「フランス」時代とは? わかりやすく解説

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「フランス」時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/02 03:16 UTC 版)

フランス (客船・2代)」の記事における「「フランス」時代」の解説

フランス」は、フレンチ・ラインの客船として、1957年10月7日にて起工された。船台は「ノルマンディー」が建造されたのと同じ場所である。1960年5月11日進水式迎えシャルル・ド・ゴール大統領夫人のイヴォンヌ・ド・ゴールにより「フランス」と命名された。1961年11月19日完成し、翌1962年2月3日北大西洋航路就航した試運転時の最高出力175千馬力速度は35.21ノット記録したが、ブルーリボン賞獲得していた「ユナイテッド・ステーツ」には及ばなかった。処女航海では平均速度31ノット記録している。 「フランス」は、2月11月までル・アーブルサウサンプトンニューヨーク間の定期航路就航し12月から1月にかけては、入渠整備カリブ海でのクルーズ実施していた。 船内11公室11人の造船芸術家それぞれ個性発揮して行わせた。 「フランス」の船内サービス評判となり、特に古典フランス料理提供していたレストランは、当時料理評論家から「種類が豊富で優れた料理数々には驚嘆するこれほどの最高の味を堪能させてくれる場所は他にはない」との高い評価得ていたが、1960年代には大陸間の移動手段はすでに航空機時代となっており、夏の旅行シーズン除いて満室になることはなかった。一方で1航海要する燃料6000トンに及び、また多く乗組員対す人件費などの諸経費膨大な額となることから、年間通して巨額赤字記録しフランス政府から多額運航補助金得て一部国会議員マスコミから、国威発揚名を借りたド・ゴール大統領個人的事業だとの声もあった。実際に建造当時フランス国内は不況で、議会反対していたが、ド・ゴール大統領の「フランス栄光のため…」の鶴の一声予算決定した運航続けていた。 フレンチ・ラインでは、新たな乗客獲得のため、1972年1974年オフシーズンに3ヶ月間の世界一周クルーズ実施する。しかし、本船はそのサイズからパナマ運河通行ができず、ホーン岬経由したため航海距離が長くなった。結果、クルーズスタッフや消耗品輸送するために、本国寄港地間に航空便仕立てたりタンカーチャーターし燃料補給を行うなど、大変な手間時間経費がかかり、さらなる赤字招いた。ついに1974年には、ド・ゴール政敵であるヴァレリー・ジスカール・デスタン大統領就任したことから、長年運航補助金支払っていたフランス政府より、補助金支給打ち切り通告された。フレンチ・ライン単独では巨額赤字に耐えられず、ついに「フランス」の運航中止を決断した1974年9月11日最後北大西洋航路での運航終了し運航停止反対する乗組員諍いがあったものの、1974年12月をもってル・アーブル係船された。

※この「「フランス」時代」の解説は、「フランス (客船・2代)」の解説の一部です。
「「フランス」時代」を含む「フランス (客船・2代)」の記事については、「フランス (客船・2代)」の概要を参照ください。

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