双葉山とは? わかりやすく解説

双葉山定次

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/22 09:19 UTC 版)

双葉山 定次[注釈 1](ふたばやま さだじ、1912年2月9日 - 1968年12月16日)は、大分県宇佐郡天津村布津部(現:大分県宇佐市下庄)出身で立浪部屋に所属した大相撲力士。第35代横綱位階従四位。本名は龝吉 定次(あきよし さだじ)[1]


注釈

  1. ^ 「双」は「雙」の略字だが、番付では初土俵のときの誤記とおぼしき「二葉山」以外は全て「双葉山」と表記されていた。
  2. ^ 1933年5月場所などは4勝のうち3勝がうっちゃりによるものだった。
  3. ^ この場所中に祖母が死去したこともあり、悲しみを乗り越えるために猛稽古に取り組んだ成果とも取れる。
  4. ^ ただし、玉錦は前々場所(1935年5月場所)4日目から双葉山に敗れるまで27連勝(うち不戦勝1回)、その連勝の1勝目が双葉山だった。玉錦の最後の優勝と双葉山の初優勝を跨いで二度以上優勝した力士はおらず、1938年12月に玉錦が急死したこともあるが、明確な覇者交代の一番として現在まで語り継がれている。
  5. ^ 先場所に双葉山が初めて玉錦を破ったものの地力では玉錦の方が上で、玉錦から見ればこの場所が双葉山に土を付ける最後のチャンスだったのではないかという見方もある。
  6. ^ 昭和以降に大関へ昇進した力士で大関在位期間が全勝だったのは双葉山のみである。なお、大正時代には栃木山守也が2場所20戦を19勝1預で横綱に昇進している。
  7. ^ なお、江戸時代の記録は「どの場所を本場所とするか」「分・預・無勝負・休をどのように扱うか」によって大きく変わるが、酒井は「江戸場所のみが本場所、京阪場所は除外」「分・預・無勝負・休があっても連勝は継続」と解釈した上で、過去の最多連勝記録を谷風の63連勝と認定したのである。
  8. ^ これが遠目には安藝ノ海が右外掛けを掛けたかのように見えたため、翌日の各新聞は「安藝ノ海の外掛け」と誤って報じた。ニュース映画を見て誤報であることは明確になったが、当時ベテラン記者だった彦山光三は「レンズと言えども正確とは言えんよ」と言って自説を譲らなかったという。
  9. ^ 12日目に2敗力士がいなくなり、番付上位者優勝制度のために東正横綱の双葉山の優勝が確定したものである。優勝決定戦がある現行制度に照らせば13日目での優勝決定だったことになる。
  10. ^ 現在でも年寄名跡継承などの点から親方の娘との結婚が見られる。
  11. ^ 白鵬が連続全勝優勝の記録を更新するまで大鵬幸喜(3回)、千代の富士貢貴乃花光司朝青龍明徳も2場所連続全勝優勝を記録した。
  12. ^ 屋外での開催となるため、翌年1月場所を前倒しで開催したものである。
  13. ^ 正確には幕下までは13尺土俵で取っている。
  14. ^ ちなみに時津風部屋は、現在でも「双葉山相撲道場」の看板を正式な部屋名と共に掲げている。北葉山英俊が入門する際、「時津風部屋はどこですか?」と聞いても誰も知らず、「(双葉山)『道場』ならそこだよ」と教えられたという。
  15. ^ のちに天龍源一郎も土俵上ではなかったが日大講堂となった旧国技館で断髪式を行っている。
  16. ^ 璽光尊こと長岡良子も逮捕後の精神鑑定の結果、「誇大妄想性痴呆症」と診断されて食糧管理法違反も違法なしと判断、不起訴となった。
  17. ^ 取り直し制度導入以降の最高勝率。ただし、白鵬は2007年7月場所から2020年3月場所現在までの横綱在位76場所で872勝125敗143休(勝率.875)で、双葉山の勝率に現在のところ迫っている。
  18. ^ 全勝8回は当時の最多記録。年6場所制となってからは大鵬と並んで歴代2位タイ、2020年3月場所現在の最多は白鵬の15回。
  19. ^ 1999年に読売新聞が『20世紀スポーツ列伝-世界に挑んだ日本人』を連載し、双葉山を取り上げたが、取材した記者は「近親者の話が聞けなかった」ことを心残りとしている。この時点で澄子が双葉山の唯一の近親者だったが、取材申し入れに対し、澄子は「話したくない」と断った(『20世紀スポーツ列伝-世界に挑んだ日本人』、40頁)。
  20. ^ 博子が生まれる前の1942年に女児(名前不明)が生まれたが、間もなく亡くなった(『宇佐学マンガシリーズ①相撲の神様 双葉山』、156頁)。また、子供は「二男一女」とする資料もあり、経治は二男で、長男(生年、名前ともに不明)は「幼くして亡くなり」と書かれてあり(『20世紀スポーツ列伝-世界に挑んだ日本人』、40頁)、経治と博子は戸籍上はそれぞれ二男と二女になる。
  21. ^ 1936年5月場所〜1937年1月場所は11戦全勝、1937年5月場所〜1938年5月場所は13戦全勝。
  22. ^ 1939年1月場所は13日制。
  23. ^ 蓄膿症により全休
  24. ^ 脇腹疼痛により12日目から途中休場
  25. ^ アメーバ赤痢により7日目から途中休場
  26. ^ 面疔により2日目から途中休場

