イブン・トゥールーンの下での新しい統治体制
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「アフマド・ブン・トゥールーン」の記事における「イブン・トゥールーンの下での新しい統治体制」の解説
イブン・トゥールーンが着任する以前からエジプトの行政は既に整備されており、地租の徴収、駅逓業務の監督、公営の穀物庫(dīwān al-ahrāʿ)、ナイルデルタの土地(dīwān asfal al-arḍ)、そして恐らくは総督が個人的に利用するための手許資金(dīwān al-khaṣṣ)なども管理する行政機関(dīwān)が多数存在していた。また、専門の公文書作成機関(dīwān al-inshāʾ)も恐らく既に存在していたか、あるいはアッバース朝の中央政府による統治が終わった後にイブン・トゥールーンがエジプトの行政を再整備した際に設置されたとみられている。イブン・トゥールーンに採用された官僚の多くはイブン・トゥールーンと同様にサーマッラーのカリフの宮廷で教育を受けた者たちだった。イブン・トゥールーンの宰相は有能な人物であったアブー・ジャアファル・ムハンマド・ブン・アブドゥルカーン(891年没)であり、その他の行政部門の要職にはムハージル家の4人の兄弟とイブン・アッ=ダーヤが就任していた。また、アル=バラウィーはイブン・トゥールーンが大がかりなスパイ網を用いていたことや、自分に対して送り込まれたスパイを見破っていたというイブン・トゥールーンの才能に関するいくつかの逸話を紹介しており、さらにはカリフの宮廷とのあらゆる情報交換を調べ上げることができるようにするために専門の公文書作成機関が設置されたと主張している。 奴隷軍人としての出自を考えれば驚くべきことではないものの、さまざまな点においてイブン・トゥールーンの統治体制は、アッバース朝の支配地域が分裂し、新しい王朝が台頭した9世紀から10世紀にかけてのイスラーム世界における政治形態の大きな枠組みの一つであった「グラーム支配体制」の典型と言えるものだった。これらの政権はギルマーンからなる常備軍を権力の基盤としていたが、歴史家のヒュー・ナイジェル・ケネディ(英語版)は、その一方で「軍隊への俸給が政府の最も大きな関心事となっていた」と指摘している。879年にエジプトとシリアの財政管理がその後70年にわたってエジプトの財務機構を支配したマーザラーイー家(英語版)の創始者であるアブー・バクル・アフマド・ブン・イブラーヒーム・アル=マーザラーイー(英語版)の手に移ったのはこのような財政需要の増加が背景にあったためである。歴史家のザキー・M・ハサンは、「断片的な証拠からトゥールーン朝の経済および財政政策を完全に評価することはできない」と述べているものの、トゥールーン朝の統治体制の下でもたらされた平和と安全、効率的な行政の確立、灌漑システムの修繕と拡張、そして常に高い水位を維持していたナイル川の氾濫などが一体となって歳入の大幅な増加につながったと考えられている。イブン・トゥールーンが死去するまでの間に地租収入に限ってもイブン・アル=ムダッビルの時代の800,000ディナールから4,300,000ディナールに増加し、イブン・トゥールーンは後継者に10,000,000ディナールの財政上の余剰金を残している。このような富を残すにあたって極めて重要となったのは課税額の評価と徴税請負制度の導入を含む徴税制度の改革であり、同時に徴税請負制度の導入は新しい土地所有者階級の台頭につながった。また、その他の歳入は商業活動からもたらされていたが、中でも多くを占めていたのは織物類であり、特にリネンが中心となっていた。 イブン・トゥールーンの統治体制は高度に中央集権的であったが、同時に「エジプトの商業、宗教、および社会の支配層から支持を得るための一貫した努力」も特徴を成していたとザキー・M・ハサンは述べている。特に裕福な商人であったマアマル・アル=ジャウハルは、イブン・トゥールーンへの個人的な資金提供者として、またイラクでの人脈を生かした私的な情報網の統率者として動いていた。歴史家のティエリ・ビアンキによれば、イブン・トゥールーンの統治におけるさらなる「顕著な特徴」は、「キリスト教徒やユダヤ教徒との持続的で質の高い関係性」にあった。エルサレム総主教エリアス3世(英語版)(在位:879年 - 907年)の手紙によれば、イブン・トゥールーンはパレスチナを支配下に置いた際にキリスト教徒の者を州都のラムラか、あるいはエルサレムにおいてのみ総督として任命した。また、この任命によってキリスト教徒への迫害を終わらせ、教会を修復する許可を総督に与えた。
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