アメリカとイギリスにおける背景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/07 05:20 UTC 版)
「モーゲンソー・プラン」の記事における「アメリカとイギリスにおける背景」の解説
ヘンリー・J・モーゲンソー・Jr.財務長官は、ルーズベルト大統領を説得して国務長官コーデル・ハルや陸軍長官ヘンリー・スティムソンに書簡を書かせている。この中で「ドイツがオランダやベルギーと同じくらいにまで復興する」ことを期待するアメリカの占領政策は過剰に寛大であると述べている。またより良い政策は、ドイツ人に「一日三食、陸軍の食糧配給所のスープを食べさせ」、「彼らが残りの生涯この経験を忘れないようにさせる」ことであるとも述べている。モーゲンソーがルーズベルトに出したメモはドイツの脱工業化にとどまらず、主要戦争犯罪者に対する裁判抜きの逮捕と銃殺刑、ナチス党員・支持者・軍国主義者・戦争犯罪者に対する軍事裁判による処罰や国外追放など徹底した非ナチ化も含んでいた。またモーゲンソーはケベック会談に唯一内閣の成員として招かれていた。モーゲンソーのドイツに対する態度はスターリンのドイツに対する厳しい態度と非常に似通っていたが、モーゲンソーは親友で助言者だった財務次官補ハリー・デクスター・ホワイトに影響されていた。ホワイトはこの後の1948年に政府の機密をモスクワへ流した容疑で上院内務委員会の喚問を受け直後に急死している。 ルーズベルトがモーゲンソーの提案に賛同した動機は、スターリンのソ連との関係を維持しようという考えと、ドイツは厳しく扱われるべきだという個人的信念であろう。1944年8月26日のオランダのウィルヘルミナ女王への書簡では彼は「二つの派があります。ドイツ人に対して利他的になろう、親切心で彼らが再びキリスト教徒に戻ることを望もうという人々、もう一方はより「タフな」態度を取ろうという人々です。わたしは明確に、後者に属します。私は血に飢えているわけではありませんが、わたしはドイツ人に、今回は彼らが戦争に完敗したことを少なくとも分からせたいのです」と述べた。しかし、スターリンはドイツの工業地帯を破壊すれば、ソ連への賠償能力が失われ、戦後復興計画が遅れることを危惧して、モーゲンソープランには反対していた。ソ連が求めた経常生産物賠償はドイツ工業なくして成立しないのである。 もっともモーゲンソー・プランはルーズベルト政権内の激しい反対にあった。アメリカ政府は経常生産物賠償に積極的ではなかったが、不当に安い価格設定を強制することで莫大な差益を得ていた。ドイツへの懲罰よりも実質的な経常生産物賠償を求める声が大きかったのだ。1944年9月5日の大統領宛の書簡では、スティムソン陸軍長官は東プロイセン・シレジア・アルザス=ロレーヌの割譲とドイツ分割・ルール地方国際管理といった予防策のいくつかをとれば、これ以上ルールの産業抹殺やドイツ貧困化までの必要はないと反対している。戦争犯罪者に対する処罰についても、裁判抜きの処刑に反対し国際法廷などを設立しての法的手続きに則った方法を求めた。またハル国務長官は、モーゲンソーが外交政策に「考えられないほどの邪魔」をすることに怒り、ルーズベルトにこうした占領計画を公表すればドイツは最後まで徹底抗戦し結果多くのアメリカ兵の命を失うと語り、自らの辞任まで示唆した。 ケベック会談で、チャーチル英首相はこの計画の支持には傾かなかった。スターリン同様、ドイツの賠償能力が軽減することを恐れたのである。チャーチルはスターリンのように経常生産物からの取り立ては行われなかったが、輸出価格を国際的な市場価格よりも低く設定することで差益を得ていた。ルール地方の石炭をイギリス政府は本来の市場価格の二分の一から三分の一の価格設定で買いたたいていた。ルール地方の破壊などイギリス政府が受け入れるはずはなかった。1947年10月までの間において、西ドイツの輸出の75%は対価が支払われていなかったと算定される。その意味で、経常生産物賠償は西側占領地区でも実質的には戦争賠償の一角を形成していた。ルーズベルトは、以前にテヘラン会談でスターリンが冗談で「ドイツ軍士官の5万人くらいは処刑すべきだ」と述べた際にチャーチル一人が怒ったことを思い出し、チャーチルに「あなたはドイツにこれからも金属製の家具を作らせるつもりか。金属製家具の工場は簡単に武器工場に変わる」と説得した。この会談はいったん決裂したが、ルーズベルトはモーゲンソーとホワイトに、チャーチルの個人的な助言者であるチャーウェル卿への説得を行わせた。チャーウェルは彼らに行き過ぎたナチスへの憎悪と復讐心を感じたと書き残している。チャーチルは、「当初は猛反対したが、大統領とモーゲンソー氏が強く言い張ったので最後には私も検討に賛成した」と述べている。
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