大宮神社 (大阪市旭区)とは? わかりやすく解説

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大宮神社 (大阪市旭区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/18 07:13 UTC 版)

大宮神社

拝殿
所在地 大阪府大阪市旭区大宮3丁目1-37
位置 北緯34度43分31.8秒 東経135度32分42.4秒 / 北緯34.725500度 東経135.545111度 / 34.725500; 135.545111座標: 北緯34度43分31.8秒 東経135度32分42.4秒 / 北緯34.725500度 東経135.545111度 / 34.725500; 135.545111
主祭神 応神天皇神功皇后姫大神など
社格 村社
創建 寿永元年(1185年
本殿の様式 三間社流造
例祭 7月・10月
主な神事 大宮えびす祭、夏まつり、秋まつり
地図
大宮神社
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大宮神社(おおみやじんじゃ)は、大阪市旭区大宮にある神社。旧社格村社源義経による創建である。

祭神

歴史

伝承によれば、寿永元年(1185年)2月に平家追討の最中であった源義経がこの地で宿を取ったところ、宇佐八幡神の霊夢を見、目覚めるとの木にがかかっていた。それを手にした義経は軍神であり源氏氏神でもある八幡神の力を得たとばかりにその鏡を奉じて平家を打ち滅ぼした。このことを後鳥羽天皇に奏上すると神社の建立を許され、この地に大宮八幡宮を建立したという。摂津誌には「南島神社」と記されている[1]

天正11年(1583年)に羽柴秀吉によって大坂城が築かれると当社は大坂城の鬼門守護神とされ、秀吉の保護を受けて境内の整備が行われた。毎年1月、5月、9月には幣帛を献じられ大いに栄えたという[1]

当社は江戸時代にも引き続いて大坂城の鬼門守護神とされ、大坂城代の交代時には当社への参拝が行われた。他にも毎年1月には初穂料、5月、9月には大幣を献じられていたが、社殿などは年を追って衰微していった。しかし、天明年間(1781年 - 1789年)、寛政年間(1789年 - 1801年)に祠官廣渕善直が社殿・境内の復旧に努めて中興し、従五位下に叙せられている[1]

明治時代になると村社に列せられている。

かつて本殿の北側には小山があったのだが、明治初年の京街道改修の折に土が必要となり小山は取り崩された。現在は大宮中公園として整備されている[1]

1885年(明治18年)の明治十八年の淀川洪水によって境内にあった春日社が損壊している[2]

1910年(明治43年)に近辺にあった十五神社(十五社大神が祀られていた)や森小路神社などの7社を合祀したため[3]、非常に数多くの神々が祀られることとなった。そのために1912年(明治45年)4月には大宮八幡宮の名称を大宮神社と改め[1]、鳥居に掛かっていた「大宮八幡宮」の額が下ろされた。現在ではその額は神輿庫に保管されている[4]。なお、一の鳥居と燈籠は森小路神社から[5]、摂社・高良社の鳥居と燈籠は江野天満社より移設されたものである[2]

本殿は大風水害により大破し修理不能になっていたため、1936年昭和11年)9月15日に設計池田谷久吉、施工金剛建築部(現・金剛組)によって再建された[6]

伝豊国大明神坐像

2020年令和2年)5月、修復中の摂社・高良社より等身大の豊臣秀吉(豊国大明神)坐像が発見された。社伝では大坂夏の陣の際に大坂城より運ばれたものであるとされていたが、制作は17世紀中頃のようである。束帯姿で像高は81.9センチメートルあるが、頭上の冠は無くなっている。近現代に作られた秀吉像を除けば最大となる[7]

天明5年(1785年)に、すでに廃絶となっていた秀吉ゆかりの京都の豊国社豊国廟の旧参道の上に再建されていた新日吉社(現・新日吉神宮)の境内に、ひそかに秀吉を祭神として祀ったという樹下社(このもとのやしろ、現・末社豊国神社)が建てられた。次いで、寛政5年(1793年)には秀吉が最初に一城の主となった長浜城があった長浜に、「えびす宮」(現・豊国神社)が創建され、本殿の奥に秀吉がかくされて祀られる構造となっていた[7]。このように、この時代より少しずつ太閤秀吉に人気が出ていたが、寛政9年(1797年)に秀吉の一代記である『絵本太閤記』が出版されると、次にはそれを翻案した浄瑠璃大坂京都で頻繁に上演されるなどして秀吉の人気は高まりを見せていた[7]

こういった秀吉人気の流れの中で、文政6年(1823年)には当社でこの秀吉像の御開帳が行われたのであった。この後、秀吉像は高良社に移されたようである。その後、なぜか高良社の社殿の扉には釘止めが行われ、長く秘されて祀られるようになった。江戸時代における豊国大明神信仰を考える上でも貴重なものである[7]

境内

  • 本殿 - 1936年昭和11年)9月15日再建。三間社流造。設計は池田谷久吉、施工は金剛建築部(現・金剛組[6]
  • 神門 - 1936年(昭和11年)9月15日再建。設計は池田谷久吉、施工は金剛建築部(現・金剛組)[6]
  • 影向梅(えこうばい) - 神門の東側にある。源義経が手に取ったという霊鏡が掛かっていたとされる御神木。すでに枯木となっており、現在はその根幹を残すのみとなっている[8]
  • 亀甲石(きっこうせき) - 神門の西側にある。古くより御亀石(おかめいし)と称して崇められているが、詳細は不明[8]
  • 拝殿 - 1930年(昭和5年)再建[9]
  • 遥拝所 - 伊勢神宮宮中三殿天皇陵宇佐神宮石清水八幡宮その他大社を拝する所。1932年(昭和7年)築。当初は拝殿の東側にあったが、1976年(昭和51年)に現在地に移された[2]
  • 社務所 - 1964年(昭和39年)再建[9]
  • 神輿庫 - 1997年平成9年)建立[4]。以前は絵馬堂に保管してあった絵馬や神輿を置いている。
  • 参集所 - 2009年(平成21年)に絵馬堂を参集所に改修。明治初年頃にはあり、1921年(大正10年)には修理が行われている[9]
  • 戎倉庫 - 1983年(昭和58年)建立[9]

摂末社

文化財

大阪市指定有形民俗文化財

  • 伝豊国大明神坐像 - 2021年(令和3年)3月28日指定。近代の大阪では秀吉が篤く信仰されていたが、その信仰を物語る史料は希少であり、重要な彫像である。

大阪市指定有形民俗文化財

  • 大宮神社神像群一括 6軀 - 2023年(令和5年)5月16日指定。
    • 男神坐像 - 束帯姿で元文2年(1737年)の奉納銘があるが、制作年代は中世にさかのぼる。大阪市域でも古様な神像の作例である。
    • 稲荷神立像及び二狐 - 老相の稲荷神である。
    • 童子形神立像 - 仁徳天皇像として祀られていた可能性がある。
    • 鎮宅霊符像 - 北斗社の神体であった可能性がある。

祭事

  • 大宮えびす祭・1月、夏まつり・7月、秋まつり・10月等

所在地

  • 大阪府大阪市旭区大宮3丁目1-37

アクセス

脚注

出典

関連項目

参考文献

  • 角川日本地名大辞典 27 大阪府 角川書店
  • 大宮神社由緒書

外部リンク




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