平家琵琶
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 15:45 UTC 版)
平家琵琶は楽琵琶から派生したもので、楽器は楽琵琶とほぼ同じつくりだが、小型の物が好まれる。撥は逆にやや大きく、先端の開きが大きい。平家物語をかたるときの伴奏に用いる。平家琵琶を用いた平家物語の語り物音楽を「平曲」と呼ぶ(薩摩琵琶、筑前琵琶にも平家物語を題材とする曲が多数あるが、これらは近世以降に作られたものであり、音楽的には平曲とはまったく違うものである)。伝承によれば、鎌倉時代のはじめ頃に生仏(しょうぶつ)という盲人音楽家がはじめたとされ、曲節には仏教音楽である声明(しょうみょう)の影響がみられる。のち、南北朝時代の盲人音楽家如一とその弟子明石検校覚一(1299年 - 1371年)が改変、整理し、一方(いちかた)流を創始した。いっぽう城玄が創始した八坂流も生まれる。室町時代には能楽と並び広く愛好され、中世日本音楽の代表的存在として並び称される。江戸時代初期には前田検校により前田流が、波多野検校により波多野流が生まれ、前者は江戸を中心に、後者は京都を中心に行なわれた。演奏は当道座に属する盲人音楽家により占有されていたが、江戸時代には晴眼の奏者もあらわれた。しかし地歌や浄瑠璃などの三味線音楽や箏曲の発展と共に次第に下火となり、波多野流は断絶、前田流は江戸時代中期に名古屋の荻野検校によって中興し、この流派のみがこんにちまで名古屋と仙台に伝えられている。演奏者は非常に少ないが、稀に「鱸」「竹生島詣」「那須与一」などを聴く機会がある。雅楽と平曲は絶対音高の音楽であるため、楽琵琶と平家琵琶は絶対音の楽器であり、相対音高の音楽である近世以降の琵琶楽と異なる。 三味線の祖型が日本に伝来したとき、これを初めて扱い現在に近い楽器に改良したのが平家琵琶の演奏家たちであった。そのため、琵琶と同じように三味線を撥で弾くようになった。ただし琵琶と三味線では撥の形状や持ち方に違いがある。また三味線は楽器のみが伝わり楽曲は伴わなかったため、彼らにより新曲が次々に作り出されたが、その際にも平曲の音楽的要素が色々反映されている。
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