取り口など
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/23 06:07 UTC 版)
下位時代には出足を活かして突っ張る相撲や力に頼った小手投げを得意としていた。新入幕以降は徹底した四つ相撲を操り、がっぷりになって慎重に勝機を窺った上で寄るか上手投げで仕留める型を見せた。通常合理的でない深い位置の上手を取ることが多いが、体を入れ替える技術で投げに上手くつなげる。だが新入幕の前に腰を痛めて以降思うような相撲が取れず、それ以前まで得意としていた突っ張りや小手投げが影を潜めていった。特に2013年3月に左足首を痛めてからは2013年11月場所前まで稽古もままならない状況が続いており本場所には痛み止めを打って出場していた。2018年9月場所で十両に戻ったあたりでは、全盛期よりも簡単に土俵を割る相撲が増えた。
※この「取り口など」の解説は、「常幸龍貴之」の解説の一部です。
「取り口など」を含む「常幸龍貴之」の記事については、「常幸龍貴之」の概要を参照ください。
取り口など
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 14:01 UTC 版)
192cm(公称、師匠の湊親方は193cmまで伸びていると主張)、最重量時は230kgの巨体であることに加えて太もも周りが92cmを記録するなど太い下半身を持ち合わせており、体格を活かした右四つを得意とする。右を差して引きつけ、胸を合わせた際の威力が高い。一方で湊親方は逸ノ城について「まだまだ差し身に気を取られ過ぎ。左上手を取ってから、『いつでも差せるぞ』という形にならないとね。立ち合いをもっと速くするのが課題かな」と今後の課題を述べている。新入幕会見で湊親方は立合いでのスピードや横への動きへの対応など課題を挙げていた。新入幕後には巨体に見合わぬバランス感覚に任せた残り腰や突き押しに対する耐性などの守りの固さ、変化や叩きなどの機動力や策士ぶりが注目されるようになった。2014年9月場所中日には右で首を巻いての上手投げで対戦相手の隠岐の海を360度振り回し裏返す勝ち方を見せており、その日の取組をNHK中継のゲストとして観戦していたやくみつるから件の上手投げを「逸ノ城スペシャル」と名付けられて称賛されたこともある。同場所前の出稽古では鶴竜・白鵬の2横綱を相手に何もできなかったが新入幕で初日から連勝を続け、白鵬も4日目の朝の時点で「高見盛タイプだね。稽古場に弱くて本場所に強い」と評している。。 遠藤のように突っ張って左四つになる力士が苦手だとして、2014年11月場所後に左四つの勉強をしたいと話した。新関脇になってからは上体が起きる弱点が露呈し、2017年1月場所9日目の取組後に蒼国来が「(逸ノ城の上体を)起こしたかった。三役で一回やってみたい。自分に厳しく(やる)」と逸ノ城の弱点を突く相撲を狙っていたことを話すなど、上体が起きる弱点を突かれることが何度となくある。2015年3月の時点では典型的に相撲が短い力士であり、右四つ左上手になればすぐに相手を下す一方で自分の型にならなければあっさり負けてしまう。2017年1月場所前の時点では減量したことで圧力が落ち、攻めの速さや厳しさが失われており、お笑い芸人のはなわとチロが座談会で指摘している。同じく2017年の一部報道では、足腰を痛めているため当初のような身軽な動きは期待できず、離れられたり立腰になっているところを潜り込まれたりすると弱いという点が目立つようになった、と伝えられている。上背があるため肩越しの上手を取ることもでき、2017年11月場所12日目の豪栄道戦で勝利を収めた相撲などはその典型であった。2018年1月場所は、山根千佳の論評によると、体重を落とした影響で出し投げや横の動きが冴え渡ったとされている。 2019年に入ると突き落とし、叩き込みを武器とするようになり、同年3月場所は勝った14番中6番が叩き込み、3番が突き落としであった。