日本のフォーク
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 06:40 UTC 版)
日本のフォークは、添田唖蝉坊らの明治時代から存在した演歌(=演説歌の略:現在の演歌と呼ばれるものとは別物)が、戦後のアメリカンフォークの影響(ボブ・ディランやピーター・ポール&マリーらの影響下にあるケースが多い)を受け、‘‘日本のフォーク’’として独自に発展していることもあり、弾き語りスタイルからバンドスタイルまで幅広く、指し示す範囲は広い。 1960年代には、ロックバンド風のサウンドやスタイルがグループ・サウンズとして発展し、グループ・サウンズ (以下GS) 流行期、GSと同じステージにフォークグループが立つことが珍しくなかった。現にGSとフォーク共演のコンピレーションアルバムは何枚も出ている。日劇ウエスタンカーニバルと呼応した形で、日劇フォークカーニバルという企画もあった。1960年代後半には、岡林信康、高田渡、遠藤賢司、高石友也、中川五郎、加川良らの、反戦フォーク、プロテスト・フォークが全盛期を迎えた。楽曲では岡林信康の「友よ」「山谷ブルース」「チューリップのアップリケ」などが有名である。また1960年代後半から1970年代初頭にかけてはフォーク・クルセダーズ、もとまろ、赤い鳥、ピンク・ピクルス、ウィッシュ、五つの赤い風船らも話題曲を発表した。 日本におけるフォークの呼称には様々なものがある(フォークシンガー参照)。GSが衰退した後、1970年代初頭にはレコード会社が、フォークに力を入れた。井上陽水や吉田拓郎らは政治性のないフォークソングを発売した。世代的にはかぐや姫、拓郎、陽水らはいずれも団塊の世代である。フォークのジャンルには、反戦フォーク、アングラ・フォーク、プロテスト・フォーク、四畳半フォーク、メッセージ・フォークなどがある。 70年代後半にはフォークは商業フォーク、産業フォークとも呼ぶのがふさわしいジャンルに変質し、ヒットを記録することにより音楽産業に取り込まれていった。産業ロックや、ニューミュージックの一部と同様で、売り上げの最大化を目指したものも多い。
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