演説歌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 01:53 UTC 版)
「演歌」も参照 近現代日本での大衆歌謡の発祥は、明治維新直後までさかのぼることが出来る。 江戸時代の節をつけた瓦版売り「読売」の伝統が、自由民権運動の政治批判・宣伝に用いられ、演説歌とよばれた。川上音二郎の「オッペケペー節」をきっかけに壮士演歌として発展、社会問題を扱った「ダイナマイト節」「東雲節」、条約改正問題の「ノルマントン号沈没」、社会風刺の「のんき節」、文芸物の「不如帰」などが添田唖蝉坊らによって作られた。 日露戦争前後から、庶民の心情がテーマになり、演歌が艶歌とも言われるようになった。これらの歌はすべて自然発生的なもので、「商業性」を旨とする昭和流行歌の性質には程遠いものであったが、神長瞭月ら演歌師と呼ばれる人々がバイオリンの伴奏で歌って人気を集め、書生節の隆盛による大衆歌謡の基礎が作られていった。
※この「演説歌」の解説は、「流行歌」の解説の一部です。
「演説歌」を含む「流行歌」の記事については、「流行歌」の概要を参照ください。
- 演説歌のページへのリンク