どこからどこまでがニューミュージックか?
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 07:02 UTC 版)
「ニューミュージック」の記事における「どこからどこまでがニューミュージックか?」の解説
1978年の国民的番組『NHK紅白歌合戦』では「ニューミュージック・コーナー」というあたかも隔離された一つのコーナーがあり、庄野真代・ツイスト・サーカス・さとう宗幸・渡辺真知子・原田真二の6組が続けて歌唱した後、ステージの上で一列に整列し、審査員の講評を受けるという前例のない非常に混沌としたステージをやった。この中で、庄野真代はシンガーソングライターではあるが、歌唱曲『飛んでイスタンブール』は、職業作家による提供曲であり、サーカスはソングライティングをしないコーラス・グループであるため、当時のニューミュージックの解釈は、かなり広く、歌謡曲ぽくない楽曲全てと見られていたといえるかもしれない。1977年刊行の『ニューミュージック白書 日本のフォーク&ロック20年のあゆみ』の中に「最近ではロックのミュージシャンを含めてニューミュージックという呼び名さえ使われるようになってきた」、「GSからシティ・ミュージックまで、ニューミュージック界はこの10年余の間に、多くのディスクを生み出してきた」という言及が見られる。 「ニューミュージック〇〇」とタイトルの付く書籍では『NEW MUSIC'81 ニューミュージック事典』(学習研究社、1980年)の86-127頁に「ニュー・ミュージック・アーティスト名鑑」が載っており、この中にはこれまで名前の出たフォーク系、ロック系のシンガーソングライター、女性シンガーソングライター以外にも、あのねのね、YMO、石黒ケイ、上田正樹、内田裕也、太田裕美、大橋純子、岡林信康、上条恒彦、加藤登紀子、加山雄三、北山修、キャロル、クールス、サーカス、ダウン・タウン・ブギウギ・バンド、チェリッシュ、近田春夫、ティン・パン・アレー、トワ・エ・モア、なぎらけんいち、豊島たづみ、ハイ・ファイ・セット、BOWWOW、萩原健一、はっぴいえんど、はちみつぱい、パンタ、ばんばひろふみ、ヒカシュー、 フォーク・クルセダーズ、ファニー・カンパニー、フラワー・トラベリン・バンド、細野晴臣、マイク真木、町田義人、松原みき、紫、柳ジョージ&レイニーウッド、山内テツ、憂歌団らも記載されている。 『ホットドッグ・プレス』(講談社)1980年2月号の「決定!79ニュー・ミュージック・ベスト・シングル100」という企画では、以下のような言及がある。「ニュー・ミュージックという言葉が、マスコミにおいて定着し始めたのは1970年代中期のことである。その時点においての定義は、歌謡曲に対して"ニュー"な音楽ということだった。もっとも1977年末の集計でニュー・ミュージックと歌謡曲の売り上げ比がほぼ半々になるまでは、ニュー・ミュージックの定義は、さほど問題にはされなかった。しかし10万枚を越すニュー・ミュージックのヒット・レコードが次から次に登場し、歌謡曲の内部で演歌の人気が下降し始めた1977年の時点で、ニュー・ミュージックの定義見直しの声は起こっていたのである。明らかに歌謡曲らしい演歌がヒット・チャートから消失しはじめた時、歌謡曲っぽいニュー・ミュージック、ニュー・ミュージックっぽい歌謡曲があふれ始めた。森進一が歌いレコード大賞曲となった『襟裳岬』は吉田拓郎の曲だった。これを機に、歌謡曲側が、曲作りをニュー・ミュージックに依頼するパターンも定着した。このこともニューミュージックという言葉をより曖昧なものとしてしまった原因のひとつだろう。筒美京平のように従来は歌謡曲側の作者が、桑名正博のようなニューミュージック側の人に曲作りをするという現象も多くなった。『ホットドッグ・プレス』は、この「ニュー・ミュージック・ベスト・シングル」を選定するにあたり、次の様に、このあいまいなニュー・ミュージックを再規定することにした。①作詞・作曲が歌唱している本人の場合。②シングルにおいて作詞・作曲が本人でなくとも、アルバムの中で本人の作詞・作曲の多いもの。③あくまで歌手(バンド)を本業とするもの。そして、この3点においても区別しかねるものは、発売レコード会社の制作及び宣伝セクションが、ニュー・ミュージック・セクションであるかどうか、あるいは、プロデューサーがニュー・ミュージックの制作者であるかどうかを基準、とした。本来なら、このチャートのベスト3に入るはずだった水谷豊の『カリフォルニア・コネクション』は、③の理由で除外した。また、桑江知子も問題になったが、レコード会社の宣伝・制作態勢が、ニュー・ミュージック・セクションによって行なわれ、本人も近々、アルバムに自作曲を入れたいとのことなので、今回はニュー・ミュージックとして取り扱った」。 2008年5月10日に『SmaSTATION!!』で「80年代の邦楽・ニューミュージックベスト 20」なる特集があり、この日の特集では、BOØWYやTHE BLUE HEARTS、プリンセス プリンセス、DREAMS COME TRUEなどもニューミュージックとして紹介した。この日紹介された楽曲なら、2010年代の今日では、特集のタイトルは「80年代の邦楽・J-POPベスト 20」になると見られる。
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