その後の南部戦線とは? わかりやすく解説

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その後の南部戦線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/08 14:13 UTC 版)

バナスター・タールトン」の記事における「その後の南部戦線」の解説

サウスカロライナにおけるタールトンの宿敵大陸民兵隊の指揮官でゲリラ戦術早くから実行したフランシス・マリオンだった。タールトンは一度マリオン捕まえた無力化することができなかった。マリオンサウスカロライナ住民の間で大きな人気持ち続け、彼らの支援ゲリラ作戦続けた対照的にタールトンは地元住民対す多く残虐行為市民から見放されていった例えば、死んだ愛国者士官農園で、タールトンは死体掘り出させ、一方で未亡人には食事供するよう要求したマリオン部下一人がこの事件について後に書き記した1780年11月、ネルソンズ・フェリーへの遠征で、タールトンはリチャードソン将軍農園家屋とその屋外とうもろこし飼料、さらに牛、豚、家禽大部分焼いた将軍大陸軍活躍していたが、その時死んでいた。イギリス軍の指揮官はリチャードソン将軍未亡人子供向かい、この文明時代東方バーバリ海岸(注:アフリカ北部地方)の作法に従って、その夫や両親偉業貶めさせた。この残虐な行為に付け加えてタールトンはその家でまず食事をし、それができる余裕があることで上機嫌に振舞った。しかし我々は受けた接待に彼が報いた方法を目にしたことはそれまで無かった。タールトンとその部隊イギリス軍のどの部隊よりも残酷な行動取ったばかりでなく、略奪行為ほしいままにしたのが一般に観察されたことである。 このタールトンに関する記述は、トーマス・ジェファーソンが後に記したモンティチェロでのタールトンの行動によって表されたその性格とは対照をなしている。 私は彼から害を受けなかった。それどころか私には非常に紳士的に振舞った。彼はマクロード大尉に何ものも傷つけないよう厳格な命令出した。 タールトンは1780年8月キャムデンの戦いコーンウォリス勝利するのをおおいに支援した。彼はフィッシング・クリークあるいはカトーバ・フォーヅで大陸軍のトーマス・サムター将軍戦い完勝したが、11月にブラックストックヒルで再度まみえた時は、それほど成功収められなかった。続く1781年1月個人的な勇猛さにも拘わらず、タールトン軍はカウペンスの戦い大陸軍ダニエル・モーガン准将率い部隊事実上打ち破られた。タールトンは約250名の部下と共にかろうじて逃げおおせることができた。 タランツハウスでの小競り合いでは勝利し1781年3月ギルフォード郡庁舎の戦い参加した後、タールトンはコーンウォリスとともにバージニア移動したバージニアでのタールトンは小さな遠征繰り返した。この遠征中でも当時バージニア知事トーマス・ジェファーソン議会議員捕獲するために行ったシャーロッツビル襲撃特筆される襲撃知ったジャック・ジューエットが夜通し40マイル(64km)を駆けてジェファーソン議員達に通報し襲撃一部失敗した議員7人の他はすべて逃げられたが、タールトンは武器弾薬破壊し議会蹴散らすという目的果たした。他にも1781年7月フランシスコ戦いがあった。これはピーター・フランシスコとタールトンの竜騎兵9騎との小競り合いであり、竜騎兵の1名が戦死、8名が負傷し、馬8頭が捕獲された。他にも任務こなした後、コーンウォリスがタールトンにグロースター・ポイントを確保するよう指示出した。しかし、この場所は1781年10月ヨークタウンとともに大陸軍降伏した。タールトンは釈放されイギリス戻ったヨークタウン降伏後イギリス軍の指揮を執っていた士官全員大陸軍士官から食事招待された。ただし一人除いて。その一人とはバナスター・タールトンであった

※この「その後の南部戦線」の解説は、「バナスター・タールトン」の解説の一部です。
「その後の南部戦線」を含む「バナスター・タールトン」の記事については、「バナスター・タールトン」の概要を参照ください。

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