だが、こうした引き技は他に適当なものがないため便宜上の決まり手が付いているに過ぎず、実態としては「押しつぶし」とも言える体重に任せて地面に這わせる内容である。2019年4月の春巡業中の日刊スポーツの記事では「異次元ともいえる取り口」と評された。7月場所4日目の宝富士戦では体格を生かした張り手を計6発放って押し出しで破るなど、本来の四つ相撲とは違う相撲を見せている。これは四つ相撲一本では相手に研究されたと痛感したため新境地を求めた結果であった。 2021年9月場所前の報道によると、稽古態度に関して「合同稽古の常連」と評されている。 石浦監督は、稽古不足で体重過多になりがちな逸ノ城個人に向けてではないが「四股やすり足を嫌というほど繰り返すなど、基本の稽古でくたくたになる。その上で体が要求するまま、食べたいだけ食べれば、当然ながら眠くなります。眠くなったら眠りたいだけ眠る。こんな健康的な生活はありません。」とアドバイスしている。基本的に抱える相撲はあまり行わない。逸ノ城の取り口の背景にあるのは高校時代に石浦監督から受けた技術指導であり、足腰の強さに頼って無理に残さず転がるべき時には転がること、抱えずに差すことを教わっている。
※この「取り口など」の解説は、「逸ノ城駿」の解説の一部です。
「取り口など」を含む「逸ノ城駿」の記事については、「逸ノ城駿」の概要を参照ください。
取り口など
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 21:04 UTC 版)
弟の千代鳳と概ね同様の突き押しが千代丸の型であるが、立合いからの諸手突きを得意としており弟より若干突き押しに徹した傾向がある。下位時代には反り腰の癖が祟って丸い体型を活かせず突き押しも甘くなりがちであったがそれを解消したことで関取昇進を掴むことができた。また稽古嫌いでもあり、九重からは新十両昇進会見で「自分から稽古をやろうとしない。弟がいたから上がれた」と辛口の評を下され、稽古嫌いであることを明かされた。同じ場にいた本人もそれを自覚しており「弟が先に上がって、焦りも負けたくないという気持ちもあった」と千代鳳に対する競争心も語った。2017年13日目の支度場所では幕内で2年半ぶりに勝ち越した要因について「四つ相撲に変えて引く相撲が少なかったから。四つになったら、引きようがない」と自己分析していた。的が小さく巨腹をあてがいづらい小兵力士には弱く、2019年頃になってもその傾向は変わらない。 塩を撒く量は少なく、ソップ型でありながら大量の塩を撒く照強とは好対照。 2021年2月の協会公式YouTubeチャンネルで測定したところによると握力は35kgであり、企画参加者17人中最下位であった(1位は宇良の100kg超、最下位から2番目の松鳳山は54kg)。進行担当の音羽山が思わず本気を疑う測定値であった。
※この「取り口など」の解説は、「千代丸一樹」の解説の一部です。
「取り口など」を含む「千代丸一樹」の記事については、「千代丸一樹」の概要を参照ください。
取り口など
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 08:05 UTC 版)
大相撲入り以降は右四つでも左四つでも取れるようになったが、日大時代は右四つの取り手であった。輪島はがっぷり四つにならないので右差しでも左差しでも体の動きの自由度は変わらず、それは輪島の幅広のやや前すぼみの肩という体型に由来しており、体型的に胸を合わせる四つ身の型にはなりにくかった。輪島は左下手一本でも引き付けて肩を密着させてくるので、体を開いて投げを打って対抗することもやりづらかった。怒り肩をしていたため、有効身長は実際の身長と比べて高かった。。 輪島の下手投げは投げの打ち返しか動いてくるところを小手投げのようにしたり引きずるようにしたりして投げるものではなく、腰の力を利用して土俵の真ん中からいきなり投げて相手を裏返す凄まじい威力のものであり、輪島は現役時代に「下手投げは上位では効かない。だから悪い手だ」という常識に対して「下手投げでも、根こそぎ投げるから構わない」と言い放ち、その通りにしてきた。