DDTプロレスリング
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/08 08:49 UTC 版)
種類 | プロレス |
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所持会社 | CyberFight |
使用開始国 | 日本 |
使用開始 | 1997年 |
関連ブランド |
プロレスリング・ノア 東京女子プロレス |
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 〒160-0022 東京都新宿区新宿2-1-2 白鳥ビル1階 DDT事業部 |
設立 | 2020年9月1日 |
業種 | サービス業 |
法人番号 | 6011101052361 |
事業内容 |
プロレス興行 関連企画の運営 映像の企画、製作 飲食店の経営 |
代表者 | 代表取締役社長 岡本保朗 |
資本金 | 300万円 |
純利益 | ▲1億0400万円(2023年9月期)[1] |
総資産 | 2億9100万円(2023年9月期)[1] |
主要株主 | サイバーエージェント 100% |
外部リンク |
www |
特記事項: 2000年6月、有限会社ドラマチック・ドリーム・チームを設立。 2004年4月1日、社名を有限会社DDTプロレスリングに変更。 2009年、株式会社DDTプロレスリングを設立。 2017年9月1日、株式会社サイバーエージェントに全株式を譲渡して同社グループに参画。 2020年9月1日、ノア・グローバルエンタテインメント株式会社及び株式会社DDTフーズと経営統合して株式会社CyberFightを設立。 |
団体名の由来
プロレス技「DDT」と同じ略称となるように、プロレスを題材にした漫画『1・2の三四郎 2』の主人公が所属しているプロレス団体「ドリームチーム(Dream Team)」に「ドラマティック(Dramatic」)を冠したもの。設立当初はドラマチック・ドリーム・チームが正式な団体名であった。なお、当時の旗揚げメンバーであった野沢一茂は団体名の候補として「超日本プロレス」という名前を提案していたが却下されている。
2004年4月1日、新法人への移行と合わせて団体名をDDTプロレスリングに改称。現在は複数の別ブランドや子会社も展開してDDTプロレスリングのグループを構築している。
特徴
エンターテインメント色が強くプロレス記者の鈴木健により、このスタイルを「文化系プロレス」(高木三四郎の著書「俺たち文化系プロレス DDT」がある)と名づけられた。元代表の一宮章一は「小さなWWE」と表現したことがある。
小規模会場やライブハウスで定期的な興行を開催してエンターテインメント色を大胆に打ち出すことによって支持を拡大。こういったスタイルは、以降に設立されたプロレス団体がこぞって追随している。年に数回、地方遠征も開催している。高木の社長就任以降は両国国技館、日本武道館、さいたまスーパーアリーナ、大阪府立体育会館などでビッグマッチも開いている。
2005年から2008年まで東京都足立区入谷に道場を構えて道場で試合を定期的に行っていたが諸事情により道場を手放したため新木場1stRINGなど外部の施設を借りて練習を行っていた。2014年12月17日、それまでレンタルという形で使用していたTAKESHIBAコロシアムをプロレスリングZERO1とスターダムでシェアする形で使用することを発表[2][3]。2018年4月、板橋区に道場を開設。2019年3月、文京区御茶ノ水に道場を移転。
歴史
1990年代
- 3月25日、日比谷ラジオシティでプレ旗揚げ戦を開催。プレ旗揚げ戦においては「観客の過半数の支持が得られなかった場合、旗揚げは取りやめる」と宣言していた。全試合終了後、観客に意を問うたところ大部分の支持が得られて正式な旗揚げ戦となった。この大会に付けられた「Judgement」は、その後も3月下旬に行われる周年記念大会の名称として使用されている。
- 4月1日、武藤伸太郎がPWCを退団した高木三四郎、三上恭平、野沢一茂を招いてドラマチック・ドリーム・チームを設立。
- 5月14日、北沢タウンホールで旗揚げ戦を開催。この時、IWA格闘志塾より、佐々木貴が移籍して4人で旗揚げとなった。
- 8月7日、後楽園ゆうえんち内のルナパークでビアガーデンプロレス「闘うビアガーデン」を開催。1996年にPWCが全日本女子プロレスと合同で開催したものを引き継いで行われた。この年は7月、LLPWも同名のイベントを開いている。
