アイリーンモア灯台事件とは? わかりやすく解説

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アイリーン・モア灯台事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/09 14:39 UTC 版)

フラナン諸島」の記事における「アイリーン・モア灯台事件」の解説

1899年12月フラナン諸島最大の島・アイリーン・モア島(Eilean Mòr:「大きな島」の意)に灯台建造された。アイリーン・モア島には侵入者歓迎しない妖精がいるという伝説古くから語り継がれてきたが、この付近の海は難所として知られており、付近航行する船の安全を確保するのが目的だった。 その灯台には3人の男、ジェームズ・デュカット、ドナルド・マッカーサー、トマス・マーシャル灯台守として常駐していた。しかし、1900年12月15日ヘブリディーズ諸島の沖を航行していた貨物船アーチャー号が船の向き変えようとして現在位置確かめるべく、アイリーン・モア灯台の光を探したが、奇妙な事に光はどこにも見当たらず応答もなかった。 それから10日余り経った12月26日定期的に食料等を補給していたヘスペラス号が島に到着船長のジム・ハーヴィーは汽笛大砲の音で灯台呼びかけてみたが、何の応答もなかった。船員達が調査のためボート乗って灯台向かったところ、灯台の中はきちんと整っており、灯台ランプにも何の異常もなく、いつもの灯台光景である。しかし、そこからは3人の灯台守の姿だけがなくなっていたのであるその後の調査結果、島の西側暴風雨の跡がある事、岩の割れ目常備してあった道具箱見当たらない事、そしてデュカットマーシャルオイルスキンなくなっているという事明らかになったため、デュカットマーシャル暴風雨の中、道具箱使って作業中に誤って海に投げ出されたように思えた。しかし、何故マッカーサーまでいなくなったのか、何故彼のオイルスキンだけが残されたままなのかという謎が残った。 3人のうちの誰かが足を滑らせ突堤から落ち、彼を助けるために残る2人も海に飛び込み死んでしまったとも考えられたが、突堤にはロープやライフベルトも残されていた。また、3人のうちの誰かが正気失ってほかの2人殺し自分も海に飛び込んで死んだではないか等、失踪について諸説あるが、真相は謎のままである2018年ジェラルド・バトラー主演で『バニシング』として映画化された。 フラナン諸島で何か異常があったという最初の記録は、1900年12月15日フィラデルフィアリース行き航路上にある汽船『Archtor』が、悪天候状況灯火作動していないことを航海日誌記録したときであった1900年12月18日にその船がリースドック入れられたとき、目撃北方灯台委員会回された。交替船兼灯台給仕船『Hesperus』は、悪天候のために、12月20日計画されたようにルイス島ブレスクレット(Breasclete)から出航できなかった。それは12月26日正午にようやくその島に到着した。ショア・ステーションはフラッツ改装されている。灯台には男3人が配置されていた――ジェームズ・デュカット、トマス・マーシャルおよびウィリアム・マッカーサー、そして交替4人目の男が岸で時間過ごしていた。 乗組員交替灯台員到着すると、旗ざおには旗がなく、通常の準備箱はすべて補充のために浮桟橋残されていて、さらに不吉なことに、彼らを岸で迎えるはずの灯台員らはひとりもいなかった。『Hesperus』の船長ジム・ハーヴィーは、船の警笛吹鳴火炎信号放つことによって、彼らに連絡取ろうとしたが、しかし不首尾であったボート1隻が水面降ろされ交替灯台員ジョセフ・ムーアが一人上陸させられた。構内への入り口の門と正面玄関両方閉ざされていて、ベッド複数整えられておらず、クロック時計止まっていた。彼はこの気味悪い知らせをもって浮桟橋戻った後、『Hesperus』の二等航海士および船員一緒に灯台戻った。さらに調査すると、ランプ複数掃除され補充されていることがわかったオイルスキン1セットが見つかり、これは、灯台員のうち1人オイルスキンなしで灯台立ち去ったことを示唆した灯台中にも島のどこにも、灯台員気配はなかった。 ムーア志願船員3人が灯火世話するために島に残され、『Hesperus』はリース戻った船長ハーヴィー次のような1900年12月26日付の北方灯台宛て電報送った―― フラナン諸島恐ろしい事故起こっている。デュカットマーシャル予備員の灯台員3人が島から姿を消した...クロック時計複数止まり、他の兆候事故が約1週間前に起こったにちがいないことを示していた。かわいそうに彼らは、崖から吹き飛ばされたか、クレーン確保しようとして溺死したにちがいない。(A dreadful accident has happened at the Flannans. The three keepers, Ducat, Marshall and the Occasional have disappeared from the Island...The clocks were stopped and other signs indicated that the accident must have happened about a week ago.Poor fellows they must have been blown over the cliffs or drowned trying to secure a crane.) アイリーン・モールでは、男らは島の隅々駆け巡って灯台員らの運命の手がかりを探した。東の上陸場ではすべてが無傷なままであったが、西の上陸場は最近の嵐によって引き起こされ損害かなりの証拠提供していた。海抜33メートル (108 ft)の箱は壊れていて、内容物散らばっていた。の手すりが曲がり小道のそばの鉄道コンクリートからもぎ取られ重さ1トン超の岩が押しのけらていた。海抜60メートル (200 ft)超の崖の上で、芝生は崖の端から10メートル (33 ft)まで引きはがされていた。

※この「アイリーン・モア灯台事件」の解説は、「フラナン諸島」の解説の一部です。
「アイリーン・モア灯台事件」を含む「フラナン諸島」の記事については、「フラナン諸島」の概要を参照ください。

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