ポケットビスケッツ ポケットビスケッツの概要

ポケットビスケッツ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/07 07:47 UTC 版)

ポケットビスケッツ
別名 口袋餅乾 / 口袋饼干(中国語表記)
出身地 日本
ジャンル J-POP
活動期間 1995年 - 2000年(活動休止中)
2002年
2018年8月25日
2023年12月31日
レーベル 東芝EMI/
TM FACTORY・EAST WORLD
(1995年 - 2000年)
ユニバーサル ミュージック ジャパン
(2016年・20周年記念盤リリース時)
共同作業者 パッパラー河合
メンバー 内村テルプロデューサーリーダーキーボード
坂本千秋ボーカル
独活野大木ショルダーキーボードギターエレクトリックドラム

ウッチャンナンチャン内村光良(TERU)、タレント千秋(CHIAKI)、キャイ〜ンウド鈴木(UDO)の3人組から成る。1995年から2000年まで活動、同年より活動休止中。以降、2018年8月25日、同局の24時間テレビにて一夜限りの復活。2023年12月31日、第74回NHK紅白歌合戦の特別企画に選出されたため限定的に復活している。

主な発表曲として、100万枚以上の売上を記録した『YELLOW YELLOW HAPPY』、『Red Angel』、『POWER』などがある。『POWER』は同番組で唯一のオリコン週間チャート1位を獲得した。同番組から後発されたブラックビスケッツと共に、番組が生んだ2大ユニット[2]、2大スター[3]などと呼ばれた。ポケットビスケッツを卒業した千秋はソロで歌手活動をし、ウリナリには2001年4月まで出演を続けた[注 1]

2023年12月時点でのオリコンランキングにおけるCDシングルの総売上枚数は404万枚[注 2]で、テレビ番組発の芸人音楽ユニットとしては歴代2位である[4]

メンバー

※以下の年齢等は番組上の設定である。

TERU(内村テル)

演者はウッチャンナンチャン内村光良プロデューサー、リーダー、キーボード担当。8枚目のシングル「青の住人」と、アルバム収録曲「Orange」ではメインボーカルも務めた。内村の相方である南原清隆が扮した音楽プロデューサー・南々見一也が経営する「居酒屋ナミちゃん」の雇われ店長として登場した[5]。初登場時71歳[5]。語尾が「ダニ」と訛ることが特徴[5]。楽器演奏は当初アテ振りであったが、第2作「YELLOW YELLOW HAPPY」からはソロパートで実際に演奏を行い、ライブで披露した。「青の住人」・「Days」では全編に渡り演奏を担当した。2023年「第74回NHK紅白歌合戦」出場後のインタビューで90歳代という発言があり、初登場時からの年数がカウントされている可能性がある。 ※番組放送当時はテルの年齢は内村の実年齢に+40歳だった

CHIAKI(坂本千秋)

演者は千秋ボーカルと作詞を担当。テルと同じく「居酒屋ナミちゃん」の店員であった[6]。初登場時12歳。幼い頃から歌手になることを夢としていた。かなりの怖がり屋[注 3]で、辛い食べ物が苦手[注 4]。2023年「第74回NHK紅白歌合戦」出場後のインタビューで永遠の12歳という発言あり。

UDO(独活野大木〈うどのたいぼく〉)

演者はキャイ〜ンウド鈴木ショルダーキーボードギターエレクトリックドラム担当。4作目のシングル「GREEN MAN」ではメインボーカルも務めた。初登場時27歳。南々見一也のスタッフであったが、厄介払いされるような形でポケットビスケッツに加入した[7]。ユニット名の命名者でもある[7]。演奏は当初テルと同じくアテ振りだったが第3作「Red Angel」では電子ドラム、「100万人署名御礼全国ツアー」以降は「POWER」などでギターを、インストゥルメンタル曲「まごころ」ではアコースティックギターをライブで生演奏していた。酒が好きで、きき酒大会では当てる酒または既に当てている酒を一気に飲み干している[注 5]。2023年「第74回NHK紅白歌合戦」出場後のインタビューでは、ポケットビスケッツの空間デザイナーを自称している。

