インノケンティウス5世 (ローマ教皇)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/23 02:07 UTC 版)
インノケンティウス5世 | |
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第185代 ローマ教皇 | |
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教皇就任 | 1276年1月21日 |
教皇離任 | 1276年6月22日 |
先代 | グレゴリウス10世 |
次代 | ハドリアヌス5世 |
司教叙階 | 1272年 |
その他 | 1273年: 司教枢機卿 |
聖人 | |
列福 | 1898年 教皇領、ローマ |
列福決定者 | レオ13世 |
個人情報 | |
出生 | 1224年ごろ[1]/1225年ごろ[2]![]() |
死去 | 1276年6月22日 教皇領、ローマ |
埋葬地 | 教皇領、ローマ、サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂 |
母校 | パリ大学 |
紋章 | ![]() |
その他のインノケンティウス |
インノケンティウス5世(Innocentius V, 122年 - 1276年6月22日)は、ローマ教皇(在位:1276年)。本名はピエール・ド・タランテーズ(Pierre de Tarentaise)[1]。史上初のドミニコ会出身の教皇である[1]。前任者グレゴリウス10世の親ドイツ政策を取り消し、ドイツ王ルドルフ1世にローマ遠征を延期させた[1]。
生涯
教皇選出まで
16歳のときにドミニコ会に入り[3]、トマス・アクィナス、アルベルトゥス・マグヌス、ボナヴェントゥラのもとで神学を学んだ[2]。1259年にパリ大学神学部を卒業し、同校で教鞭を執った[3]。
1262年にドミニコ会のフランス管区長に選出され、1271年[2]/1272年にリヨン大司教、1273年にオスティアの司教枢機卿に任命された[3]。1274年の第2リヨン公会議で説教を行い、同年のボナヴェントゥラの葬儀で説教した[3]。
1276年1月10日に教皇グレゴリウス10世がアレッツォで死去すると、同地でコンクラーヴェが行われ、1月21日に枢機卿団の全会一致で教皇に選ばれた[1]。選出の背景にシチリア王シャルル・ダンジューの影響力があった[2]。教皇名に「インノケンティウス5世」を選び、史上初のドミニコ会出身の教皇となった[3]。インノケンティウス5世は直ちにローマに向かい、2月22日に到着、25日に教皇として戴冠した[1]。
教皇として
インノケンティウス5世の選出はローマ教皇庁の政治における方針転換を意味した[1]。具体的にはグレゴリウス10世が採用していた、シャルル・ダンジューの影響力を削ぐための親ドイツ政策が取り消され、3月2日にはインノケンティウス5世がシャルル・ダンジューにローマのSummus Senator、トスカーナにおける教皇代理といった名誉職を与えた[1]。またグレゴリウス10世が同意した、ドイツ王ルドルフ1世の神聖ローマ皇帝戴冠を目的としたローマ遠征の延期を要請した[1]。ただし、『カトリック百科事典』はインノケンティウス5世が「ルドルフ1世とシャルルの調停役を務めた」とした[3]。一方で十字軍の派遣を目指すべく、ヨーロッパ諸国の平和を目指す政策は継続された[1]。具体例としてイタリアにおける教皇派と皇帝派の融和を目指し、ピサ共和国とルッカ共和国の講和を達成した[3]。
対東ローマ帝国政策はMcBrien (1997)で「不適切」と評された[1]。具体的には、シャルル・ダンジューがコンスタンティノープル再占領を目指したことについて、東ローマ皇帝ミカエル8世パレオロゴスに低姿勢だった一方、東西教会の合同の主な争点の1つであるフィリオクェ問題をめぐり東方教会の聖職者が「フィリオクェ」を認める宣誓を強硬に要求した[1]。
教皇が白いキャソックを着る慣習はインノケンティウス5世がはじめたとも、同じくドミニコ会出身のピウス5世(16世紀の教皇)がはじめたともされる[1]。
死去
就任からわずか半年後、1276年6月22日にローマで死去[3]、サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂に埋葬された[1]。後任にハドリアヌス5世が選出された[2]。
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o McBrien, Richard P. (1997). Lives of the Popes: The Pontiffs from St. Peter to John Paul II (英語) (1st ed.). New York: HarperCollins. pp. 220–221. ISBN 0-06-065304-3.
- ^ a b c d e f Hayes, Carlton Joseph Huntley (1911). Chisholm, Hugh (ed.). Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 14 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 581. . In
- ^ a b c d e f g h Weber, Nicholas Aloysius (1910). Catholic Encyclopedia (英語). Vol. 8. New York: Robert Appleton Company. p. 18. . In Herbermann, Charles (ed.).
関連文献
- Wood, James, ed. (1907). . The Nuttall Encyclopædia (英語). London and New York: Frederick Warne.
外部リンク
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