DDTプロレスリング DDTプロレスリングの概要

DDTプロレスリング

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/08 08:49 UTC 版)

DDTプロレスリング
種類 プロレス
所持会社 CyberFight
使用開始国 日本
使用開始 1997年
関連ブランド プロレスリング・ノア
東京女子プロレス
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株式会社CyberFight
CyberFight, Inc.
種類 株式会社
本社所在地 日本
160-0022
東京都新宿区新宿2-1-2
白鳥ビル1階 DDT事業部
設立 2020年9月1日
業種 サービス業
法人番号 6011101052361
事業内容 プロレス興行
関連企画の運営
映像の企画、製作
飲食店の経営
代表者 代表取締役社長 岡本保朗
資本金 300万円
純利益 ▲1億0400万円(2023年9月期)[1]
総資産 2億9100万円(2023年9月期)[1]
主要株主 サイバーエージェント 100%
外部リンク www.ddtpro.com
特記事項:
2000年6月、有限会社ドラマチック・ドリーム・チームを設立。
2004年4月1日、社名を有限会社DDTプロレスリングに変更。
2009年、株式会社DDTプロレスリングを設立。
2017年9月1日、株式会社サイバーエージェントに全株式を譲渡して同社グループに参画。
2020年9月1日、ノア・グローバルエンタテインメント株式会社及び株式会社DDTフーズと経営統合して株式会社CyberFightを設立。
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取締役副社長の高木三四郎

団体名の由来

プロレス技「DDT」と同じ略称となるように、プロレスを題材にした漫画『1・2の三四郎 2』の主人公が所属しているプロレス団体「ドリームチーム(Dream Team)」に「ドラマティック(Dramatic」)を冠したもの。設立当初はドラマチック・ドリーム・チームが正式な団体名であった。なお、当時の旗揚げメンバーであった野沢一茂は団体名の候補として「超日本プロレス」という名前を提案していたが却下されている。

2004年4月1日、新法人への移行と合わせて団体名をDDTプロレスリングに改称。現在は複数の別ブランドや子会社も展開してDDTプロレスリングのグループを構築している。

特徴

エンターテインメント色が強くプロレス記者の鈴木健により、このスタイルを「文化系プロレス」(高木三四郎の著書「俺たち文化系プロレス DDT」がある)と名づけられた。元代表の一宮章一は「小さなWWE」と表現したことがある。

小規模会場やライブハウスで定期的な興行を開催してエンターテインメント色を大胆に打ち出すことによって支持を拡大。こういったスタイルは、以降に設立されたプロレス団体がこぞって追随している。年に数回、地方遠征も開催している。高木の社長就任以降は両国国技館日本武道館さいたまスーパーアリーナ大阪府立体育会館などでビッグマッチも開いている。

2005年から2008年まで東京都足立区入谷に道場を構えて道場で試合を定期的に行っていたが諸事情により道場を手放したため新木場1stRINGなど外部の施設を借りて練習を行っていた。2014年12月17日、それまでレンタルという形で使用していたTAKESHIBAコロシアムプロレスリングZERO1スターダムでシェアする形で使用することを発表[2][3]2018年4月、板橋区に道場を開設。2019年3月、文京区御茶ノ水に道場を移転。

歴史

1990年代

1997年
  • 3月25日、日比谷ラジオシティでプレ旗揚げ戦を開催。プレ旗揚げ戦においては「観客の過半数の支持が得られなかった場合、旗揚げは取りやめる」と宣言していた。全試合終了後、観客に意を問うたところ大部分の支持が得られて正式な旗揚げ戦となった。この大会に付けられた「Judgement」は、その後も3月下旬に行われる周年記念大会の名称として使用されている。
  • 4月1日、武藤伸太郎がPWCを退団した高木三四郎三上恭平野沢一茂を招いてドラマチック・ドリーム・チームを設立。
  • 5月14日北沢タウンホールで旗揚げ戦を開催。この時、IWA格闘志塾より、佐々木貴が移籍して4人で旗揚げとなった。
  • 8月7日後楽園ゆうえんち内のルナパークでビアガーデンプロレス「闘うビアガーデン」を開催。1996年にPWCが全日本女子プロレスと合同で開催したものを引き継いで行われた。この年は7月、LLPWも同名のイベントを開いている。
1999年

