大宮神社 (京丹後市)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/03 13:27 UTC 版)
| 大宮神社 | |
|---|---|
|   鳥居と拝殿  | 
    |
| 所在地 | 京都府京丹後市弥栄町野中1985 | 
| 位置 | 北緯35度41分6.4秒 東経135度9分13.7秒 / 北緯35.685111度 東経135.153806度座標: 北緯35度41分6.4秒 東経135度9分13.7秒 / 北緯35.685111度 東経135.153806度 | 
| 主祭神 | 大宮売神 | 
| 社格等 | 旧村社 | 
| 創建 | 正慶元年(1332年)9月 | 
| 例祭 | 10月第2日曜 | 
| 地図 | |
大宮神社(おおみやじんじゃ)は、京都府京丹後市弥栄町野中1985にある神社である。
社格は旧村社。弥栄町野中、大谷、中津、田中の各集落の鎮守とされる[1]。
祭神
- 主祭神[2]
 
- 大宮売神(おおみやのめのかみ)
 
- 配神[2]
 
歴史
   右上が野中、中央下が中津
正慶元年(1332年)9月に創祀され、元禄7年(1694年)9月に再建された[2][3]。
江戸時代後期に編纂された『丹哥府志』では、野間一郷の氏神とされている[2]。
1873年(明治6年)2月には近代社格制度による村社に列せられ、1906年(明治39年)に神饌幣帛料供進社に指定された[2][3]。1931年(昭和6年)10月には創祀600年記念式典を挙行し、六百年祭祀行記念碑を建立した[2]。
境内
   - 社殿
 - 本殿
 - 狛犬
 - 鳥居
 - 「明治三十七八年役紀念碑」
 
境内末社
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    本殿
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    狛犬
 -  
     
    「明治三十七八年役紀念碑」
 
特色
野間城の落城後に野間村に移されたとされる。明治元年までは吉浪家と藤原家が禰宜を務め、小金山神社の神主が兼任していた。明治以降、禰宜はそのままに、神主は木村家が務めたという。吉浪家は屋号が城出であり、野間城址落城の際持ち来たり伝えるものとして、具足一足、酒樽などを継承していた。
祭礼
   かつて秋の例祭には、野中からビンザサラ踊が、大谷から神楽が、中津から太刀振が奉納されていた[2]。1935年(昭和10年)の例祭では、京都大学教授の西田直二郎と柴田實、京都府史蹟調査委員などが調査を行った[2][3]。1963年(昭和38年)の例祭では、早稲田大学教授の山路興造が調査を行った[2][3]。1972年(昭和47年)の例祭では、名古屋の田中義広が調査を行った[2][3]。その後は諸事情で奉納行事が途絶えていた時期もあった。
文化財
選択無形民俗文化財
- 「野中の田楽」
 
京丹後市指定文化財
- 「野中区宝篋印塔」
 - 「大宮神社神像」 
    
- 大宮神社には男神坐像、女神坐像、僧形坐像、如来坐像の計4躯の神像・仏像がある[9]。2006年(平成18年)3月28日に京丹後市指定文化財に指定された。
 
 
脚注
参考文献
- 大島暁雄 編『近畿の民俗 京都府編』三一書房、1995年。ISBN 4380955532。
 - 弥栄町『弥栄町史』弥栄町、1970年。
 - 野間老人クラブ『ふるさと野間』野間老人クラブ、1983年。
 - 『ふるさと野間 今昔写真集』ふるさと野間を考える会、1984年。
 - 京都府教育委員会『京都の田楽調査報告書』京都府教育委員会、1978年。
 
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