アルゼンチンとチリの建艦競争とは? わかりやすく解説

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アルゼンチンとチリの建艦競争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 14:00 UTC 版)

南アメリカの建艦競争」の記事における「アルゼンチンとチリの建艦競争」の解説

詳細は「アルゼンチンとチリの建艦競争(英語版)」を参照 アルゼンチンチリ主要な軍艦購入注文1887年 - 1902年)年 船(種類) 年 船(種類1887年 カピタン・プラト(英語版)(BB)プレシデンテ・エラスリス(Presidente Errázuriz,PC)プレシデンテ・ピント(英語版)(PC) 1896年 オイギンス英語版)(AC) 1888年 リベルタド(英語版)(BB)インデペンデンシア(BB) 1896年 サン・マルティン英語版)(AC) 1890年 ベインティシンコ・デ・マヨVeinticinco de Mayo,PC1897年 プエイレドン(英語版)(AC) 1891年 ヌエベ・デ・フリオ(英語版)(PC) 1898年 ヘネラル・ベルグラーノ英語版)(AC) 1892年 ブランコ・エンカラダ(英語版)(PC) 1901年 リバダビア(AC)マリアーノ・モレノ(AC) 1894年 ブエノス・アイレス(PC) 1901年 コンスティトゥシオン(BB)リベルタード(BB) 1895年 エスメラルダ英語版)(AC)ミニストロ・センテノ(英語版)(PC) 1901年 戦艦2隻(注文したとされた) 1895年 ガリバルディ英語版)(AC) 1901年 チャカブコ(PC) 記号解: チリ アルゼンチンBB: 前弩級戦艦PC: 防護巡洋艦AC: 装甲巡洋艦 日付注文日を示す。 出典: Scheina, Naval History, pp. 4651, 297–299. アルゼンチンチリの2国が南米最南地域であるパタゴニア領有権主張したため、2国は1840年代より緊張状態にあった1872年1878年にはアルゼンチン政府より紛争地域操業する免許得た商船チリ軍艦拿捕されたことで緊張高まり1877年にはアルゼンチン軍艦がチリ免許得たアメリカ商船拿捕した。さらに1878年11月アルゼンチンサンタ・クルス川(英語版)に小艦隊派遣してチリ同様に艦隊派遣したことで両国開戦寸前になったが、それに慌てた両国条約締結して戦争回避したその後数年アルゼンチン先住民族対す軍事作戦英語版)(1870年 - 1884年)で、チリが対ボリビアペルー太平洋戦争1879年 - 1883年)で手いっぱいだったが、両国とも軍艦を数隻注文したチリ防護巡洋艦エスメラルダを、アルゼンチン装甲艦アルミランテ・ブラウン防護巡洋艦パタゴニア英語版)を注文した1887年チリ政府海軍予算を3,129,500ポンド増やした当時チリ艦隊1870年代からの装甲艦アルミランテ・コクラン(英語版)とブランコ・エンカラダ(英語版)が主力であったが、チリ戦艦カピタン・プラト(英語版)、防護巡洋艦2隻、水雷艇2隻を注文、6隻とも1890年起工したアルゼンチン政府即座に戦艦のリベルタド(英語版)とインデペンデンシア注文両国間の建艦競争幕開けとなった建艦競争チリ1891年内戦英語版)という支出の高い戦争経たにもかかわらず1890年代通して行われた両国1890年から1895年でかわりばんこで巡洋艦注文それぞれ前回巡洋艦より性能を少し上げた巡洋艦注文した1895年7月アルゼンチンイタリアから装甲巡洋艦ガリバルディ英語版)を購入したことで競争が更に激しくなり、チリ負けじと装甲巡洋艦オイギンス英語版)を注文したその結果アルゼンチンは更にイタリアアンサルド社から装甲巡洋艦を1隻注文、後に2隻を追加注文した。 1899年米国アルゼンチン特命全権公使ウィリアム・ペイン・ロード(英語版)がプナ・デ・アタカマ紛争英語版)の解決仲介したため競争が一旦減速したが、両国とも1901年軍艦注文したアルゼンチン海軍イタリアから装甲巡洋艦2隻を購入チリ海軍イギリスコンスティトゥシオン前弩級戦艦2隻を注文したアルゼンチンはさらに1901年5月アンサルド内示書を調印してより大型軍艦2隻を購入したイギリス政府このように紛争拡大することに喜ばなかった。というのも、すぐにでも戦争勃発しそうな勢いであり、武装紛争当地におけるイギリス商業利益悪影響を及ぼすからである。アルゼンチンチリイギリス製品輸入しており、イギリスは主にラプラタ川通って輸送されるアルゼンチン穀物チリ硝酸塩輸入していた。そのため、イギリス政府は駐チリ大使通じて交渉仲介1902年5月28日五月協定英語版)につながった五月協定3つの協定構成され、うち3つ目の協定両国海軍武装制限向こう5年内に軍艦取得する場合18か月前の事前告知義務課した建造中の軍艦売却され、うちチリ戦艦イギリススウィフトシュア級戦艦になり、アルゼンチン装甲巡洋艦日本の春日型装甲巡洋艦になった計画中のアルゼンチン戦艦2隻の注文がすでになされたかは明らかではなかったが、いずれにしても計画はすぐに放棄された。カピタン・プラト、ガリバルディ、プエイレドンの3隻は武装解除されたが、主砲台を外せクレーンがなかったため主砲台は残された。

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