その後の動向など
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「営団6000系電車」の記事における「その後の動向など」の解説
竣工当時は深川検車区内や東西線の地下区間を、翌1969年の東陽町 - 西船橋延長後は主にその延長区間である東西線地上区間で各種の走行試験を行った後、1970年(昭和45年)に千代田線に回送し、綾瀬検車区に転属した。この際、CS-ATCを設置、試験用のチョッパ制御装置2台は撤去し、抵抗制御が残され、6001は電装解除して2M1T編成に改められた。車号は量産車と重複するので6000-1 - 6000-3の車番に変更した。 その後1973年(昭和48年)3月には有楽町線用の7000系に搭載を予定したAVF(自動可変界磁制御)式チョッパ制御装置の試験を実施、1978年(昭和53年)11月にはVVVFインバータ制御の試験も実施された。この試験には日立製作所製のVVVFインバータ装置と130kW出力のかご形三相誘導電動機を用いた。実車にVVVFインバータを装架しての走行・試験は日本で最初とされている。 1979年(昭和54年)12月、北綾瀬支線の開業により同支線に転用された。その際、5000系と同じ抵抗式制御装置、主電動機、ブレーキ装置(電磁直通ブレーキ)を新製して換装した。また、5000系用の100kWの電動機取り付けのために従来の台車は使用できず、同系列用のFS-502形に交換した。ただし、制御車である6000-1は台車は交換せずにFS-368B形の基礎ブレーキをディスク式から踏面式に改修したFS-068R形とされた。車内はそれまで準備工事であった扇風機、客室暖房機が新たに設置された。さらに6000-3のマスター・コントローラーがワンハンドル式からツーハンドル式に変更された。 その後、1994年(平成6年)に冷房化改造と車体更新を行い、室内のリニューアルが施工され、台車は東西線用5000系の廃車発生品に交換された。2002年(平成14年)にはワンマン運転対応改造なども施工された。 2004年(平成16年)12月23日の北千住 - 大手町間開業35周年・綾瀬 - 北綾瀬間開業25周年記念イベントとして、湯島 - 北綾瀬間を臨時列車として運転したことがある。この時の行先表示は「臨時」であった。 1次試作車は2次試作車以降と比べて以下の点で異なっている。 車両番号は量産車と異なり、6000-1、6000-2、6000-3という付番となっている。 形式も若干異なり、系列名は「6000-系(6000ハイフン系)」とも称される。 先頭車両の上半分の傾斜が量産車よりやや角度が緩い。また、前面ガラスも量産車に比べてやや小さい(近年になって量産車と同じサイズに交換されている)。 ワイパーは量産車の2本に対し1本である。またアンチクライマー形状が小さく、細い。 側面雨樋の位置が量産車より高く、肩部が張り上げとなっている。 座席端部の仕切りの切れ込み部分が量産車の垂直方向に対して(通路側にせり出す形で)斜めになっており、「袖」の角より下側は逆に外板側に近づく斜線を描いていた(進行方向に眺めた場合、両側の仕切りが「袖」部より上は逆「ハの字」形、下は「ハの字」形に見える)。 側面の車両番号表記は車体腰板部ではなく幕板部にある。
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