左からの投げは下手投げに限らず上手投げも掬い投げも小手投げも強かった。寄り足はお世辞にも速いと言えなかったがすり足が徹底されていたためうっちゃりによる逆転を許さなかった。差せば腕を返し、押せば押し上げ、おっつけも絞り上げるなど、出る時に力を下から上へと加えたため、吊り身でなくても相手を浮かせることができた。逆にうっちゃりがないため、立合いで失敗して一気に土俵に押し込まれた時が最大の弱みになった。 立合いを称賛されることは少なかったが、横綱昇進直後の記事では概して「ゆとりある幅の広い立ち合いをしており、立ち合いがずれても抜群の足腰のおかげで甘さにつながらず、相手を見ながら前さばきで押さえ込もうとする」と評され、この立合いに加えて「攻める踏み込みが自在に加われば、これは完璧である」と言われていた。その頃は「双葉山の立合いに最も近付き得るのは輪島」とまで期待された。一方で小兵であったため変化をすることも多かった。ほとんどの場合は左に飛んでいたが、良く見て当たる瞬間に変わるので失敗率が低かった。押し相撲の力士であったが突進型でなかった大受も輪島の変化はよく喰らった。ただ、輪島の変化は決まり手に直結しない場合が多く、逃げただけの印象を与えることがままあった。
※この「取り口など」の解説は、「輪島大士」の解説の一部です。
「取り口など」を含む「輪島大士」の記事については、「輪島大士」の概要を参照ください。
取り口など
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 06:27 UTC 版)
小柄な体格を生かしたスピードや切れのある相撲を得意とする。ベースには奄美大島の"島相撲"があり、「相手の懐に潜って食いつく」と評されている。本人もこの取り口について「自分も気づいていたらあのような相撲を取っていた。指導者も皆、同じ相撲だから」と語っている。因みに奄美市出身の里山も同様の取り口である。反面、無理な態勢からの投げや足技などがあり、大怪我も何度か引き起こしている。高校時代に左肩を負傷した影響で差し手を返す威力に欠け、相撲が長くなりがちである。
※この「取り口など」の解説は、「慶天海孔晴」の解説の一部です。
「取り口など」を含む「慶天海孔晴」の記事については、「慶天海孔晴」の概要を参照ください。
取り口など
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/27 01:04 UTC 版)
基本的に長身とリーチを生かした突き押しを行い、左のおっつけも交えて低く当たって相手を土俵外へ出すのが輝の相撲での良いパターンである。十両昇進時の報道によると師匠高田川は「器用だからまわしを取ってもいい。立ち合いの当たりをもっと強くして、ぶっ飛ばして突くもよし、差すもよしとなれば、相手も相当怖いはず」と話している。しかし体質なのか体に張りが欠けており、35代木村庄之助からはその点を指摘されている。2016年11月場所前の座談会では鳴戸が「突き押しだけだと腕も伸びなくてなかなか幕内では通用しないけど、先場所(同年9月場所)は突っ張りで相手を起こして中に入る相撲が多かったので、勝ち越しにつながったと思います」と話している。2017年1月場所前にお笑い芸人を集めて行われた座談会でははなわから腰高を指摘されている。2016年後半にかけては両差しの相撲も見せている。 2017年のインタビューでは立合いで当たり負けをしないが前半戦で出遅れることを自ら話している。同年7月場所3日目の宇良戦を終えた後の支度部屋では「しっかり当たっていこうと思った。相手はもぐってくるんで、それを警戒した。先場所はそれで負けているんで」と自身の取り口や弱点を分析していると言えなくもないコメントを残している。2017年9月場所前の座談会では西岩(元関脇・若の里)が「あの腰高は直らないんじゃないですか(笑)だから、腰高を直すというよりも、あの長い腕を利用して体も大きいですし、曙さんのように突っ張ったり、まわしを取っても体力で圧倒するような相撲を取ったらいいと思います」と話しており、舞の海も「一つ、これだというものをつかんだら化けるんじゃないですか。