歴史

結成までの経緯

1995年10月20日、『ウッチャンナンチャンのウリナリ!』(以下、ウリナリ)の前身番組『ウッチャンウリウリ!ナンチャンナリナリ!!』で始まった「スーパースター誕生! 〜K・Nanami アジアへの野望〜」という企画に活動の端を発する。当初は「ポケットビスケッツ」という存在は企画の予定に入っておらず、高山理衣をアジアへ売り出すことが主なテーマであった。

レコードセールス戦略の一環としてマーケットの拡大を目論む男、天才音楽プロデューサー・南々見一也(南原清隆)は、自分の事務所の社長・白石恵(国生さゆり)、マネージャー・工藤勝馬(勝俣州和)と共にフィリピンでのアイドル戦略を計画していた。南々見は自分が経営する居酒屋ナミちゃんで新人のアイドル・高山理衣と会うことになったが、そこで登場したのがアイドル事務所社長・滋花実(室井滋)とマネージャー・独活野大木(ウド)であった。またこのとき、テル(内村)と千秋は、居酒屋ナミちゃんの雇われ店長と看板娘という設定の脇役だった[8]

企画が進み、オクトアーツEMIから「3人組の女性ユニット」という条件でデビューの話がもたらされた[8]。高山を除いた女性メンバー3人(千秋、国生、室井)から2名を選ぶことになったが、南々見の独断により国生と室井が選ばれた。私的にも歌手になることを目標としていた千秋はこの結果に泣き出し、これを庇ったテルが咄嗟に「第2のマモー・ミモー作ってやるダニ[注 6]」と叫んだことから、もうひとつの音楽ユニットを作ることが決まった[9]。このときのテルの台詞は全くのアドリブであるが、これは千秋を外してテルが声をかけてくれるとう流れにもって行かすためにあえて外した。後日談でポケビは初めから作る方向で当時のディレクターである星野淳一郎が千秋をあえて外したとのこと。千秋が歌が好きなのに外すことによって泣き出して内村が絶対に声をかけてくれるだろうと勝負に出て、星野の思っている通りに内村が声をかけてくれて助かったと何年か後によゐこ有野が星野と飲みの席で聞いたと自身のYouTubeで話している。番組の企画総合演出を担当した土屋敏男は「あのやりとりがなかったら、ポケビは存在しなかった」と語っている[9]

12月1日の放送回では女性3人組ユニットの名前を決めることになり、高山が「McKee(マッキー)」、滋が「クチパクルーズ」、白石が「おニャン子くらぶ」、独活野が「ポケットビスケッツ」を提案し、結果「McKee」が採用された[10]。ユニット名が決まった直後、テルと千秋が現れて独活野を引き抜きに来たと言い出すが南々見はあっさりとこの引き抜きを承諾する。こうしてテル、千秋、独活野のグループが結成されるが、その3人に向かって南々見は「お前らの名前はもう決まってるよ。ポケットビスケッツ」と独活野の提案したグループ名を宛てがった[10]。この時点ではポケットビスケッツはまだMcKeeの添え物扱いであった[10]

なお、後に勝俣州和がポケットビスケッツの由来について、童謡『ふしぎなポケット』の「ポケットの中にはビスケットがひとつ、ポケットを叩くとビスケットはふたつ」になぞらえて「夢・喜び・笑顔がどんどん増えていくグループにしたい」という想いを込めてウド鈴木が考案したと語っている。

