「フランスの娘」の敬称
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/31 06:12 UTC 版)
フランスの宮廷儀礼においては、血統親王(プランス・デュ・サン(英語版))や貴族の未婚の娘はいかに高貴な生まれでも「ドモワゼル(Demoiselles)」と称したのに対し、フランス王の嫡出の女子、いわゆる「フィーユ・ド・フランス(フランスの娘)」はより高位の「ダーム(Dame)」と称する特権を生まれながらに認められていた。 それゆえフィーユ・ド・フランスは、マダムの敬称の後に、自分の洗礼名を名乗るか、何らかの称号を所有していればその称号を名乗るかした。これはフィーユ・ド・フランスのうち、最年長の者を除いて全員に共通する慣例だった。 最年長の者だけは洗礼名を付け加える必要が無く、単に「マダム(Madame)」と言えば彼女のことを指す慣わしになっていた。一方で、(ルイ15世時代にはいなかったが)国王の最年長の弟の妻も、単に「マダム」とだけ称する慣例であったため、重複を避けるべく、王の未婚の娘のうちの最年長者は、「マダム・ロワイヤル(王家のマダム)」と呼ばれたり、ルイ14世時代は「ラ・プティット・マダム(la Petite Madame、小さなマダム)」、ルイ16世時代は「マダム・フィーユ・ド・ロワ(Madame Fille du Roi、王の娘たるマダム)」と称したりした。
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