- 9月3日、シティテレビ中野での定期放送を開始。この頃はネオ・レディースの代表だった篠泰樹が率いるユニット「ネオDDT」との抗争を繰り広げる。
- 12月22日、後楽園ホールに初進出して「イチかバチか」と名付けられたDDTの命運が懸かった興行であったが2,000人を動員して成功を収めた。
2000年代
- 4月19日、KO-D無差別級王座を創立。
- 6月、有限会社ドラマチック・ドリーム・チームとして法人化。武藤が社長を退任して営業担当であった三和亮(現:三和哲充)が社長、フリーの木村浩一郎が現場監督に就任。
- 6月29日、アイアンマンヘビーメタル級王座を創立。
- 8月24日、DDTタッグリーグ戦が開幕。9月14日に優勝決定戦が行われ木村&橋本友彦のタッグチーム「スーパー・レッスル」が優勝。
- 元WARの一宮章一が社長に就任。三和は会長に就任。
- 8月、TOKYO-BAYららぽーと大会に男色ディーノが初登場。
- 4月、運営会社を有限会社DDTプロレスリングに変更。これに合わせて団体名もDDTプロレスリングに改称。
- 10月、FIGHTING TV サムライにて定期中継番組「DDTドラマティックファンタジア」放送開始。
- 12月28日、一宮が引退と同時に代表を辞任。
- 1月29日、後楽園ホールで社長職をかけて高木、三和兄弟(会長の三和と弟の三和太)、泉州力、大鷲透、ゴージャス松野、すぎはら美里、子川直也、大家健、ヨシヒコの10人でロイヤルランブルを行い、優勝した高木が社長に就任。
- やがて大鷲透によるDISASTER BOX、イタリアから来日したユニット「イタリアンフォーホースメン」などと軍団抗争が活発化。
- 新日本プロレスを退団したリングアナウンサーの田中秀和が参戦、高木とのファンタジープロレス論で口論となり、長井満也、ポイズン澤田JULIEと同期である後藤達俊を引きつれ乱入。田中は澤田の呪文を無視する行動に出たため、澤田は呪文の修行で一時離脱。
- 6月4日、後楽園ホールで高木&澤田組対長井&後藤組。終盤に後藤を呪文で蛇手にかけることに成功して澤田が勝利を飾る。試合後にはリングアナウンサーの田中も蛇手させることができた。
- 11月23日、DDT EXTREME級王座を創立。
- 年末には正規軍に活を入れるべく蝶野正洋スタイルに扮した高木、天山広吉スタイル(角をつけただけ)のKUDO、おまけの矢郷さんと共に(後にアシュレイ"ノートン"サウザーが加入)ヒールユニット「チーム・2サウザンアイランド」を結成。期間は短かったもののMIKAMIやHARASHIMAを奮起させた。しかし、その後は蛇界、DISASTER BOX、イタリアンフォーホースメンなどのチームが次々と解散して活動休止となったため、帰国となってしまう(後に蛇界は新・蛇界転生として復活)。
- 上半期、ハワイから来日したユニット「aWo」が登場。大鷲透が一時的離脱。HARASHIMAがKO-D王者に君臨する。
- 新宿FACEでDRAGON GATEとの合同興行「DDG」を開催。
- 設立10周年記念大会では、これまで元DDT所属選手や関係のあった選手が登場し話題となった。
- 蛇界は話し合いと試合の結果、ベアー福蛇による「明るく楽しく激しい蛇界」を宣言してロス・サルセロス・ハポネサスの衣装でドリアン澤田、マンゴー福蛇になった。
- 上記の他団体派遣で飯伏幸太らが参戦を果たして更にはグローバル・レスリング連盟への加入もあってかプロレスリング・ノアとのパイプも出来て(ちなみに高木とノアの仲田龍とは以前から交流があった)、4月1日、後楽園ホール大会で丸藤正道がノア所属選手として初めてDDTマットに立った。以降も飯伏がノアのシリーズにスポット参戦したり、マッスル坂井の対戦相手として森嶋猛が逆にDDT参戦を果たし、更には12月9日の新潟フェイズサヨナラ興行には、ノアの三沢光晴が「超大物X」としてシークレット参戦(鈴木鼓太郎とのタッグで高木&坂井組と対戦。ちなみに当初は坂井ではなく、偽沢光晴こと一宮が対戦する予定だったが、一宮が肺気胸のため、参戦をキャンセル)を果たした。
- 蛇界は仲間割れの末にポイズンは高木に策略で改造蛇人間ジャカイダーとなり、チビッ子の人気者になる。さらに長井がナガイダーとして再び参戦。
- 下半期、aWoのKooがHARASHIMAからKO-D王者を奪取。怪物なみのパワーで防衛記録を伸ばすも、リベンジに燃えるHARASHIMAが激戦の末再び君臨する。
