日本のフェートン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/29 18:58 UTC 版)
「フェートン (車両)」の記事における「日本のフェートン」の解説
日本では1930年代に使用された用語で、すでに日本で生産をはじめていたフォード・モデルT(フォード・T型)(1925年 大正14年 横浜子安工場)やGMシボレー(1927年 昭和2年 大阪工場)の影響もあり、日本ではコンバーチブル以前の2列のシートをもつ幌型オープンカーをフェートンと呼ぶところから始まっている。 1932年、ダット自動車製造からダットサンの名前がつけられた11型はフェートンであった。ダットサンのセダンは5年後の1937年、16型登場まで待つことになる。 1936年9月、トヨタ社初の乗用車、AA型はセダンとして作られたが、同時にフェートンのAB型も作られた(同年10月トヨタを正式名称として使用開始している)。 AA型は6年で1400台強の生産だったのに対し、AB型は2年で350台あまりであった。日本でのフェートンは陸軍車輌として使われたのがほとんどで、悪天候時はサイドカーテンを付けて風雨をしのいでいた。その後のトヨタ自動車第2弾B型は、トヨタBAセダン、トヨタBBコンバーチブルという、フェートンではなくガラス窓のコンバーチブルであった。
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