その後の北元
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 14:08 UTC 版)
北元では1388年にトゴン・テムルの子孫が絶えてクビライ家の皇帝世襲が終焉し、クビライ家政権としての大元は断絶した。しかし、その後もチンギスの子孫がモンゴル高原で優勢となった遊牧集団に、大元の皇帝として代わる代わる擁立されつづけた。クビライ家の断絶後はアリクブケ家の皇帝が続き、一時は非チンギス裔のオイラト族長に皇帝位を簒奪された(エセン・ハーン)が、1438年にはクビライ家の末裔とされる王家が復権を果たし(ただし第2代モンゴル皇帝の末裔のオゴデイ家である可能性も指摘されている)、15世紀末にはそこから出たダヤン・ハーンにより、いったん大元皇帝のもとでのモンゴル高原の遊牧民の再統合が果たされる。大元皇帝位が最終的に終焉を迎えたのは、ダヤン・ハーンの末裔のリンダン・ハーンが死に、モンゴル諸部族がリンダンの代わりに満州人の建てた後金皇帝ホンタイジをモンゴルのハーンに推戴した1636年であった(詳細は北元を参照)。
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