- 往年、DDTメンバーは高木、MIKAMI、鳥羽、ポイズンによるユニット「DDTレジェンド軍」を結成。試合に勝つとMIKAMIは好きな歌を熱唱するなどやりたい放題を繰り返す。また後藤達俊がゴトウダーして参戦。
- 抜群のチームワークを誇ったaWoが、ディック東郷の裏切り、大鷲、晴也と結託したヒールユニット「メタルヴァンパイア」の誕生により解散に追い込まれた。
- 情けない試合でブーイングを受けたマイケルはFIGHTING TV サムライの生放送番組「Sアリーナ」にて生契約更改が行われたが、高木の逆鱗に触れ契約書は破かれ決裂となった。
- はぐれチームとなったaWoの本多とKooはメタル・ヴァンパイアに対して闘争心を燃やすがレフェリーの松井幸則や裏切ったKooがメタルヴァンパイア入り。高木に助けられた本多は正規軍入りする。
- 矢郷、坂井、ディーノ、高梨はユニット「ベルトハンター×ハンター」を結成する。
- 4月、高木が初の著書「俺たち文化系プロレスDDT」(太田出版)を出版。そのプロモーションとして東京・中井の伊野尾書店にて「本屋プロレス」を行う。(対戦カードは高木三四郎×飯伏幸太)。
- 9月7日、山梨県のキャンプ場「ネイチャーランド・オム」にて「キャンプ場プロレス」を初開催。
- 12月28日、後楽園ホールで開催された「NEVER MIND 2008」において2009年8月23日に両国国技館大会の開催が発表された。
- 運営会社が株式会社化。会社名は「株式会社DDTプロレスリング」。
- 8月23日、両国国技館で「両国ピーターパン 〜大人になんてなれないよ〜」が開催されて、札止めとなる8,000人を越える観客が集まった。また、同大会のEDで2010年7月25日に両国国技館大会の開催が告知された。
- 両国大会で九冠戦を征したディーノが高梨、ヨシヒコと共に「ベルトハンター×2」を結成(「再」ではない)して、世界中にあるプロレスのベルト(の0.1%)を独占することを宣言する。
- 9月13日から10月25日、若手選手によるリーグ戦「ヤングドラマ杯」が開催されて石井慧介が優勝。
- 11月29日、後楽園ホールでユニオンプロレスの石川修司がKO-D王者の飯伏幸太を破り、傘下団体ながらKO-Dのベルトが初めてDDTから流出。また、この日行われた監獄島とタイアップした経営権争奪バトルロイヤルで中澤マイケルが優勝、最高経営責任者に就任。
2010年代
- 2月11日、後楽園ホールに突然ヤゴウ公国軍を名乗る2人組がDDT壊滅を掲げ参戦して、その後ヤゴウ・アズナブルがDDT契約権を勝ち取る。その一方でヤゴウ=矢郷さん疑惑が浮上し高木が契約に難色を示すが、結局強引に契約させられた。選手契約を結んだヤゴウは言論弾圧や、それに従わなかった週刊プロレスに対する制裁を行い、さらに星の屑作戦によるDDT所属選手と観客の虐殺を目論んだが、犬のように捨てられたアブ=ノーマルことマイケルの逆襲によって阻止されて実質壊滅する。
- KO-Dタッグを獲った高木と澤宗紀のタッグチーム「変態大社長」は、混沌としたインディーマットを掻き乱してチャンピオンベルトの価値を高めるべく、DDT外のリングや路上でオファーがあればどことでも防衛戦を行うことを宣言。その後、DDTのスポンサーでもある宮地鉄工所の敷地内などで王座を防衛、以降、公園、商店街、駐車場、両国国技館の全域といった路上を中心に防衛を重ねていく。
- 3月14日、後楽園ホールで大日本プロレスの関本大介が当時KO-D王者の石川に勝利。関本が新王者となり、KO-D王座が初めて他団体に流出した。その後関本は高木、高梨、飯伏らから王座防衛を果たし、同日にKO-D王座いつでもどこでも挑戦権を獲得した大家健から譲り受ける形で、再度挑戦した石川にも勝利して、両国国技館で開催された「両国ピーターパン2010 〜夏休み ああ夏休み 夏休み〜」に王者として登場。それに対して挑戦者決定トーナメントを勝ち上がり、大会直前に新日本プロレス道場で真壁刀義と合同練習を行ったHARASHIMAが挑戦。ベルト奪回に成功する。一方、両国国技館のメインイベントを逃した石川は、大日本プロレスに報復攻撃を仕掛けるも、デスマッチヘビー級王者の伊東竜二の前に返り討ちに遭う。
- 両国大会後、高木が上位入賞者に特別興行出場権やKO-D挑戦権が与えられる人気投票「DDT48総選挙」の開催を発表。1月半にわたる選挙の末、ディーノが佐藤光留との接戦を制して1位となった。