突っ張ってからパッと上手を取って、かいなを返して寄っていくような相撲が身についたら自信もついてきて、そしたら一気に駆け上がっていくような気がします」と評している。 非常に稽古熱心な力士であり、2017年11月の記事によると、場所中でも夜のちゃんこを食べ終えると、席を立って稽古場に足を運んで、四股、すり足、鉄砲、その日の取組で上手く行かなかった点の確認などを行う。2016年1月場所から始めた習慣であり徐々に部屋でも追随する力士が増えたが、食事に同席している後援者はこれに驚くという。 2021年10月25日の合同稽古では「先場所(2021年9月場所)土俵際で逆転される相撲が多くて、それで何番も負けてしまった。そうならない形を見つけて確認したい。土俵際で焦ってしまう癖を治したい」と反省していた。
※この「取り口など」の解説は、「輝大士」の解説の一部です。
「取り口など」を含む「輝大士」の記事については、「輝大士」の概要を参照ください。
取り口など
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/29 03:41 UTC 版)
基本的に体格と力を活かした四つ相撲が持ち味であり、立合いで突き放す相撲にも長けている。力相撲がツボにはまれば上位陣にも強く、2014年1月場所5日目に稀勢の里を押し出しで破った相撲は特に評価されている。稽古場では栃煌山を電車道で持って行くこともあり、新関脇会見でも春日野から「馬力はピカイチ」と評されている。この背景には本人の稽古熱心さが関係している。一方で自他ともに認める腰高であり、14代田子ノ浦が死去した際には「腰を割る相撲は簡単ではないけれども、直後の場所では頑張る」という趣旨の発言をしていた。新関脇昇進の際には、田子ノ浦から指導を受け継いだ春日野からも今後の課題として挙げられている。元テレビ朝日アナウンサーの銅谷志朗は2014年11月場所前の座談会で「押しに徹してもらいたいけど叩きも強烈」と評している。鳴戸は2016年11月場所前の座談会で「いなされたり引かれたりするといろいろ考えて当たれなくなるし、叩く癖もあるからそこを直して、あの大きな体を生かして前に出る相撲を取っていけば、また三役に復帰すると思います」と話していた。最高位が関脇以下の力士との幕内対戦成績からうかがえるように、右四つよりも左四つの力士に強い。横綱クラスの力士には突き押しでないと通用しないようであり、2017年5月場所中日の稀勢の里戦で敗れた際は「突き放したかったけど、左を差されたら横綱の相撲になっちゃう。残念」と、9日目の白鵬戦で敗れた際には「離れて取りたかった。四つになっちゃダメでしょう」とそれぞれコメントしている。 前述のとおり、2015年は「大関昇進」を目標としている。体重を理想(182~184kgくらい)まで減らすことと、腰高を改善することが大関昇進への課題である。しかし、結局叶わなかった。2017年7月場所後に相撲雑誌に掲載された緒方喜治の記事では、碧山が一進一退を繰り返していたのは立合いで考えすぎる性格が災いしたことによるという。 幕内に昇進した頃は四つ相撲と押し相撲を使い分けていたが、近年では膝の影響もあって突き押し相撲が主体となっており、2017年3月場所から11月場所までの5場所では計31の白星の中で寄り切りの決まり手は1つもなかった。 2018年頃に左足首の骨がずれた際に引っ張って関節に嵌め込む矯正を担当した医師が「足首が硬い」と体質について話していた。 これに限らず同じく2018年頃になると細かい怪我が増え、2018年9月場所中は本人が「いつも何かあって辛い」と嘆いていた。 ベテランになっても熱くなりやすいという精神面の欠点があり、2019年1月場所はそれが原因で負け越しを喫したと自ら振り返っている。3月場所は一転して15日間安定した気持ちで取れたので好成績を収めることができた。 狙って行う場面は少ないが、時々流れで張り手がクリーンヒットしてそのまま勝ってしまうこともある。