2000年代

2000年
2001年
  • 6月、KO-Dタッグ王座を創立。
  • 12月8日と9日、「スーパーギア・スタジアム in 福岡ドーム」の一環として福岡ドーム大会「レスリングとんこつ in 福岡ドーム」を開催。
2002年
2003年
2004年
2005年
  • 12月28日、一宮が引退と同時に代表を辞任。
2006年
  • 1月29日、後楽園ホールで社長職をかけて高木、三和兄弟(会長の三和と弟の三和太)、泉州力大鷲透ゴージャス松野すぎはら美里、子川直也、大家健ヨシヒコの10人でロイヤルランブルを行い、優勝した高木が社長に就任。
  • やがて大鷲透によるDISASTER BOX、イタリアから来日したユニット「イタリアンフォーホースメン」などと軍団抗争が活発化。
  • 新日本プロレスを退団したリングアナウンサーの田中秀和が参戦、高木とのファンタジープロレス論で口論となり、長井満也ポイズン澤田JULIEと同期である後藤達俊を引きつれ乱入。田中は澤田の呪文を無視する行動に出たため、澤田は呪文の修行で一時離脱。
  • 6月4日、後楽園ホールで高木&澤田組対長井&後藤組。終盤に後藤を呪文で蛇手にかけることに成功して澤田が勝利を飾る。試合後にはリングアナウンサーの田中も蛇手させることができた。
  • 11月23日DDT EXTREME級王座を創立。
  • 年末には正規軍に活を入れるべく蝶野正洋スタイルに扮した高木、天山広吉スタイル(角をつけただけ)のKUDO、おまけの矢郷さんと共に(後にアシュレイ"ノートン"サウザーが加入)ヒールユニット「チーム・2サウザンアイランド」を結成。期間は短かったもののMIKAMIやHARASHIMAを奮起させた。しかし、その後は蛇界、DISASTER BOX、イタリアンフォーホースメンなどのチームが次々と解散して活動休止となったため、帰国となってしまう(後に蛇界は新・蛇界転生として復活)。
2007年
  • 上半期、ハワイから来日したユニット「aWo」が登場。大鷲透が一時的離脱。HARASHIMAがKO-D王者に君臨する。
  • 新宿FACEDRAGON GATEとの合同興行「DDG」を開催。
  • 設立10周年記念大会では、これまで元DDT所属選手や関係のあった選手が登場し話題となった。
  • 蛇界は話し合いと試合の結果、ベアー福蛇による「明るく楽しく激しい蛇界」を宣言してロス・サルセロス・ハポネサスの衣装でドリアン澤田、マンゴー福蛇になった。
  • 上記の他団体派遣で飯伏幸太らが参戦を果たして更にはグローバル・レスリング連盟への加入もあってかプロレスリング・ノアとのパイプも出来て(ちなみに高木とノアの仲田龍とは以前から交流があった)、4月1日、後楽園ホール大会で丸藤正道がノア所属選手として初めてDDTマットに立った。以降も飯伏がノアのシリーズにスポット参戦したり、マッスル坂井の対戦相手として森嶋猛が逆にDDT参戦を果たし、更には12月9日の新潟フェイズサヨナラ興行には、ノアの三沢光晴が「超大物X」としてシークレット参戦(鈴木鼓太郎とのタッグで高木&坂井組と対戦。ちなみに当初は坂井ではなく、偽沢光晴こと一宮が対戦する予定だったが、一宮が肺気胸のため、参戦をキャンセル)を果たした。