デビュー

McKeeは後藤次利、ポケットビスケッツはパッパラー河合プロデュースによるデビューが決まり、CD発売に先立ちフィリピンでライブが行われた[11]。両者のデビュー曲は共に1996年4月17日の発売と決まり、「オリコン週間チャートでより上位を獲得した曲を番組のエンディングテーマとする」という対決企画へ進んだ[11]。順位発表は5月10日の番組内で行われ、McKeeのデビュー曲「Can't Stop My Heart」が28位、ポケットビスケッツのデビュー曲「Rapturous Blue」はこれを上回る25位となり、ポケットビスケッツが勝利した[11]。以後企画はポケットビスケッツを中心に展開し、McKeeは1作のみで自然消滅した。

その後「Rapturous Blue」はチャート20位まで上昇し、10週連続で100位以内に留まり、累計50万枚以上を売り上げた[12]。作曲を担当したパッパラー河合は、「始め、曲を作った時は、これは売れそうだなとか、ヒットさせてやろうなんていうことは考えてなかったし、のちのちこれほど売れるだろうとは予想してなかったですね」と語っている[13]。また、作詞を担当した千秋は「番組の企画モノ」という雰囲気の中で、どこまで真面目に作ればよいのか悩みながらの作詞であったという[14]

7月12日には番組内で第2弾シングル「YELLOW YELLOW HAPPY」の製作を発表、CD発売に際しては「普通の番組では考えられない予算」(番組ディレクター・塩谷祥隆[15])を投じて、前回作られなかったプロモーションビデオが製作され、ジャケットは横浜市みなとみらい地区にあるヨーヨー広場で撮られた。発売後、テルが「Rapturous Blueの最高20位に届かなかったら解散」という条件を出したが、初登場で8位に入り、活動継続となった[16]。同作の最高位は4位、累計約150万枚を売り上げている[17]

対決路線の展開

10月25日の放送では、南々見一也が台湾出身のタレントビビアン・スーを連れて現れ、「祝・ヒットチャートベスト10入り企画」と銘打って15種類の利き酒を行うことを要求。「成功したら初ライブ・失敗したら即解散」という条件で対決が行われた。ポケットビスケッツはこれに勝利し、初めてのライブ開催が決定した[16]。当初は原宿で行われる予定だったが、予想を上回る聴衆が集まったため中止となり、後日新宿アルタ前で改めて開催された[18]。開演前には南々見から再度「利き寿司」対決を持ち掛けられたが勝利を収め、直後に約5000人の聴衆を前に初ライブを行い、「YELLOW YELLOW HAPPY」を披露した[18]。この頃から事あるごとに様々な対決を持ち掛けられ、「できなかったら即解散」という条件が付く対決路線が始まった。

その後、3作目の発売までに至る一連の対戦にもことごとく勝利し、翌1997年1月22日に第3弾シングル『Red Angel』が発売、初登場2位を記録した。発売直前の1月10日には、南々見一也の双子の兄という設定の南々見狂也(南原清隆)と、ビビアン(ビビアン・スー)、天山ひろゆき(キャイ〜ン・天野ひろゆき)で結成されたブラックビスケッツが初登場、以後両ユニットの対決が展開されていった[19]。4月には「Red Angel」の売上げが100万枚を突破、同じくミリオンを達成していた「YELLOW YELLOW HAPPY」と共に、東芝EMIからゴールドディスクが贈られた[20]。パッパラー河合はこの2曲のヒットについて、「チアキのボーカルとか作詞の力も大きかった」と述べている[13]。「ポケビ効果」により、『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』自体も視聴率20%を超える人気番組となった[2]

アルバム発表 - 日本武道館ライブ

5月2日の放送において、ファーストアルバムを製作することがテルから発表された[21]。発売に先立ちアルバムから1曲をシングルカットすることになり、4曲の候補の中からウドがメインボーカルを務める「GREEN MAN」が選ばれた[21]。この決定には当初ウド自身も反対していたが、7月4日に発表されたオリコンチャートで初登場3位を記録し、番組中で感泣した[21]。パッパラー河合は「ウドのボーカル曲はそのうち注文が来るだろうなとは思ってたけど、まさかシングルカットとは思っていなかった」と語っている[13]。なお、河合が4作目に考えていたのは、アルバムの1曲目に収録された千秋ボーカルの「Pink Princess」であった[13]

