その後の博覧会での受賞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 08:04 UTC 版)
1895年、第4回内国勧業博覧会が岡崎公園で行われ、進歩3等賞に選ばれたが、その際、鈴木の作品は高価で、高くなければ1等賞でもいいというコメントがなされている。1900年のパリ万博ではモデルにするべきでないドイツ製品をモデルにしているという辛口のコメントを受け、選外佳作ということになった。99%の出品者に何らかの褒章が与えられたが、政吉は外国製品と変わらないという前向きのとらえ方をした。1903年の第5回内国勧業博覧会はヴァイオリン、ヴィオラ、チェロを出品し2等賞を得た。1904年米国セントルイス万国博覧会には、第5回内国勧業博覧会で1等賞を日本政府が許可したので、出品できなかった。1909年 シアトルで開かれたアラスカ・ユーコン太平洋博覧会(英語版)では鈴木ヴァイオリンは金牌を受賞する。1906年にはマンドリン、1907年にはギターの製作を開始した。1910年に第10回関西府県連合共進会では、ヴィオラが1等賞、チェロとヴァイオリンが2等賞を得た。コメントに「機械力を応用して廉価に製造するがゆえに、今日これと拮抗するものは皆無なり。今回出品するものは僅か定価2円なり。音楽普及の良媒にて、山葉寅楠と共に好模範である」とある。
※この「その後の博覧会での受賞」の解説は、「鈴木政吉」の解説の一部です。
「その後の博覧会での受賞」を含む「鈴木政吉」の記事については、「鈴木政吉」の概要を参照ください。
- その後の博覧会での受賞のページへのリンク