- 最高経営責任者制からゼネラルマネージャー制への移行を宣言し、中澤マイケルが最高経営責任者を解任するとともにゼネラルマネージャー決定戦を実施。その結果、坂井推薦の鶴見亜門がゼネラルマネジャーに就任。
- KO-Dタッグ戦線はビアガーデンプロレスに「超超大物X」として参戦した越中詩郎がディーノとタッグチーム「侍シロージロー」を結成してタッグチーム「変態大社長」より王座奪取に成功する。
- 11月14日、大阪府立第2体育館で行われたKO-D無差別級選手権でパンクラスMISSION所属の佐藤光留がHARASHIMAに勝利し形式上は他団体流出となるが、佐藤はDDTを主戦場としていた[注 1]ため流出という雰囲気にはならなかった。
- 11月28日、後楽園ホールで行われたKO-D無差別級選手権でディック東郷が佐藤光留を下して新王者になった。ヤングドラマ杯の決勝戦も行われ高尾蒼馬が優勝。またこの日を最後に高木三四郎が選手としての所属をユニオンプロレスに移した。
- 12月26日、東郷の負傷欠場により、GENTARO(プロレスリングFREEDOMS)とアントーニオ本多との間でKO-D無差別級暫定王者決定戦が行われ、本多が暫定王者に。
- 1月30日、後楽園ホールで東郷対本多の王座統一戦が行われ、ディック東郷がKO-D無差別級第35代王者に。
- 3月27日、後楽園ホールで3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)及び東京電力・福島第一原子力発電所での事故による電力事情悪化を受け、通常使用する映像の代替として控え室でのやりとりをリング上で行うといった節電興行を実施。またメインではKO-D無差別級王座に飯伏が挑戦。この年のFIGHTING TV サムライ「インディーのお仕事」制定日本インディー大賞ベスト興行賞・ベストバウトをダブル受賞。
- 大震災・原発事故を受け、入場料をすべて義援金とする「路上チャリティープロレス」シリーズを行い、前年も闘った宮地鉄工所などでチャリティー興行を行った。
- 5月4日、後楽園ホールで行われたKO-D無差別級選手権で石川が東郷を破り、新王者に。
- 三度目の両国国技館大会を敢行。KUDOがKO-D無差別級となる。次回、武道館大会開催を発表。
- 8月28日、TKG48に対抗するプロレス界アイドルユニットとしてディーノ、大石真翔、飯伏によって「ほもいろクローバーZ」が結成、後にKUDOが新メンバーとして加入。
- 11月27日、後楽園ホールでヤス・ウラノ、本多、火野裕士(KAIENTAI DOJO)、矢野啓太(プロフェッショナルレスリング・ワラビー)が「Crying Wolf」を結成。
- 3月29日、「DDTドラマティックファンタジア」が打ち切り。4月以降同チャンネルでの放送は木曜26:00 - 28:00の再放送枠のみとなる。
- 4月2日、ニコニコ動画のニコニコチャンネルとして「DDTプロレスアワー」を開設。隔週で所属選手が出演するニコニコ生放送、並びに興行の中継番組が放送される。
- 6月4日、会社内に女子プロレス事業部を設立して「東京女子プロレス」として旗揚げすることを発表[4]。
- 6月15日、高梨の自主興行を東部フレンドホールで開催。
- 8月18日、日本武道館大会「武道館ピーターパン 〜DDTの15周年、ドーンと見せます超豪華4時間SP!〜」を開催。次回の両国国技館2day発表と共に20周年となる2017年の東京ドームに進出を宣言。
- 8月26日、後楽園ホールでゼネラルマネジャーの鶴見から活動中の全ユニット解散が命じられる。
- 9月18日、澤田が引退表明。
- 9月19日、新木場1stRINGを以ってそれまでのユニットが解散。
- 9月30日、後楽園ホールより新ユニット活動開始。
- 11月25日、後楽園ホールで澤田が引退。
- 1月3日、後楽園ホールで前年にユニオンプロレスが行った「全席2000円興行」(指定席は2500円)を開催。
- 1月12日、KO-D6人タッグ王座を創立。
- 1月27日、入江茂弘がプロレスリング・チームでらから移籍。
- 2月17日、大鷲透がレギュラー復帰。
- 4月17日、大家健がガンバレ☆プロレスを旗揚げ。
- 4月29日、スターダム初の両国国技館大会に運営協力。飯伏・伊橋・マイケルもミックスファイトに参戦。
- 5月3日、後楽園大会「MAX BUMP 2013」がDDT本体の興行としては初めてサムライTVで生中継される。
- 5月26日、彰人がスポルティーバから移籍。
- 8月17日と18日、両国国技館大会2days「真夏のプロレス祭り」開催。