出典

  1. ^ a b c d e f g h i 『大相撲名門列伝シリーズ(4) 立浪部屋』p22
  2. ^ 『相撲』2012年8月号83頁の記事では、当時を知る写真館の店主である工藤明が「双葉山関も写真が大好きで、ウチへはそれこそありとあらゆる写真を撮りに来て下さった。」と証言している。
  3. ^ a b "双葉山 定次". 20世紀日本人名事典. コトバンクより2023年1月16日閲覧
  4. ^ a b "双葉山定次". 日本大百科全書(ニッポニカ). コトバンクより2023年1月16日閲覧
  5. ^ a b c d e f 【大相撲豪傑列伝】(11)69連勝のかげに身体障害あり 双葉山定次 産経新聞 2008.12.6 16:29
  6. ^ a b 『相撲』21ページ
  7. ^ 石井代蔵『巨人の素顔〜双葉山と力道山〜』(講談社)
  8. ^ a b c d e f g h i j 『大相撲名門列伝シリーズ(4) 立浪部屋』p18-19
  9. ^ a b 『私の履歴書 最強の横綱』
  10. ^ a b c d 北辰堂出版『昭和平成 大相撲名力士100列伝』(塩澤実信、2015年)15ページから17ページ
  11. ^ 『双葉山の世界』豊の国宇佐市塾
  12. ^ 『相撲』34ページ
  13. ^ a b 『相撲』25ページ
  14. ^ 『相撲』35ページ
  15. ^ a b c 『相撲』22ページ
  16. ^ 朝日新聞縮刷版. 朝日新聞社 
  17. ^ 酒井忠正『相撲随筆』. ベースボール・マガジン社. (1995年5月) 
  18. ^ 酒井忠正 双葉山と古今先人の比較 相撲 4(1) 1939年1月 日本大相撲協会
  19. ^ a b 『大相撲中継』2017年5月27日号16-17頁
  20. ^ Vol.61 双葉山70連勝ならず 隻眼の大横綱、初顔に屈す 昭和14年1月15日 (1/2)‐昭和史再訪セレクション‐地球発‐[どらく 2010年11月6日朝日新聞夕刊紙面 1頁。]2023年8月1日閲覧。
  21. ^ 『相撲』28ページ
  22. ^ a b Vol.61 双葉山70連勝ならず 隻眼の大横綱、初顔に屈す 昭和14年1月15日 (2/2)‐昭和史再訪セレクション‐地球発‐[どらく 2010年11月6日朝日新聞夕刊紙面 2頁。]2023年7月2日閲覧。
  23. ^ 27代木村庄之助『ハッケヨイ 残った』1994年 東京新聞 48ページ。
  24. ^ 『相撲』36ページ
  25. ^ 歴史ポケットスポーツ新聞 相撲 p.41 双葉結婚!巻き返し誓う 大空出版
  26. ^ 双葉関の想い出(インタビュー) 工藤誠一さんに聞く
  27. ^ a b 『大相撲名門列伝シリーズ(5) 時津風部屋』p51
  28. ^ 突然引退表明、年寄時津風部屋を州名 昭和20年11月26日 毎日新聞(東京)『昭和ニュース辞典第8巻 昭和17年/昭和20年』p715 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
  29. ^ 【私の“奇跡の一枚” 連載100】相撲界劇的復活の原点! 歴史的“非公開”場所の風景 BBM Sports 2021-02-02 (2021年2月5日閲覧)
  30. ^ 『大相撲名門列伝シリーズ(5) 時津風部屋』p53
  31. ^ 佐藤垢石『耳舌談:随筆』76頁「力士と人間」,桜井書店,昭和17. 国立国会図書館デジタルコレクション
  32. ^ 沓掛享治郎 著『決戦驀ら』,駸々堂,昭和18. 国立国会図書館デジタルコレクション
  33. ^ a b 『大相撲名門列伝シリーズ(5) 時津風部屋』p10-11
  34. ^ 『大相撲名門列伝シリーズ(5) 時津風部屋』p9
  35. ^ ベースボール・マガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(5) 時津風部屋』. ベースボール・マガジン社. (2018年1月22日) 