例として、2019年5月場所初日の玉鷲戦では、炸裂音が会場に鳴り響くほどの強烈な張り手が偶然ヒットしてそのまま押し出しで勝っている。 軽量力士には張って距離を取る相撲が見られるが、2019年11月場所5日目の炎鵬戦のように腰が引けているので大して効かず、最後に引き技に負けてしまう相撲もある。 2020年3月場所中に14代玉ノ井は碧山を「組まれて横に揺さぶられると、途端にもろさが出るタイプ」と評している。 相手が引いたりいなしたりせずまともに攻めてくる稽古場や巡業での申し合いでは「勝率も8割ぐらい」と評されるほど強い。いわゆる「稽古場横綱」であり、稽古場では弱いが本場所では強い「場所相撲」の御嶽海とは好対照を成す。無観客場所として行われた2020年3月場所では本来の力が発揮できるという声もあった。2020年3月場所中、部屋の元大関の栃ノ心は「稽古場みたいに落ち着いている。稽古場じゃ強いからね。だれもかなわない」と碧山を評していた。実際にこの場所では終盤まで優勝争いに絡む活躍で技能賞を獲得している。 上述のようにはたきも強烈な武器となっており、碧山が2020年に挙げた白星の中では全体の1/3以上の割合を占める程であるが、その一方で攻めきれない場面や守勢に回った時でもまともに引く引き癖が顔を見せることが多々あり、優勝争いをしていた2020年3月場所13日目の隆の勝戦では引き癖により相手の押しを呼び込んで敗れて単独首位の座を手放した。 2021年2月の協会公式YouTubeチャンネルで測定したところによると握力は70㎏であり、進行担当の音羽山によるときちんと握力計に指が入っていれば80㎏は記録したという。
※この「取り口など」の解説は、「碧山亘右」の解説の一部です。
「取り口など」を含む「碧山亘右」の記事については、「碧山亘右」の概要を参照ください。
取り口など
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/03 04:39 UTC 版)
入門当初130kgあった体重は右肩上がりに増え、2011年秋場所では195kgを計測。しかも体重の割に筋肉質であり、2014年1月場所初日のNHK大相撲中継では解説者の舞の海秀平が「200kgあるとは思えない」と感想を述べていた。重量だけでなくリーチにも恵まれており、その体躯を活かして突っ張りや喉輪などを駆使して離れて取りながら前に出る相撲を展開したが腰高が祟って巨体に比べ腰は軽い部類に入り、投げに転がる場面も目立った。2014年9月場所9日目に弟弟子の佐田の海が逸ノ城と対戦した際直後に「佐田の富士関の方が差したときの重さがある」と証言している。
※この「取り口など」の解説は、「佐田の富士哲博」の解説の一部です。
「取り口など」を含む「佐田の富士哲博」の記事については、「佐田の富士哲博」の概要を参照ください。
取り口など
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/03 04:29 UTC 版)
体格に恵まれており、学生時代までは四つ相撲中心だった。角界入門後にスタイルを改め、仕切り位置を他の力士よりもやや後ろに取り、勢いを付けた立合いのぶちかましから馬力十分の右喉輪・突っ張り・ハズ押しのみを武器に一徹に押す相撲を取っていた。同様の取り口を武器に活躍し『猛牛』の異名をとった第53代横綱琴櫻に準え、『平成の猛牛』というニックネームで呼ばれる場合もある。欠点としては、全身を使って相手を突っ張るため大振りになりがちであり、また攻め込みながらバランスを崩して逆転負けをすることもある。実際のところこのスタイルも影響してなのか変化をされる事が多く、2016年は年8回変化を受けて2勝6敗とこの年の幕内の中で最も多く変化で敗れており、変化には非常に弱い。 本領ではないにしろ四つ相撲の力もそれなりに持つ。十両で戦う際は四つを得意とする相手と組み合って互角以上の勝負を見せることがあり、そのまま寄り切ることもできる。2013年に入ってからは四つ相撲が目立つ。また、ツラ相撲の傾向がある。 名古屋場所は過去2回2桁白星で敢闘賞を受賞するなど験の良い場所である。一方で、秋場所は験が悪く、幕内では8場所中2場所しか勝ち越しを果たしていない。 引退会見では網膜剥離を患ってもなお押し相撲に徹したことに対して「正直、怖かったが、押しに対するこだわりがあった」と思うところを語った。
