アレクサンダー・スポッツウッド
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/03 14:47 UTC 版)
「黒髭」の記事における「アレクサンダー・スポッツウッド」の解説
ティーチとヴェインが一時的に手を結んだニュースは近隣の植民地全体に広がり、心配したペンシルベニア植民地総督は海賊逮捕のために2隻のスループ船を派遣するのに及んだほどだった。バージニア植民地総督アレクサンダー・スポッツウッド(英語版)もまた、引退したとされる海賊やその船員が、ほど近いノースカロライナに住んでいたために警戒した。実際、ティーチの元手下たちのいくらかは既にいくつかのバージニア植民地の港町に移り住んでいたが、7月10日にスポッツウッドは、すべての元海賊たちは当局に名乗り出ること、武器の携行は許さないこと、3人以上での旅行を禁じることを宣言した。王室直轄領の植民地の長としてスポッツウッドは、ノースカロライナの為政者たちを侮蔑して見ていた。なぜなら、カロライナの者たちに海賊を抑える能力があるとは思っていなかったし、だから元海賊たちは金に困れば、すぐにかつての仕事に戻ってバージニアの商業に混乱を与えると疑っていた。 スポッツウッドは、アン女王の復讐号の元操舵手であったウィリアム・ハワードがこの地域にいたことを知り、彼がティーチの居場所を知っているのではないかと考え、彼と彼の2人の奴隷を逮捕した。しかし、スポッツウッドは、海賊を裁判にかけるための法的権限を持たず、その結果、ハワードの弁護を担当したジョン・ホロウェイは、彼を逮捕した英国艦ライム号のブランド艦長を告訴した。加えてホロウェイは、ハワードの代理人として500ポンドの損害賠償を訴え、これが不当逮捕だと主張した。 スポッツウッドの諮問委員会はウィリアム3世の法令を引用し、総督は危急の場合には陪審員なしで海賊を裁判にかける権限を有し、ティーチの存在はまさに危険であるため適法という見解を出した。ハワードに対する起訴内容は、恩赦後にいくつかの海賊行為に関与したというものであったが、その被害は「スペイン王国に所属するスループ船」であって、スポッツウッドの管轄外の地域及び船舶であったが、その事実を無視し合法な裁判とした。また別の2件の襲撃容疑もかけられ、その1つはチャールズタウン・バー沖での奴隷船の拿捕であり、ハワードの奴隷の1人はその時のものと推定された。ハワードは海賊行為の容疑で代理海事裁判所の審議に送られたが、ブランド艦長と彼の同僚である(英国艦パール号の)ゴードン艦長は、ホロウェイを相手にすることを拒んだ。ホロウェイは、スポッツウッドが「(ホロウェイよりも)尊敬すべき人物」と評するバージニア植民地司法長官ジョン・クレイトンに交代させられて、法廷から退去させられ激怒したが他に選択肢はなかった。ハワードは有罪判決を受けて絞首刑を宣告されたが、ロンドンの委員会はスポッツウッドに1718年7月23日以前の海賊行為は赦免するよう命令し、死刑は免れた。 スポッツウッドはハワードからティーチの居場所に関する貴重な情報を聞き出し、彼を捕まえるために管轄外のノースカロライナに自分の部隊を送ることを画策した。スポッツウッドは、ノースカロライナの提督と敵対する2人の男、エドワーズ・モーズリーと、モーリス・ムーア大佐の協力を得た。さらに商務庁を通して王室にティーチの逮捕によって経済的利益を得られるかもしれないと提案した。スポッツウッドはおそらくティーチが莫大な財宝を隠し持っていると信じており、個人的にもこの計画に出資していた。スポッツウッドは、パール号とライム号の艦長であるゴードンとブランドに陸路でバスへ向かうよう命令した。そして英国艦パール号に所属するロバート・メイナード大尉に2隻の指揮権を与え、海から町に近づくものとした。ティーチの逮捕を目指す執拗な動機は、王室から賜ることができるかもしれないもの以上に、バージニア植民地議会からの報奨金だった。 11月17日、メイナードは2隻の武装スループ船の指揮を執ることになった。彼は、英国艦パール号から33名、英国艦ライム号から24名の計57名を与えられた。メイナードは2隻の内、大きい方を乗艦に選びジェーン号と名付け英国艦パール号の人員を充てた。もう1隻の方はレンジャー号と名付け、メイナードの部下の一人ハイドが艦長に命じられた。2隻に元々乗っていた民間の乗組員の何人かも船に残っていた。11月17日、彼らはジェームズ川に沿ってケコダンから出航した。この行軍速度は遅く、ブランドがバスに到着するための時間的猶予が与えられた。ノースカロライナに向けて出発した6日後、11月23日にブランドはバスの3マイル以内に到着した。ブランドの部隊には、他植民地の兵隊がやってきたことに対する抗議を伝えるために、ムーア大佐やエレミアベイル大尉を含む数人のノースカロライナ人が派遣された。ムーアはティーチがそこにいるかどうかを確かめるために町に入り、彼はいなかったが海賊がいることは期待できると報告した。その後、ブランドはイーデンン総督の家に行き、自分のたちの目的を通達した。翌日、ブランドはパムリコ川に沿って2つのカヌーをオクラコークの入り江に送り、ティーチが発見できるか確認した。彼らは2日後に戻り、最終的に何があったかを報告した。
※この「アレクサンダー・スポッツウッド」の解説は、「黒髭」の解説の一部です。
「アレクサンダー・スポッツウッド」を含む「黒髭」の記事については、「黒髭」の概要を参照ください。
Weblioに収録されているすべての辞書からアレクサンダー・スポッツウッドを検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。

- アレクサンダー・スポッツウッドのページへのリンク