その後の動向などとは? わかりやすく解説

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その後の動向など

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 15:56 UTC 版)

営団6000系電車」の記事における「その後の動向など」の解説

竣工当時深川検車区内や東西線地下区間を、翌1969年東陽町 - 西船橋延長後は主にその延長区間である東西線地上区間各種走行試験行った後、1970年昭和45年)に千代田線回送し、綾瀬検車区転属した。この際CS-ATC設置試験用チョッパ制御装置2台は撤去し抵抗制御残され、6001は電装解除して2M1T編成改められた。車号量産車重複するので6000-1 - 6000-3の車番変更したその後1973年昭和48年3月には有楽町線用の7000系搭載予定したAVF自動可変界磁制御)式チョッパ制御装置試験実施1978年昭和53年11月にはVVVFインバータ制御試験実施された。この試験には日立製作所製VVVFインバータ装置と130kW出力かご形三相誘導電動機用いた実車VVVFインバータを装しての走行試験日本最初とされている。 1979年昭和54年12月北綾瀬支線開業により同支線転用された。その際5000系と同じ抵抗制御装置主電動機ブレーキ装置電磁直通ブレーキ)を新製して換装した。また、5000系用の100kWの電動機取り付けのために従来台車使用できず、同系列用のFS-502形に交換した。ただし、制御車である6000-1は台車交換せずにFS-368B形の基礎ブレーキディスク式から踏面式に改修したFS-068R形とされた。車内それまで準備工事であった扇風機客室暖房機が新たに設置された。さらに6000-3のマスター・コントローラーがワンハンドル式からツーハンドル式に変更された。 その後1994年平成6年)に冷房化改造車体更新行い室内リニューアル施工され台車東西線5000系廃車発生品に交換された。2002年平成14年)にはワンマン運転対応改造なども施工された。 2004年平成16年12月23日北千住 - 大手町開業35周年綾瀬 - 北綾瀬開業25周年記念イベントとして、湯島 - 北綾瀬間を臨時列車として運転したことがある。この時の行先表示は「臨時であった1次試作車2次試作車以降比べて以下の点で異なっている。 車両番号量産車異なり、6000-1、6000-2、6000-3という付番となっている。 形式若干異なり系列名は「6000-系6000ハイフン系)」とも称される先頭車両の上半分傾斜量産車よりやや角度が緩い。また、前面ガラス量産車比べてやや小さい(近年になって量産車と同じサイズ交換されている)。 ワイパー量産車の2本に対し1本である。またアンチクライマー形状小さく、細い。 側面雨樋位置量産車より高く肩部張り上げとなっている。 座席端部仕切り切れ込み部分量産車の垂直方に対して通路側せり出す形で)斜めになっており、「袖」の角より下側逆に外板側に近づく斜線描いていた(進行方向眺めた場合両側の仕切りが「袖」部より上は逆「ハの字」形、下は「ハの字」形に見える)。 側面車両番号表記は車体腰板ではなく幕板部にある。

※この「その後の動向など」の解説は、「営団6000系電車」の解説の一部です。
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