- 8月22日、新宿FACEにて行われる「国際プロレス最終章・ワンスアゲイン」にFREEDOMSと共に全面協力。
- 9月29日、後楽園大会にて戦略発表会。2014年以降のさいたまスーパーアリーナ進出を宣言。そのために過去にマッスルなどもレギュラー放送したテレビ埼玉での定期放送枠確保を目指すことを発表。
- 1月3日、前年に続き後楽園ホールで全席2000円興行を開催。
- 1月12日と13日、大阪・道頓堀アリーナにて2DAYS興行を開催。
- 1月26日、ブラウザゲーム「リング☆ドリーム 女子プロレス大戦」とのコラボレーション実施を発表。[5]
- 同月、佐々木大輔が所属選手に。佐藤光留はレギュラー契約を更新しなかったが、ユニオンにはフリーとして参戦する他にハードヒットも継続。
- 2月19日、「アップアップDDT(仮)〜アップアップガールズ(仮) vs ほもいろクローバーZ、アイドルvsプロレス異種対バン戦Vol.1〜」を新宿FACEで開催。
- 2月23日、後楽園ホールを最後に柿本大地が退団。ドロップキックの店長も木高イサミと交代となる。
- 3月、 グレース観光と業務提携。同社が選手バス運行を請け負うほか、提携の一環としてDDTプロレス仕様のラッピングバスが登場している。
- 4月、サムライTVで月1回のオンエアとなる「DDTのプロレスバンザイ\(^o^)/」と毎週水曜日テレ玉にて中継番組「DDTプロレス中継 さいたまースラム!」の放送開始[6]。
- 4月13日、大阪府立体育会館第2競技場で松井レフェリー20周年興行を開催。
- 5月11日、札幌テイセンホールにてワンマッチ興行を4本立てで開催。
- 5月25日、名古屋国際会議場大会を開催。
- 6月5日、「DDT×BiS異種対バン路上ライブプロレス」を浅草花やしきで開催。
- 6月10日、オスカープロモーションと業務提携を結んだことを発表[7]。
- 6月18日、「故・冬木弘道13回忌メモリアル興行&金村キンタローデビュー25周年記念興行」に協力。DDTからは高木三四郎大社長とヤス・ウラノが参戦。
- 6月29日、後楽園ホール大会よりそれまでオープニングテーマとして使用されていた「INTO THE LIGHT」から、オリジナル曲の「Get Ready」に変更。
- 7月6日、スポルティーバアリーナで開催される「高井AID」に協力。
- 7月20日、後楽園ホール大会で戦略発表会を行い4つのことを発表。
- 8月17日、両国国技館大会「両国ピーターパン2014〜人生変えちゃう夏かもね!〜」を開催。
- 2009年より行われている夏のビッグマッチとしては初めて前売り段階で完売。
- 10月1日、坂口征夫が所属選手になる。
- 10月18日、浅草花やしきにて初のファンクラブ限定興行を開催。
- 10月26日、レギュラー参戦契約を結んでいたケニー・オメガが新日本プロレス入団のため後楽園大会でDDTラストマッチ。またDDTのプロレス漫画の企画が発表される。
- 11月28日、北沢タウンホールで新プロジェクト「DDT NEW ATTITUDE」の旗揚げ戦を開催。
- 12月8日、初期のDDT現場監督だった木村浩一郎が10月28日に逝去したことから、かつての所属及び参戦メンバーだった選手が所属するアパッチプロレス軍及びプロレスリングFREEDOMSと協力して「木村浩一郎追悼興行」を新木場1stRINGで開催。
- 1月14日、女性を対象とするDDTプロレス教室開校を発表。27日に大石とチェリーが講師の無料体験会を行う。
- 2月15日、さいたまスーパーアリーナコ ミュニティーアリーナ進出。興行名は「さいたまスーパーDDT2015」。またキング・オブ・ダーク王座を創立。
- 2月16日、マッスル坂井が監督を務める「劇場版プロレスキャノンボール2014」が公開。DDTの選手はもちろん鈴木みのるや葛西純も出演。
- 3月21日、春日部ふれあいキューブで会場全体を使った初のビッグマッチを開催。
- 3月30日、ヴィレッジヴァンガードでDDT関連のグッズが販売されることが決定。
- 4月中旬の契約更改で美月凛音が契約満了で退団。
- 4月25日、幕張メッセでのニコニコ超会議の超プロレスリングに26日と両日全面協力。
- 4月29日、スマホ向けアプリのGANMA!でDDTの漫画を描く人を募集したところ同アプリで活動中の早蕨やまおさんが描くことが決定。
- 5月17日、名古屋国際会議場大会を開催。