  • 蛇界は仲間割れの末にポイズンは高木に策略で改造蛇人間ジャカイダーとなり、チビッ子の人気者になる。さらに長井がナガイダーとして再び参戦。
  • 下半期、aWoのKooがHARASHIMAからKO-D王者を奪取。怪物なみのパワーで防衛記録を伸ばすも、リベンジに燃えるHARASHIMAが激戦の末再び君臨する。
  • 往年、DDTメンバーは高木、MIKAMI、鳥羽、ポイズンによるユニット「DDTレジェンド軍」を結成。試合に勝つとMIKAMIは好きな歌を熱唱するなどやりたい放題を繰り返す。また後藤達俊がゴトウダーして参戦。
  • 抜群のチームワークを誇ったaWoが、ディック東郷の裏切り、大鷲、晴也と結託したヒールユニット「メタルヴァンパイア」の誕生により解散に追い込まれた。
2008年
  • 情けない試合でブーイングを受けたマイケルはFIGHTING TV サムライの生放送番組「Sアリーナ」にて生契約更改が行われたが、高木の逆鱗に触れ契約書は破かれ決裂となった。
  • はぐれチームとなったaWoの本多とKooはメタル・ヴァンパイアに対して闘争心を燃やすがレフェリーの松井幸則や裏切ったKooがメタルヴァンパイア入り。高木に助けられた本多は正規軍入りする。
  • 矢郷、坂井、ディーノ、高梨はユニット「ベルトハンター×ハンター」を結成する。
  • 4月、高木が初の著書「俺たち文化系プロレスDDT」(太田出版)を出版。そのプロモーションとして東京・中井の伊野尾書店にて「本屋プロレス」を行う。(対戦カードは高木三四郎×飯伏幸太)。
  • 9月7日、山梨県のキャンプ場「ネイチャーランド・オム」にて「キャンプ場プロレス」を初開催。
  • 12月28日、後楽園ホールで開催された「NEVER MIND 2008」において2009年8月23日に両国国技館大会の開催が発表された。
2009年
  • 運営会社が株式会社化。会社名は「株式会社DDTプロレスリング」。
  • 8月23日、両国国技館で「両国ピーターパン 〜大人になんてなれないよ〜」が開催されて、札止めとなる8,000人を越える観客が集まった。また、同大会のEDで2010年7月25日に両国国技館大会の開催が告知された。
  • 両国大会で九冠戦を征したディーノが高梨、ヨシヒコと共に「ベルトハンター×2」を結成(「再」ではない)して、世界中にあるプロレスのベルト(の0.1%)を独占することを宣言する。
  • 9月13日から10月25日、若手選手によるリーグ戦「ヤングドラマ杯」が開催されて石井慧介が優勝。
  • 11月29日、後楽園ホールでユニオンプロレス石川修司がKO-D王者の飯伏幸太を破り、傘下団体ながらKO-Dのベルトが初めてDDTから流出。また、この日行われた監獄島とタイアップした経営権争奪バトルロイヤルで中澤マイケルが優勝、最高経営責任者に就任。