※この「取り口など」の解説は、「豊響隆太」の解説の一部です。
「取り口など」を含む「豊響隆太」の記事については、「豊響隆太」の概要を参照ください。
取り口など
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/04 07:21 UTC 版)
得意手は突き、押し、右四つ、寄り倒し。入門当初から新十両までは主に突き押しを使用していた。取り分け体格を活かし、迷わず閂に持ち込んで崩して繰り出す寄り倒しにより、栃矢舗、慶天海など多数の力士が重傷を負ったとされる。一方で、外四つ相撲の特性上長身力士や速攻の突き押し相撲には弱い傾向にある。右ノド輪で攻め立てる相撲も得意としている。
※この「取り口など」の解説は、「徳真鵬元久」の解説の一部です。
「取り口など」を含む「徳真鵬元久」の記事については、「徳真鵬元久」の概要を参照ください。
取り口など
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/23 13:56 UTC 版)
右四つ得意とされ、実際に右四つに組むことが多いが、左四つでも遜色なく取れるいわゆる「なまくら四つ」である。右でも左でも胸を合わせたがっぷりの体勢になれば十分で、廻しを引き付けて吊り寄り気味に寄って出る。この型になれば横綱・大関とも互角以上に渡り合う地力があり、懐が深いために両上手のいわゆる外四つの状態でもある程度の相撲が取れ、逆転の叩きや引き落としも決まる。しかし、自身も腰が高いことが多いため、寄って出ながら土俵際で逆転を食らうことが多かった。立合いでは勢い良く足を出して差すか上手を狙うが当たりは強くなく脇が甘い。また突き押しが不得手であるため、立合いで優位に立てなければあまり攻め手はなかったようである。また、四つ相撲の取り手としては珍しくツラ相撲の傾向があった。 2014年9月13日に40歳を迎えた以降も、がっぷり四つになれば新進気鋭の若手にも負けないほどの実力を示していたが、上位陣には昔から滅法弱く、横綱・大関陣には対戦成績で大きく引き離されていた。しかし2004年5月場所では、当時無敵を誇った横綱・朝青龍をがっぷり四つからの吊り出しに破り、四つに組み止めた時の地力の高さを見せ付けた。朝青龍が横綱になってから吊り出しで敗れたのはこの1回だけである。 怪我に強く、上記の謹慎による休場を除けば休場は序二段時代の全休一度だけで、幕内で休場したことは一回もなく、40歳に達しても若々しい体の張りを保ち続けて、大相撲中継でアナウンサーや解説者にしきりに「体が若い」などと感嘆されていた。北の富士勝昭は、本人が幕内最高優勝を果たした2012年5月場所千秋楽(2012年5月20日)のNHK総合・大相撲中継における解説にて「この人はあと5年は(相撲を)取れるね」と評した。筋力は年齢を重ねても衰えず、2015年1月10日に放送されたTBS『ジョブチューンSP』にゲストとして出演した際には、白鵬など他のゲストの力士らと背筋力測定のコーナーに挑戦して、そこで296.5kgを記録して優勝し、出演者の堀内健から「40歳ですよね」とその怪力ぶりを驚嘆された。
※この「取り口など」の解説は、「旭天鵬勝」の解説の一部です。
「取り口など」を含む「旭天鵬勝」の記事については、「旭天鵬勝」の概要を参照ください。
取り口など
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/12 08:17 UTC 版)