- 6月23日、DDTの新ブランドとして、ドロップキックのメンバーを中心とした酒場プロレスのプレ旗揚げ戦をレッスル武闘館にて開催。
- 7月12日、東成区民センターで松井幸則レフェリー主催興行を開催。
- 7月15日、新木場1stRingにて酒場プロレス旗揚げ。
- 7月19日、後楽園ホールより自由席を廃止。またこの大会を持ってMIKAMIがフリー転向のため退団。
- 8月23日、両国国技館大会「両国ピーターパン2015〜DDTより愛をこめて〜」を開催。
- 10月7日、同年10月4日に解散したユニオンプロレスより、諸橋晴也、チェリー、レディビアードの3名がDDT所属選手になる(諸橋、チェリーはDDT復帰)。
- 11月3日、名古屋国際会議場大会を開催。これにより初めて同所で年2回開催となる。
- 11月28日、大阪府立体育会館第1競技場進出。興行名は「大阪オクトパス2015」[8]。
- 12月13日、九州初のビッグマッチとして博多スターレーンを全面使用。興行名は「DDTスーパースターレーン」。
- 2月19日、事務所を現在のアパホテル新宿御苑前に移転[9]。
- 3月21日、両国国技館大会「Judgement2016〜DDT旗揚げ19周年記念大会〜」を開催。同所での大会としては初めて客席を全面開放。
- 3月末にて諸橋晴也がフリー転向のため退団。
- 4月15日、旧事務所にベストストレッチ新宿御苑店および併設の新宿ぎょえん接骨院をオープン。
- 5月29日、大石真翔、勝俣瞬馬、MAOにアイドルユニット「NωA」を結成することを命ずる[10]。
- 8月28日、両国国技館大会「両国ピーターパン2016〜世界でいちばん熱い夏〜」を開催。
- 10月23日、後楽園ホール大会にてDDT独自の動画配信サービス「DDT UNIVERSE」が2017年1月より開設することとDDT飲食部門を運営する株式会社えびすこが株式会社DDTフーズに社名を変更し代表取締役社長にKUDOが就任。
- 11月6日、新木場STUDIO COASTにて「DDTフェス2016 supported by ナタリー」を開催。
- 11月20日、海外初となる興行を台湾で開催。「ニトリ台湾」が同大会の冠スポンサーを務める。
- 12月4日、大阪府立体育会館第1競技場を開催。興行名は「大阪オクトパス2016~浪花節だよプロレスは~」
- 3月20日、旗揚げ20周年興行をさいたまスーパーアリーナ メインアリーナで開催。
- 5月28日、後楽園ホール大会を持ってヤス・ウラノがフリー転向のため退団。
- 6月1日、東京ドーム にて東京ドーム全域を使ったノーピープル路上プロレス開催。
- 8月20日、両国国技館大会を開催。
- 9月1日、DDTプロレスリングの発行済み株式100%をサイバーエージェントに譲渡[11]。
- 9月19日、プロレス不毛の地「徳島」初上陸。
- 12月21日、サイバーエージェント本社内にて「DDT VS サイバーエージェント 路上プロレス-男色死亡遊戯-」をAbemaTV限定で生配信した。
- 3月25日、旗揚げ21周年興行を両国国技館大会で開催。
- 4月11日、AbemaTV格闘チャンネルにてレギュラー中継「DDT LIVE! マジ卍」開始。
- 4月18日、東京都板橋区内に道場を開設。
- 4月24日、ベストボディ・ジャパンプロレス[注 2]の設立記者会見で全面支援を表明。[12]
- 4月30日、チェリーがフリーに転向し占い師レスラーとして活動のため退団。
- 6月末にて新宿ぎょえん整骨院店が閉店。
- 9月23日、元IGFの奥田啓介が入団。
- 9月30日、町田大会をもって入江茂弘がフリー転向のため退団。
- 10月21日、両国国技館大会を開催。
- 10月28日、「DDT LIVE! マジ卍」が終了、2019年1月3日より「DDT LIVE! マジ卍超(スーパー)」としてリニューアル後再開予定。
- 2月17日、両国国技館大会を開催。
- 3月、御茶ノ水に道場を移転。
- 4月4日(日本時間5日)、アメリカ初の大会をニューヨークにて開催。
- 4月末にて奥田啓介がフリー転向のため退団。
- 5月1日、納谷幸男がリアルジャパンプロレスから移籍。
- 7月15日、夏のビッグマッチを大田区総合体育館で開催。
- 7月21日、後楽園大会をもって梅田公太が家業を継ぐため退団。
- 11月3日、両国国技館大会を開催。
- 11月8日、島谷常寛が退団。
2020年代
- 1月29日、プロレスリング・ノアの発行済み株式100%をサイバーエージェントに譲渡。高木がノアの社長に就任。