2010年代

2010年
  • 2月11日、後楽園ホールに突然ヤゴウ公国軍を名乗る2人組がDDT壊滅を掲げ参戦して、その後ヤゴウ・アズナブルがDDT契約権を勝ち取る。その一方でヤゴウ=矢郷さん疑惑が浮上し高木が契約に難色を示すが、結局強引に契約させられた。選手契約を結んだヤゴウは言論弾圧や、それに従わなかった週刊プロレスに対する制裁を行い、さらに星の屑作戦によるDDT所属選手と観客の虐殺を目論んだが、犬のように捨てられたアブ=ノーマルことマイケルの逆襲によって阻止されて実質壊滅する。
  • KO-Dタッグを獲った高木と澤宗紀のタッグチーム「変態大社長」は、混沌としたインディーマットを掻き乱してチャンピオンベルトの価値を高めるべく、DDT外のリングや路上でオファーがあればどことでも防衛戦を行うことを宣言。その後、DDTのスポンサーでもある宮地鉄工所の敷地内などで王座を防衛、以降、公園、商店街、駐車場、両国国技館の全域といった路上を中心に防衛を重ねていく。
  • 3月14日、後楽園ホールで大日本プロレス関本大介が当時KO-D王者の石川に勝利。関本が新王者となり、KO-D王座が初めて他団体に流出した。その後関本は高木、高梨、飯伏らから王座防衛を果たし、同日にKO-D王座いつでもどこでも挑戦権を獲得した大家健から譲り受ける形で、再度挑戦した石川にも勝利して、両国国技館で開催された「両国ピーターパン2010 〜夏休み ああ夏休み 夏休み〜」に王者として登場。それに対して挑戦者決定トーナメントを勝ち上がり、大会直前に新日本プロレス道場で真壁刀義と合同練習を行ったHARASHIMAが挑戦。ベルト奪回に成功する。一方、両国国技館のメインイベントを逃した石川は、大日本プロレスに報復攻撃を仕掛けるも、デスマッチヘビー級王者伊東竜二の前に返り討ちに遭う。
  • 両国大会後、高木が上位入賞者に特別興行出場権やKO-D挑戦権が与えられる人気投票「DDT48総選挙」の開催を発表。1月半にわたる選挙の末、ディーノが佐藤光留との接戦を制して1位となった。
  • 最高経営責任者制からゼネラルマネージャー制への移行を宣言し、中澤マイケルが最高経営責任者を解任するとともにゼネラルマネージャー決定戦を実施。その結果、坂井推薦の鶴見亜門がゼネラルマネジャーに就任。
  • KO-Dタッグ戦線はビアガーデンプロレスに「超超大物X」として参戦した越中詩郎がディーノとタッグチーム「侍シロージロー」を結成してタッグチーム「変態大社長」より王座奪取に成功する。
  • 11月14日、大阪府立第2体育館で行われたKO-D無差別級選手権でパンクラスMISSION所属の佐藤光留がHARASHIMAに勝利し形式上は他団体流出となるが、佐藤はDDTを主戦場としていた[注 1]ため流出という雰囲気にはならなかった。
  • 11月28日、後楽園ホールで行われたKO-D無差別級選手権でディック東郷が佐藤光留を下して新王者になった。ヤングドラマ杯の決勝戦も行われ高尾蒼馬が優勝。またこの日を最後に高木三四郎が選手としての所属をユニオンプロレスに移した。
  • 12月26日、東郷の負傷欠場により、GENTAROプロレスリングFREEDOMS)とアントーニオ本多との間でKO-D無差別級暫定王者決定戦が行われ、本多が暫定王者に。
2011年
2012年
2013年
  • 1月3日、後楽園ホールで前年にユニオンプロレスが行った「全席2000円興行」(指定席は2500円)を開催。
  • 1月12日KO-D6人タッグ王座を創立。
  • 1月27日入江茂弘がプロレスリング・チームでらから移籍。
  • 2月17日大鷲透がレギュラー復帰。
  • 4月17日大家健ガンバレ☆プロレスを旗揚げ。
  • 4月29日スターダム初の両国国技館大会に運営協力。飯伏・伊橋・マイケルもミックスファイトに参戦。
  • 5月3日、後楽園大会「MAX BUMP 2013」がDDT本体の興行としては初めてサムライTVで生中継される。
  • 5月26日彰人がスポルティーバから移籍。
  • 8月17日と18日、両国国技館大会2days「真夏のプロレス祭り」開催。
    • 17日は「DDT万博〜プロレスの進歩と調和〜」と題した他ジャンルとのコラボ興行。さらにダークマッチとして東京女子プロレスがリングでの初試合。テレビ東京での9月29日深夜放送も決まり、同団体初の地上波進出となる。
    • 18日は「両国ピーターパン2013〜プロレスの傾向と対策〜」。ファッションモデルでタレントの赤井沙希プロレスデビュー。
    • 1週間前の10日と11日には新日本プロレス「G1 CLIMAX」も両国2daysで開かれた(同大会には飯伏幸太が初参戦)。
  • 8月22日新宿FACEにて行われる「国際プロレス最終章・ワンスアゲイン」にFREEDOMSと共に全面協力。
  • 9月29日、後楽園大会にて戦略発表会。2014年以降のさいたまスーパーアリーナ進出を宣言。そのために過去にマッスルなどもレギュラー放送したテレビ埼玉での定期放送枠確保を目指すことを発表。