7月14日にファーストアルバム『Colorful』が発売され、初登場3位を記録した。この2カ月後、企画上「ポケットビスケッツの邪魔者」という扱いに過ぎなかったブラックビスケッツの台湾デビューが決定。以後しばしブラックビスケッツが前面に押し出され、ポケットビスケッツは一時的に活動休止状態となった。この最中にブラックビスケッツは9月に台湾において第1弾シングル『闘志』を発表し、2週連続の1位を獲得、『STAMINA』と改題して12月に発売された日本では初登場2位を記録した[22]。12月12日の放送でポケットビスケッツとブラックビスケッツが台湾で合同ライブを行ったのち、年末の日本武道館ライブの権利を賭けて静岡県の浜名湖~日本武道館までの「ガソリンすごろく対決」を行い、ポケットビスケッツが勝利。12月28日(放送は翌1998年1月9日[23])に初めての本格的ライブとして日本武道館で単独公演を行った(ブラックビスケッツも後から出演)[23]。このステージでは、千秋が歌の最中に感極まり、声を詰まらせる場面もあった[24]

100万人署名運動 - 初の1位獲得

1998年3月、ポケットビスケッツのシングル5作目「My Diamond」と、ブラックビスケッツのシングル2作目「Timing」のどちらを同年4月22日に発売するかを賭けて白馬のジャンプ競技場から御殿場のCDプレス工場へのガソリンすごろく対決が行われ、接戦の末ポケットビスケッツが敗北。敗者は新曲のマスターテープを破棄するという条件が付けられていたため、「My Diamond」のテープは破棄された。

だがこの回の放映後にポケビを激励する手紙が寄せられたのを受け、新曲の発売を目指して「100万人署名」を開始。全国各地の小学校を中心に署名運動が展開され、時にポケビが署名活動中の人達を訪ねる一幕もあった。そして署名受付の締切を6月21日と決定し、ラストスパートとしてその当日に有明レインボーステージで無料ライブ「最終日の集い」を開催。署名用紙をチケット代わりにする方式にしたところ、会場のキャパである1万人を遥かに超える観客を集めた。またライブ2日前の放送では、当日現地に来られない全国の視聴者から速達でも署名を募集した結果、会場の臨時集計センターには大量の郵便物が届けられた。結果、署名は目標を大きく上回る178万4892人の署名が集まったと発表された[25](締切後に届いたものを含めると200万に達した[26])。1カ月後の7月22日にシングル5作目となる『POWER』が発売され、2週目の売上げにおいて初めての週間チャート1位を獲得した。テルは企画について、「もしいったとしても、ギリギリ100万、いかなかったら90万ぐらいと思っていたから、すごい突き抜けた数字で驚きました。ポケビの一連の企画で初めて視聴者の力を借りて、みんなの力がここまで押し上げてくれたと思った。スゴイと思った」と語っている[25]

なお、販売店の一部には「100万人に到達しなかったら新曲は出ない」という部分が伝わっておらず、店によっては結果発表前から新曲発売が既成事実のように扱われていたため、「出来レースではないのか」という投書もあった。これについて、東芝EMIのディレクター・長井信也は「みんなこんなに一生懸命やっているのに、そう思われてしまうのは、僕としてもすごくイヤでした」と語っている。長井によれば、結果発表の会場には成功・失敗2種類の台本とくす玉が用意されていたといい、『POWER』の収録も発表当日のジャケット写真撮影をはじめとして、全て結果発表の後に突貫作業で行われた[27]

後に「ウリナリ!!」メンバーのYouTubeなどで「100万人の署名が集まらなかったら解散」と語られることがあるが、あくまでも「新曲の発売をかけた署名運動」である。