基本的に突き押しを得意としており、13代鳴戸からは、入門当初より「当たってひたすら突っ張れ」と教え込まれた。一方で、左四つからの寄り身も強みである。差し手の返しが多少甘くても、胸を合わせて体力で押し込む場合が多い。前述のように上手捻りも得意としており、投げは左四つになれば上手からでも下手からでも出る。攻めが速いので出足が鈍い力士には相性が良い。一方、安易に廻しを取ろうと当たりの弱い立合いをすると上位力士には苦戦する。 大至伸行は2014年3月場所前の座談会で「足腰が硬い印象はあるけど、そこを分かった上で相撲を取っている印象」と体質と取り口の兼ね合いについて好評価していた。豪栄道との対戦成績は19勝11敗(不戦勝、不戦敗各1を含む)と大きく勝ち越しており、2013年7月場所に初黒星を喫するまで豪栄道には初顔から6連勝していた。足腰は堅いが上体は柔らかく、鳴戸は2016年11月場所前の座談会で「ちょっと力が上に抜けてやりづらい相手でしたね。突っ張っても力が上に逃げてしまうというか、ほかの力士にないものを持っていますね」と高安の体質について現役時代の取組の感想と共に話している。2016年11月場所前には左四つ一本の力士になろうと決めたが、実際に左四つ中心の相撲を試して負け越したため諦めている。叩きも上手く、無理して攻める相手にはいなしてタイミングよく落とすことが多い。2017年7月場所前のコラムでは舞の海が「夏場所(2017年5月場所)の高安は、叩きが多かったことで、やや批判的な声もありますが、自分はあまり悪い印象はないですね。高安の叩きは苦し紛れではなく、馬力で圧倒しておいての引き技なので、危なげがないです。それだけ馬力、押し込みが強いとも言えます。相撲は押して勝つ、寄って勝つですが、バランスの崩し合いなんです。たとえばはたき込みだけで8番勝ったとすれば、それはもうその力士の芸なんですよ(笑)」と評価している。大関候補に名乗りを上げてから本人は「突っ張ってから展開する相撲が合っている」と考えるが、実際は突っ張りだけで勝負が決まることも増えている。強烈なかち上げや、突き、押しを軸に大関の地位を手に入れたが、昇進直後の記事では「これまでやってきた自分のスタイルを強化していく」と力強く言い切った。2017年9月場所前の座談会では西岩(元関脇・若の里)が「コンスタントに二桁白星を挙げるには、上体が伸びあがるようなかち上げはやめたほうがいいと思います。かち上げはいいと思うんですよ。ただ、膝を曲げてもっと低い体勢からいってもらいたい」と話している。 一方で、腰高で脇が甘いので守勢に回ると脆く、特に差し身の上手い相手には苦労しており、諸差し(もろさし)からの速攻を得意とする栃煌山は大の苦手で、対戦成績は8勝20敗(不戦敗1を含む)と大きく負け越している。また、機動型の力士も苦手としており、稽古場では兄弟子の隆の山を苦手としていた。2017年5月場所前の時点では、稽古場で稀勢の里と三番稽古を行うと五分近い割合で勝ち、時には勝ち越す日もある。大関昇進直前の時期になると立合いでもたついて守勢に回っても巧さで勝つことが増え、2017年5月場所12日目の宝富士戦などは左下手を取られかけ、とっさに右から上手で振り回し、俵を前に一瞬2人が横並びになったところで懸命に右上手投げを決めた。2017年7月場所後の座談会では錣山が「上体が起きたかち上げなので、みんなが覚えてきたら中に簡単に入れます。栃煌山戦もそうですし、そっくり返ってかち上げるので中に入りやすいです最も体を丸くして前傾姿勢でかち上げていけば、また別な高安を見ることができると思います」と前途を案じつつ助言を行っており、さらに叩きが増えたことも指摘している。阿武松も同調するかのように、突っ張りが減ったことを指摘している。2017年8月10日の日立場所では白鵬から「左の使い方を工夫するように」とアドバイスを受けている。2017年9月場所前の黒姫山のコラムでは「高安は稀勢の里と違って左を差して十分ではない。左四つになって右上手を取って初めて十分な体勢になる。かち上げから突き放して相手を起こし、左四つに組み止めるという攻めをもう一度、磨き直してほしい」と言われている。2018年1月場所後の記事では、藤島(元大関・武双山)から「立ち合いの体当たりからの馬力はすごいが、上を狙うには違う立ち合いも身につけることだ」と意見されている。 