2014年
  • 1月3日、前年に続き後楽園ホールで全席2000円興行を開催。
  • 1月12日と13日、大阪・道頓堀アリーナにて2DAYS興行を開催。
  • 1月26日、ブラウザゲーム「リング☆ドリーム 女子プロレス大戦」とのコラボレーション実施を発表。[5]
  • 同月、佐々木大輔が所属選手に。佐藤光留はレギュラー契約を更新しなかったが、ユニオンにはフリーとして参戦する他にハードヒットも継続。
  • 2月19日、「アップアップDDT(仮)〜アップアップガールズ(仮) vs ほもいろクローバーZ、アイドルvsプロレス異種対バン戦Vol.1〜」を新宿FACEで開催。
  • 2月23日、後楽園ホールを最後に柿本大地が退団。ドロップキックの店長も木高イサミと交代となる。
  • 3月、 グレース観光と業務提携。同社が選手バス運行を請け負うほか、提携の一環としてDDTプロレス仕様のラッピングバスが登場している。
  • 4月、サムライTVで月1回のオンエアとなる「DDTのプロレスバンザイ\(^o^)/」と毎週水曜日テレ玉にて中継番組「DDTプロレス中継 さいたまースラム!」の放送開始[6]
  • 4月13日大阪府立体育会館第2競技場で松井レフェリー20周年興行を開催。
  • 5月11日札幌テイセンホールにてワンマッチ興行を4本立てで開催。
  • 5月25日名古屋国際会議場大会を開催。
  • 6月5日、「DDT×BiS異種対バン路上ライブプロレス」を浅草花やしきで開催。
  • 6月10日オスカープロモーションと業務提携を結んだことを発表[7]
  • 6月18日、「故・冬木弘道13回忌メモリアル興行&金村キンタローデビュー25周年記念興行」に協力。DDTからは高木三四郎大社長とヤス・ウラノが参戦。
  • 6月29日、後楽園ホール大会よりそれまでオープニングテーマとして使用されていた「INTO THE LIGHT」から、オリジナル曲の「Get Ready」に変更。
  • 7月6日、スポルティーバアリーナで開催される「高井AID」に協力。
  • 7月20日、後楽園ホール大会で戦略発表会を行い4つのことを発表。
    • 1つ目はDDT48総選挙からDDTドラマティック総選挙に名称変更をしてユニット総選挙も実施。
    • 2つ目はPCとスマホでチケットを一切の手数料なしで購入できるペーパーレスチケットの「マルチデジタルチケット」の導入。また試験的にガンプロで導入。
    • 3つ目は人気アニメパワーパフガールズとコラボしたTシャツの販売。
    • 4つ目は2015年2月15日にさいたまスーパーアリーナコミュニティーアリーナに進出することが決定。
  • 8月17日、両国国技館大会「両国ピーターパン2014〜人生変えちゃう夏かもね!〜」を開催。
    • 2009年より行われている夏のビッグマッチとしては初めて前売り段階で完売。
  • 10月1日坂口征夫が所属選手になる。
  • 10月18日浅草花やしきにて初のファンクラブ限定興行を開催。
  • 10月26日、レギュラー参戦契約を結んでいたケニー・オメガが新日本プロレス入団のため後楽園大会でDDTラストマッチ。またDDTのプロレス漫画の企画が発表される。
  • 11月28日北沢タウンホールで新プロジェクト「DDT NEW ATTITUDE」の旗揚げ戦を開催。
  • 12月8日、初期のDDT現場監督だった木村浩一郎が10月28日に逝去したことから、かつての所属及び参戦メンバーだった選手が所属するアパッチプロレス軍及びプロレスリングFREEDOMSと協力して「木村浩一郎追悼興行」を新木場1stRINGで開催。
2015年
2016年
  • 2月19日、事務所を現在のアパホテル新宿御苑前に移転[9]
  • 3月21日、両国国技館大会「Judgement2016〜DDT旗揚げ19周年記念大会〜」を開催。同所での大会としては初めて客席を全面開放。
  • 3月末にて諸橋晴也がフリー転向のため退団。
  • 4月15日、旧事務所にベストストレッチ新宿御苑店および併設の新宿ぎょえん接骨院をオープン。
  • 5月29日大石真翔勝俣瞬馬MAOにアイドルユニット「NωA」を結成することを命ずる[10]
  • 8月28日、両国国技館大会「両国ピーターパン2016〜世界でいちばん熱い夏〜」を開催。
  • 10月23日、後楽園ホール大会にてDDT独自の動画配信サービス「DDT UNIVERSE」が2017年1月より開設することとDDT飲食部門を運営する株式会社えびすこが株式会社DDTフーズに社名を変更し代表取締役社長にKUDOが就任。
  • 11月6日、新木場STUDIO COASTにて「DDTフェス2016 supported by ナタリー」を開催。
  • 11月20日、海外初となる興行を台湾で開催。「ニトリ台湾」が同大会の冠スポンサーを務める。
  • 12月4日、大阪府立体育会館第1競技場を開催。興行名は「大阪オクトパス2016~浪花節だよプロレスは~」
2017年
2018年
2019年