- 2月よりCOVID-19の流行に伴い、大会の中止が相次ぐ。3月20日の後楽園ホール大会以降、全大会が無観客での配信開催となる。
- 5月9日、全日本プロレスの秋山準がDDTのゲストコーチに就任。「DDTの選手に王道を叩き込む」と宣言し、若手の育成の他、自身も選手として参戦していくことを発表する。
- 5月12日、動画配信サービス「DDT UNIVERSE」を「WRESTLE UNIVERSE」に名称変更。[13]
- 6月14日、板橋グリーンホール大会より有観客での開催を再開。
- 7月1日、秋山準がDDTにレンタル移籍。
- 7月27日、株式会社DDTプロレスリング、ノア・グローバルエンタテインメント株式会社、株式会社DDTフーズの3社経営統合を発表[14]。9月より、株式会社CyberFightの運営するブランドとなり、高木が社長、彰人とノアの丸藤正道が副社長となる[14]。
- 9月30日、レディビアードが契約満了により退団。
- 11月3日、大田区総合体育館大会を開催。
- 2月14日、カルッツ川崎大会を開催。
- 2月15日、レンタル移籍していた秋山準がDDTに入団。同日ヘッドコーチに就任。
- 6月6日、DDT、ノア、東京女子プロレス、ガンバレ☆プロレスの4団体合同興行、CyberFight Festival(サイバーファイト・フェスティバル)2021を開催。
- 8月21日、富士通スタジアム川崎で初の屋外ビッグマッチを開催。また同大会で10代プロジェクトの2選手がデビュー。
- 10月27日、新宿FACEにて10代プロジェクト及び他団体の10代男子選手を中心とした興行「DDTeeeen!!」を初開催。
- 10月31日、東京ドームにて2回目のノーピープル路上プロレスを開催。4人5チームでのガントレット形式。
- 1月7日、DDT25周年プロジェクトの一環として行われる月1回の無料興行「DDT FREE」の第1回を開催。
- 3月20日、旗揚げ25周年興行となる両国国技館大会においてAEWのクリストファー・ダニエルズがビデオメッセージにてDDT選手のAEW参戦を発表。4月より竹下が第一弾選手としてAEWへ参戦。
- 5月1日、横浜武道館大会を開催。
- 6月12日、昨年に引き続き、DDT、ノア、東京女子プロレス、ガンバレ☆プロレスの4団体合同興行、CyberFight Festival(サイバーファイト・フェスティバル)2022を開催。
- 8月20日、大田区総合体育館大会を開催。観客数を絞った上で紙テープ投げ入れ、横断幕の掲示、不織布マスク着用での声援が本大会限定で解禁された。
- 11月1日、サンミュージックプロダクションとの業務提携を発表[15]。
- 12月29日、TOKYO DOME CITY HALL大会を開催。
- 1月29日、ヤングドラマ杯以来13年ぶりの若手リーグ戦「D GENERATIONS CUP」を開催(2月26日まで)。
- 2月23日、バーレスク東京にて路上プロレスの形式でKO-Dタッグ選手権を開催(MAO・勝俣組(王者)対高木・阿部史典組)。
- 3月21日、旗揚げ26周年興行を後楽園ホールで開催。「後楽園史上最長」と銘打ち6時間近くの興行を行った。10代プロジェクトの2選手がプロジェクトを卒業しDDTに合流。
- 3月30日・31日(日本時間31日・4月1日)、4年ぶりのアメリカ大会をロサンゼルス・ハリウッドで開催。31日の公演はゲーム・チェンジャー・レスリングとの対抗戦として行われた。
- 7月23日、両国国技館大会を開催。
- 9月18日 東海道新幹線「のぞみ」の車内で新幹線初の「新幹線プロレス」を開催[16]。
- 11月12日、両国国技館大会を開催。7年ぶりとなる客席全面使用。この大会にて赤井沙希が引退。
- 11月13日、国技館大会のアフターイベントとして、隅田川上にて「屋形船プロレス」を開催。
- 2月7日、新宿FACE大会にて坂口征夫が引退。
- 2月25日、後楽園ホール大会にてTHE RAMPAGE from EXILE TRIBEの武知海青がプロレスデビュー。
- 3月17日、旗揚げ27周年興行を後楽園ホールで開催。世界初の「インターンレスラー」として現役学生プロレス選手である鈴木翼がデビュー。
- 4月26日、日本ハンドボールリーグ・ジークスター東京とのコラボ興行「DDZT」をひがしんアリーナで開催。25日・27日のジークスター主催試合を含めた、両者の選手交流イベントが行われた。
注釈
出典