四つになると捻りを含めて器用さを見せるがたまにその器用さが裏目に出て敗戦を喫することがあり、甲山(元幕内・大碇)がその点を指摘している。実際に2017年3月場所などは前捌きに頼った四つ身の相撲を取ったことが裏目に出て11日目から3連敗しており、阿武松(元関脇・益荒雄)は場所後の座談会で高安に対して「終盤戦は相手を見るようになり、そしてさばく守りの相撲でした。何をやっているんだという感じの相撲になりました。もっと突っ張って攻めるべきです」と注文を付けている。とはいえ器用さが白星を生むことも事実であり、実際に2017年5月場所5日目の遠藤戦などは、下から両手であてがって起こそうとしたが「起こしきれない」と判断すると、相撲内容を瞬時に変更、前に出ていた圧力を利用しながら左を差し、まわしを取って胸を合わせる相撲で寄り切った。 メンタルが強い印象を持たれることがあり、雷(元小結・垣添)などが2017年3月場所前の座談会で「あの大一番(2017年1月場所の白鵬戦)でむしろ、楽しんでいる印象すらある。表情を見ていても、硬くなっている感じは全くしない」と話している。 星取表に現れる特徴としては、序盤の出遅れが目立つ。大関昇進に近づくにつれて体重が増えた影響なのか、2017年7月場所後の武蔵川のコラムではスタミナ不足を指摘されるようになり、そのコラムでは「13日目の白鵬戦なんて、途中から息が切れてるんだもの。どこかの幕下力士かと思ったよ」と酷評された。2018年1月場所では相手を受けてからどうにかする相撲に終始し、やはりスタミナ不足により長期戦で疲れて相撲が雑になることで星を落とした。ただし、2021年11月場所2日目の宝富士戦では3分を超える長い相撲を制しているため、一概にスタミナが無いとは言い切れない。この場所は3日目の妙義龍戦でも黒星を喫したものの1分43秒の長い相撲を取り、4日目の志摩ノ海戦でも3分32秒の熱戦を制するなど、寧ろスタミナ自慢を印象付けている。 2019年5月場所中の7代高砂の論評では、当たりの強さが無くなって最初から左四つになろうと棒立ちの立合いをしていると評されている。7代高砂は同年11月場所中にも威力に欠けた差しに行くような立合いを指摘しており、休場明けによる勝負勘の衰えについて触れていた。11月場所後、15代武蔵川はかち上げの際に腰が反ることにより相手の体重が自分にかかってしまうこと、体がしぼんでいることなどを指摘した。 2020年1月場所の7代高砂の分析によると、張られてすぐにカッとなり相手に応戦してしまい四つを磨けなかったところが短命大関に終わった理由とされる。 2020年9月場所頃になると大関に上がり横綱も期待された頃の馬力相撲は影を潜め、フワッとした様子見の立合いから左を差すのか右の上手を取りたいのか分からない動きをする半端相撲に甘んじるようになった。 2020年は相撲の遅さが目立ち、この年5場所全て幕内に在位していた29人を対象に日刊スポーツが算出した1番あたりの平均取組時間は1位の15秒6。 2021年3月場所中、八角理事長は好調の要因としてドッシリとした踏み込みからの出足、右のおっつけを挙げた。場所後に武蔵川から、相手の動きに合わせて取っているだけで自ら攻めないこと、ここ一番でチャンスをものにできずメンタルが弱いことを指摘された。 2021年11月場所中に8代尾車は、大関時代からの課題である左半身の決め手を欠く相撲を指摘し、長い相撲になるのは攻め手を欠くためだと語った。 2022年3月場所7日目の北勝富士戦では下から突き上げる速い相撲で勝ち、花田虎上から「久しぶりに高安らしい相撲を見た気がします」と評された。一方、肝心なところで勝負を焦って転がる相撲で白星を逃す悪癖もこの場所では目立ち、14日目の御嶽海戦、若隆景との優勝決定戦がその好例である。
※この「取り口など」の解説は、「髙安晃」の解説の一部です。
「取り口など」を含む「髙安晃」の記事については、「髙安晃」の概要を参照ください。
- 取り口などのページへのリンク