2020年代

2020年
  • 1月29日プロレスリング・ノアの発行済み株式100%をサイバーエージェントに譲渡。高木がノアの社長に就任。
  • 2月よりCOVID-19の流行に伴い、大会の中止が相次ぐ。3月20日の後楽園ホール大会以降、全大会が無観客での配信開催となる。
  • 5月9日、全日本プロレスの秋山準がDDTのゲストコーチに就任。「DDTの選手に王道を叩き込む」と宣言し、若手の育成の他、自身も選手として参戦していくことを発表する。
  • 5月12日、動画配信サービス「DDT UNIVERSE」を「WRESTLE UNIVERSE」に名称変更。[13]
  • 6月14日、板橋グリーンホール大会より有観客での開催を再開。
  • 7月1日、秋山準がDDTにレンタル移籍。
  • 7月27日、株式会社DDTプロレスリング、ノア・グローバルエンタテインメント株式会社、株式会社DDTフーズの3社経営統合を発表[14]。9月より、株式会社CyberFightの運営するブランドとなり、高木が社長、彰人とノアの丸藤正道が副社長となる[14]
  • 9月30日、レディビアードが契約満了により退団。
  • 11月3日、大田区総合体育館大会を開催。
2021年
2022年
2023年
  • 1月29日、ヤングドラマ杯以来13年ぶりの若手リーグ戦「D GENERATIONS CUP」を開催(2月26日まで)。
  • 2月23日バーレスク東京にて路上プロレスの形式でKO-Dタッグ選手権を開催(MAO・勝俣組(王者)対高木・阿部史典組)。
  • 3月21日、旗揚げ26周年興行を後楽園ホールで開催。「後楽園史上最長」と銘打ち6時間近くの興行を行った。10代プロジェクトの2選手がプロジェクトを卒業しDDTに合流。
  • 3月30日31日(日本時間31日・4月1日)、4年ぶりのアメリカ大会をロサンゼルスハリウッドで開催。31日の公演はゲーム・チェンジャー・レスリング英語版との対抗戦として行われた。
  • 7月23日、両国国技館大会を開催。
  • 9月18日 東海道新幹線のぞみ」の車内で新幹線初の「新幹線プロレス」を開催[16]
  • 11月12日、両国国技館大会を開催。7年ぶりとなる客席全面使用。この大会にて赤井沙希が引退。
  • 11月13日、国技館大会のアフターイベントとして、隅田川上にて「屋形船プロレス」を開催。
2024年

注釈

  1. ^ DDT48総選挙結果発表時に「家はパンクラスですけれども、ホームリングはDDT」と発言している。
  2. ^ 一般社団法人ベストボディ・ジャパン協会主催
  3. ^ a b 配信限定興行のため。
  4. ^ MAOをモデルにしたアニメオリジナルキャラクター。