- ^ a b 株式会社CyberFight 第20期決算公告
- ^ “【記者会見】ZERO1道場をZERO1、DDT、スターダムの3団体でシェア。「DDTでは練習以外にプロレスサークルを起ち上げて広く門戸を開放します」(高木)”. 株式会社DDTプロレスリング. 2014年12月18日閲覧。
- ^ “2014年12月17日 スターダム、ZERO1、DDTの3団体が道場について記者会見”. 株式会社スターダム. 2014年12月18日閲覧。
- ^ “【会見】DDT内事業部に東京女子プロレス設立。代表は甲田氏”. 2012年6月4日閲覧。
- ^ http://www.ddtpro.com/ddtpro/6570/
- ^ DDT「さいたまスーパーアリーナ進出」表明 - 東京スポーツ・2014年1月4日
- ^ 「剛力プロレスデビュー」DDT高木社長が熱烈ラブコール - 東京スポーツ・2014年6月11日
- ^ “DDTが11.28大阪府立体育会館第一競技場に初進出することを発表!その時点でのKO-D無差別級王者に総選挙1位が挑戦”. バトル・ニュース. (2015年6月15日)
- ^ 事務所移転のお知らせ
- ^ “DDTプロレスから男性アイドルNωA誕生、楽曲はmichitomo制作”. 音楽ナタリー. (2016年5月31日) 2016年5月31日閲覧。
- ^ 『DDTプロレスリングのサイバーエージェントグループ参画に関するお知らせ』(プレスリリース)サイバーエージェント、2017年9月22日 。2017年9月22日閲覧。
- ^ グラビアタレント・白川未奈、プロレスデビュー表明「時は来た!」 - ORICON NEWS
- ^ “DDT UNIVERSEがサービス拡大により名称変更! 新名称はWRESTLE UNIVERSE(レッスルユニバース)!”. DDTプロレスリング公式サイト (2020年5月12日). 2022年11月1日閲覧。
- ^ a b “【会見全文】NOAHとDDTが経営統合!新会社CyberFightを設立し各団体は事業部として継続!丸藤正道と彰人が副社長に就任!”. バトル・ニュース (2020年7月27日). 2020年7月27日閲覧。
- ^ “サンミュージック×DDT業務提携のお知らせ”. DDTプロレスリング公式サイト (2022年11月1日). 2022年11月1日閲覧。
- ^ 東京駅発・のぞみ371号「新幹線プロレス」 – DDTプロレスリング公式サイト 2023年8月1日付 2023年9月2日閲覧
- ^ DDT 7.19後楽園大会 坂口vs.入江、彰人vs.アントンのEXTREME級戦、MIKAMIのDDT所属最終試合 2015年7月19日付 バトル・ニュース
- ^ プロレスラー入門テストの季節 清野茂樹のシゲキ的リング 2006年11月19日
- ^ “【ユニオン10周年記念興行~星に願いを~のまとめ】涙、涙の解散興行…最後は「ありがとう、ユニオン!」で10年の歴史にピリオド/イサミが石川を下してユニオンMAX初防衛。タイトル一時封印を示唆も「必ずこいつの出番は来ると思う」(イサミ)「自分が活躍できれば、ユニオンプロレスの名前を残せる」(石川)/ユニオンで生まれ育ったFUMAと風戸が見せた好勝負/チェリーは最後にFTE王座を防衛。ベルトについては「これからゆっくり考える」”. DDTプロレスリング公式サイト (2015年10月5日). 2015年10月18日閲覧。
- ^ “元ユニオンプロレス所属選手の今後に関して/諸橋、チェリー、ビアードはDDT所属に”. DDTプロレスリング公式サイト (2015年10月8日). 2015年10月18日閲覧。
- ^ “プロレスリングBASARA独立のお知らせ”. DDTプロレスリング公式サイト (2019年6月11日). 2019年6月12日閲覧。
- ^ “ジョーダン・ヒートリーTwitter”. Twitter. 2021年7月18日閲覧。
- ^ DDTプロレス大会中継 - FIGHTING TV サムライ
- ^ プロレス事業会社 株式会社CyberFightの始動について - 株式会社サイバーエージェント 2020年7月27日
- ^ “『ご報告』”. ベストストレッチ代々木上原店のブログ. 2019年1月9日閲覧。
- ^ “閉院のお知らせ”. DDT ProWrestling. 2022年12月4日閲覧。
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