アジアNIESの成長とアジア通貨危機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/23 07:38 UTC 版)
「現代の世界の一体化」の記事における「アジアNIESの成長とアジア通貨危機」の解説
詳細は「新興工業経済地域」、「大韓民国の経済」、「漢江の奇跡」、「台湾の経済」、「香港の経済」、「ブミプトラ政策」、および「アジア通貨危機」を参照 「開発独裁」も参照 ラテンアメリカ諸国が対外累積債務問題でハイパーインフレーションに苦悩する中で、東アジア各国では、経済成長を遂げる国が現れてきた。雁行型経済発展理論と呼ばれる理論で注目され、経済発展面で先頭を行く日本を「アジア四小竜」・「アジアNIES」の韓国、シンガポール、台湾が追撃し、さらに、タイ、マレーシア、インドネシアが続いた。 韓国は、「漢江の奇跡」と呼ばれる経済発展を遂げ、1988年のソウルオリンピック、1993年には大田国際博覧会を開催し、東アジア経済の中での存在感をアピールすることに成功した。韓国の経済発展には、朴正煕、全斗煥、盧泰愚といった軍人出身者の大統領が続いたものの、政治的には安定しており、盧泰愚の時代には、民主化が進展していった。また、世界を代表するサムスングループ、LGグループといった企業グループが登場した時代でもあった。 台湾もまた、オイルショックで産業転換を迫られ、エネルギー効率が高く、かつ、低汚染、高付加価値の産業への転換を行っていった。1979年に「十年経済建設計画」を策定し、機械、電子、電気、輸送機械を戦略工業にすえ、台湾セミコンダクター(TSMC)などの世界企業が登場した。1980年代から1990年代の台湾政治は、蔣経国、李登輝といった中国国民党の総統政権が続いていたため、政治的に安定していた。 シンガポールの場合には、経済成長に至るまでの過程が韓国とは異なり、半島部マレーシアという市場を1965年の独立で失い、国家存亡の危機に直面していた。リー・クアンユー首相は、給与の一部を強制的に貯蓄させ、その資金をもとに、国内企業の育成を進めるとともに、19世紀以来からの中継貿易をさらに進化させていった。また、ジュロン島などに工場を誘致することで、日本に次ぐ工業国へ発展させていった。 1949年に、中華人民共和国が成立するとイギリスの植民地のまま残っていた香港も、本土とは別の経済発展を遂げるようになった。上海などから戦前の中国経済を支えてきた資本家が流入し、欧米などから新しい製造設備を導入し、繊維産業やプラスチック加工業などの軽工業が発達していった。1984年に香港の返還が決定すると、中国本土では、鄧小平による改革開放路線の経済政策も相俟って、香港は華南経済圏の拠点となった。香港に隣接する深圳市は中国を代表する経済特区として急成長を遂げるようになった。 これら、アジア四小竜と呼ばれる国々にキャッチアップする形で、マハティール・ビン・モハマド首相は、「ルックイースト」を唱えた。マレーシアは、1985年に戦争終了後初めて、マイナス成長を記録するとこの経済的苦境を脱するために、外資の積極的導入を図った。その結果、電気・電子製品や自動車産業の振興、貧困の撲滅に成功した。さらに、プトラジャヤやサイバージャヤと呼ばれる大規模なインフラストラクチャーの建設に邁進することとなった。統一マレー国民組織の政権もまた、他の国と同様に、長期政権であり、政治的に安定していた。 とはいえ、これらの国々の経済発展に問題がなかったとは到底言い得ない。1985年のプラザ合意以降、円高が進捗し、その結果の日本円を含めた外貨のアジアへの流入だった。したがって、それぞれの国が7から8パーセント以上の経済成長を達成する中で投資物件が限定されていたため、工業開発のみならず、集まった資金はリゾートや不動産物件にも向かっていった。また、アメリカ・ドルとそれぞれの国のアジア通貨は、固定相場制が維持されていたが、1995年以降の「強いドル政策」が採用されるようになり、アジア各国の通貨が上昇するとともに輸出の伸び悩みが見られるようになった。したがって、慢性的な経常赤字になっていった。 さらに、アジア各国の政権は一党独裁の性格が強かった。そのため、政治的に安定している点が積極的な外資の導入を可能としたが、その反面、長期政権は、政治的腐敗と相次ぐ汚職が見受けられるようになった。フィリピンのマルコス政権こそ1986年に発生した人民革命によって打倒されていたが、それ以外の国々は、シンガポール(人民行動党)、韓国(民主正義党)、台湾(中国国民党)、インドネシア(ゴルカル)では開発独裁が継続していた。経済成長が続く中で、民主化の動きも胎動していた。 ジョージ・ソロスをはじめとするヘッジファンドがアジア通貨の貨幣が過大に評価されていることに着目し、タイ・バーツの空売りを実施した。タイ政府は、保有していた外貨によって、バーツの買い支えを実施したが、買い支えきることはできず、アジア各国では次々と経済危機が起きた。同時に、それぞれの国では政情が不安定になり、インドネシアでは、スハルトが退陣する事態にまで発展した。
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