出典

  1. ^ a b 株式会社CyberFight 第20期決算公告
  2. ^ 【記者会見】ZERO1道場をZERO1、DDT、スターダムの3団体でシェア。「DDTでは練習以外にプロレスサークルを起ち上げて広く門戸を開放します」(高木)”. 株式会社DDTプロレスリング. 2014年12月18日閲覧。
  3. ^ 2014年12月17日 スターダム、ZERO1、DDTの3団体が道場について記者会見”. 株式会社スターダム. 2014年12月18日閲覧。
  4. ^ 【会見】DDT内事業部に東京女子プロレス設立。代表は甲田氏”. 2012年6月4日閲覧。
  5. ^ http://www.ddtpro.com/ddtpro/6570/
  6. ^ DDT「さいたまスーパーアリーナ進出」表明 - 東京スポーツ・2014年1月4日
  7. ^ 「剛力プロレスデビュー」DDT高木社長が熱烈ラブコール - 東京スポーツ・2014年6月11日
  8. ^ “DDTが11.28大阪府立体育会館第一競技場に初進出することを発表!その時点でのKO-D無差別級王者に総選挙1位が挑戦”. バトル・ニュース. (2015年6月15日). https://battle-news.com/?p=10241 
  9. ^ 事務所移転のお知らせ
  10. ^ “DDTプロレスから男性アイドルNωA誕生、楽曲はmichitomo制作”. 音楽ナタリー. (2016年5月31日). https://natalie.mu/music/news/189103 2016年5月31日閲覧。 
  11. ^ DDTプロレスリングのサイバーエージェントグループ参画に関するお知らせ』(プレスリリース)サイバーエージェント、2017年9月22日https://www.cyberagent.co.jp/newsinfo/press/detail/id=141282017年9月22日閲覧 
  12. ^ グラビアタレント・白川未奈、プロレスデビュー表明「時は来た!」 - ORICON NEWS
  13. ^ DDT UNIVERSEがサービス拡大により名称変更! 新名称はWRESTLE UNIVERSE(レッスルユニバース)!”. DDTプロレスリング公式サイト (2020年5月12日). 2022年11月1日閲覧。
  14. ^ a b 【会見全文】NOAHとDDTが経営統合!新会社CyberFightを設立し各団体は事業部として継続!丸藤正道と彰人が副社長に就任!”. バトル・ニュース (2020年7月27日). 2020年7月27日閲覧。
  15. ^ サンミュージック×DDT業務提携のお知らせ”. DDTプロレスリング公式サイト (2022年11月1日). 2022年11月1日閲覧。
  16. ^ 東京駅発・のぞみ371号「新幹線プロレス」 – DDTプロレスリング公式サイト 2023年8月1日付 2023年9月2日閲覧
  17. ^ DDT 7.19後楽園大会 坂口vs.入江、彰人vs.アントンのEXTREME級戦、MIKAMIのDDT所属最終試合 2015年7月19日付 バトル・ニュース
  18. ^ プロレスラー入門テストの季節 清野茂樹のシゲキ的リング 2006年11月19日
  19. ^ 【ユニオン10周年記念興行~星に願いを~のまとめ】涙、涙の解散興行…最後は「ありがとう、ユニオン!」で10年の歴史にピリオド/イサミが石川を下してユニオンMAX初防衛。タイトル一時封印を示唆も「必ずこいつの出番は来ると思う」(イサミ)「自分が活躍できれば、ユニオンプロレスの名前を残せる」(石川)/ユニオンで生まれ育ったFUMAと風戸が見せた好勝負/チェリーは最後にFTE王座を防衛。ベルトについては「これからゆっくり考える」”. DDTプロレスリング公式サイト (2015年10月5日). 2015年10月18日閲覧。
  20. ^ 元ユニオンプロレス所属選手の今後に関して/諸橋、チェリー、ビアードはDDT所属に”. DDTプロレスリング公式サイト (2015年10月8日). 2015年10月18日閲覧。
  21. ^ プロレスリングBASARA独立のお知らせ”. DDTプロレスリング公式サイト (2019年6月11日). 2019年6月12日閲覧。
  22. ^ ジョーダン・ヒートリーTwitter”. Twitter. 2021年7月18日閲覧。
  23. ^ DDTプロレス大会中継 - FIGHTING TV サムライ
  24. ^ プロレス事業会社 株式会社CyberFightの始動について - 株式会社サイバーエージェント 2020年7月27日
  25. ^ 『ご報告』”. ベストストレッチ代々木上原店のブログ. 2019年1月9日閲覧。
  26. ^ 閉院のお知らせ”. DDT ProWrestling. 2022年12月4日閲覧。






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