン生誕地図書館」ではなくアメリカ国立公文書記録管理局 (NARA) に保管されていた。
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