  36. ^ 風化させるな 大相撲事件史(15/15ページ) JIJI.COM 2022年07月12日18時00分 (2022年8月10日閲覧)
  37. ^ 『大相撲名門列伝シリーズ(5) 時津風部屋』p12
  38. ^ 「自分本位では成り立たぬ」 元時津風理事長の内田勝男氏(78)(2/4ページ) 産経ニュース 2016.1.2 22:19
  39. ^ 「自分本位では成り立たぬ」 元時津風理事長の内田勝男氏(78) (3/4ページ) 2016.1.2 22:19
  40. ^ 「国技」大相撲が戦前から批判されてきた大きな矛盾 大相撲へ愛をこめて叱咤激励(4/5ページ) JBpress 2020.1.24(金)(2020年10月12日閲覧)
  41. ^ 八幡宮・石碑めぐり」『社報 富ケ岡』第31号、富岡八幡宮、2003年4月20日、2022年4月3日閲覧 
  42. ^ a b 『大相撲名門列伝シリーズ(5) 時津風部屋』p36-39
  43. ^ スポーツ・グラフィックナンバー『熱血!名力士列伝 怪力・異能・土俵の鬼』〈文春文庫〉(原著1993-2-10)。ISBN 4-16-810821-X 
  44. ^ 『相撲』33ページ
  45. ^ 『プレジデント = President』1983年2月号,角界ニューリーダーが修業した「親方道」とは / 石井代蔵/p139,プレジデント社,1983-02
  46. ^ 石井代蔵 著『土俵の修羅』p288「双葉山の審判‐時津風部屋騒動」,新潮社,1985.11
  47. ^ 『股関節を動かして一生元気な体をつくる』刊行記念鼎談 内田樹(合気道)×元・一ノ矢(相撲)×安田登(能楽)――伝統文化の身体を語る 実業之日本社 2013.07.18
  48. ^ 『相撲』19ページ
  49. ^ 佐藤堅司 著『神武の精神』横綱双葉山の場合,弘学社,昭和19.国立国会図書館デジタルコレクション
  50. ^ [宮崎敏明 著『細目式児童・青年相撲指導の新体系』力士の典型 双葉山定次,明治図書,昭14. 国立国会図書館デジタルコレクション]
  51. ^ 小坂秀二『わが回想の双葉山定次』(1991年9月 読売新聞社)304頁。なお、当時少年だった小坂も双葉山の右目の白い星や、彼の動き方などから右目が悪いことに気づいていたというので、実際は公然の秘密として広く知られていた可能性がある。
  52. ^ 『相撲』62ページから64ページ、「きちょう面で信念に徹した人」。
  53. ^ 工藤美代子は双葉山に関する取材を澄子に試みようと何回か手紙を出したが返事が無く、止む無く断念したという経緯を明かしている(工藤(1991)、183頁)。
  54. ^ 『相撲』2018年1月号126ページ
  55. ^ 池田雅雄の証言では、結婚するまで童貞だったという意味ではなく、一度も八百長をしなかったからそう呼ばれたのだという(工藤(1991)、166頁)。
  56. ^ 『大相撲名門列伝シリーズ(5) 時津風部屋』p52
  57. ^ a b 『大相撲名門列伝シリーズ(5) 時津風部屋』p54
  58. ^ 【若乃花の目】ファンに最も厳しく見られる「1年最後」の九州場所 注目は貴景勝の綱とり 日刊スポーツ 2023年11月12日5時0分 (2023年11月12日閲覧)
  59. ^ 『大相撲名門列伝シリーズ(5) 時津風部屋』p19-21
  60. ^ 双葉山愛用の火鉢寄贈 弟子の内田元相撲協会理事長 宇佐の施設でお披露目式 [大分県] 西日本新聞 2018年09月02日 06時00分(西日本新聞社、2018年9月3日閲覧)
  61. ^ 佐藤祥子『相撲部屋ちゃんこ百景 とっておきの話15』 pp.128-129 河出文庫 2016年 ISBN 978-4309414515
  62. ^ 『板垣精神 -明治維新百五十年・板垣退助先生薨去百回忌記念-』”. 一般社団法人 板垣退助先生顕彰会 (2019年2月11日). 2020年9月1日閲覧。
  63. ^ 1分


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