『フランス詩小論』
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「テオドール・ド・バンヴィル」の記事における「『フランス詩小論』」の解説
そして彼の詩論が実作の形ではなく、はっきりと示されたのは1872年の『フランス詩小論』である。この作品は二つの側面で重要である。第一は、これがロマン主義から1857年の世代、高踏派を経て象徴主義まで至る詩法の流れを記述していることであり、そして第二は、その詩法の持つ意味についての思考が展開されていることである。 まずバンヴィルは、詩の必要条件として、それが歌われるものであることを強調している。歌うことのみによって、人は普段失われている神性と超自然を取り戻すことができるのだ。これがバンヴィルの定める叙情性の定義といえる。そして「歌」としてもっともふさわしい、叙情そのものである詩形、オードが称揚される。ここでバンヴィルはオードの定義を拡大し、ほかのあらゆる下位ジャンルもオードは内包していると書いている。つまり、詩と名づけられるものは全て抒情詩ということになる。このジャンル観は、アリストテレス的叙事的・叙情的・劇的の三区分とは全くことなったものであり、これはヴィクトル・ユゴーの『クロムウェル』の序文が意識されている。そこでユゴーは喜劇、悲劇の要素が共存する「ドラマ」という形を称揚していたが、バンヴィルの場合はそのような要素の混交を称揚するのではなく、「叙情」のキーワードのもと、全ての要素が統合されるのであり、古典的ジャンル区分の一種の否定ともいえる。 具体的な詩法面では、奇数脚も偶数脚同様に可能であると1音節から13音節までの韻律の例を引き、古典主義以来多く用いられてきた12音節、8音節詩句以外の韻律の存在を強調した。また、12音節詩句や10音節詩句における「句切り」について、その位置はどこにおかれてもよいと主張した。ここでバンヴィルは詩句の韻律に属する「句切り」césureと、文章のリズムに生じる区切りを混同しているが、一方で、この主張は韻律構造と文章構造の一致という古典主義的傾向を完全に脱した証と見ることもできる。他所で彼は詩句の韻律と文章のリズムは別の次元にあるもので、無理に一致させるべきものではないと述べている。実際バンヴィルの詩句には、詩句の句切りと文章が一致しない結果起こる「句跨ぎ」enjambementがしばしば見られる(第2章、第5章)。 続いてバンヴィルが論じるのは「脚韻」である。彼はこれを詩句、ひいては詩の必要条件とすら言い切る。それは一見、詩作品を単なる「題韻詩」Bout-Rimé(あらかじめ決められた脚韻語から出発して詩を作ること)に貶めるように理解されるが、ラシーヌやユゴーの例をひいたバンヴィル自身の説明を見ると、脚韻はそれ自身の響きのみによって効果をもたらすのではなく、詩句の他の語と意味的音声的に影響しあって効果をなすのであって、他の語の存在もまた構成要素として必須であり、彼が脚韻のみに詩を還元しているわけではないことがわかる。そして、位置的、音声的にもっとも目立つ脚韻の位置へ詩句のキーワードをおくことで、その語をより印象付けるのである。ここで脚韻は、単に韻文の形式を構成する要素だけではなく、詩句の表現力を高めるものとしてあった。前世紀においては規則に則って用いるものだった韻律・脚韻は、19世紀になって詩人たちが自身の表現のために用いる「道具」となったのである(第3章、第4章)。 19世紀における16世紀の定型詩の再発見を反映し、バンヴィルはロンドー、ロンデル、トリオレ、バラッド、シャン・ロワイヤルといった16世紀の定型詩の説明に多くのページを割いている。これらの詩形を用いることは、単なる復古趣味ではなく、古典主義に対する一つの定立であったことは忘れてはならない。 しかし、『フランス詩小論』は本来学生向けの教科書であり、バンヴィルの詩論が十全に表現されているわけではない。その多くは、未だ研究の対象となっていない彼の散文作品や、未刊のままとなっている新聞記事批評などに現れている。これらの記事については、2003年に二冊本の選集がChampionから出版されているが、全体からするとごく一部にすぎず、バンヴィルの時評の校訂版の出版が待たれる。
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