同年7月から8月にかけて、100万人署名に対する御礼として『100万人署名御礼日本縦断ツアー』を全国9カ所(沖縄・熊本・福岡・香川・兵庫・愛知・長野・山形・北海道)で開催[28]。香川ではブラックビスケッツ南々見(南原)の地元ということもあり南原の父親が、山形では地元に凱旋したウドの両親と親族が観覧に訪れた[29]。最終地、北海道・旭川では5万人以上を集めるなど各地とも盛況だった。また、ツアー中『POWER』でのウドのギターパートが増える試練もあった。

年末にはNHKの『第49回NHK紅白歌合戦』に「ポケットビスケッツ&ブラックビスケッツ スペシャルバンド」として出場。曲順は後半戦のトップバッターで「POWER & Timing 大晦日MIX」として2組の楽曲をメドレー方式で歌唱した[24]。他のウリナリ出演者も応援に駆け付け、内村が番組の別の企画である「ランキングキャラクターLIVE」のキャラクター・ホワイティに扮したり[24]、最後に「来年は白組で」という幕が現れる[24]など演出も凝ったものであった。しかし、2023年に「ポケットビスケッツ&ブラックビスケッツ」として『第74回NHK紅白歌合戦』に25年ぶり2回目の出場を果たすまで、「ウリナリ!!」発のグループが紅白歌合戦に出場することはなかった。

「POWER」は累計110万枚を売り上げ[24]、3作目のミリオンを達成。この年はブラックビスケッツの『タイミング』も売上100万枚を達成し、番組プロデューサーの土屋敏男は「2組とも、10何万ならともかく、100万枚以上売れているということはもう、番組を見ない人までが曲に惹かれて買ってるとしか思えない」と評した[30]

ソロ活動 - 活動休止まで

翌1999年2月、ポケットビスケッツの活動として、千秋、テル、ウドがそれぞれソロシングルを発売。その内、テルのシングル「青の住人(すみびと)」にてテル本人がピアノを弾いていないという不正が発覚。「完奏できなければ脱退」という条件でFM横浜の「The Ranking」で生演奏し、これをクリアした。しかし、テル本人は演奏の出来に納得せず自ら進んで仮メンバーとなった。その際、ウドがリーダーを勝手に名乗り「3人のソロシングルを買うと抽選で限定グッズが貰えるキャンペーン」を展開した(ウドのシングルだけ売り上げが伸びなかったため、販売促進を狙ったもの)。その後、テルはZepp Tokyoでのライブで上達した演奏を披露。リーダーに復帰し、3人での活動を再開した。

同年7月、1年ぶりの新曲となる第6弾シングルと、幻の曲「My Diamond」の発売を賭けて、さんざん制約を課せられ苦しめられたウリナリ審査委員会(勝俣州和堀部圭亮河村亮)とトライアスロンでの全面対決を決意。見事勝利し22日にポケットビスケッツとしてのシングル6作目『Days/My Diamond』を発売。オリコンチャート最高4位を記録した(売上45万枚[24])。

同年末には松任谷由実の年越しライブにゲスト参加し、「Yuming+Pocket Biscuits」として共演作「Millennium」を生中継、生演奏で発表した。同作は翌2000年1月21日に同名義でシングルとして発売された。発売同日の放送において、「ポケットビスケッツが番組の一企画であるため、歌手・千秋の活動を狭めている」とするテルが、千秋にソロ活動を進言[31]。3人の相談の末にこれが受け容れられ、これに伴いポケットビスケッツとしての活動は停止することになった。

2000年3月12日、千秋のソロデビュー前の初ライブ後、日本武道館でポケットビスケッツとしてライブを行う。これは直前まで千秋には秘密にされ、テレビでも告知されないシークレットライブのスタイルを取った。このライブでテル・ウド・千秋の今後を祈って手作りの幸せの黄色いハンカチが入場者に配られ、ファンの提案で即興の卒業式が行われた。

活動休止後

2002年3月。ウリナリの最終回イベント「ウリナリ祭り」で限定的に復活し、メンバー3人が共演(その「ウリナリ祭り」の観客の中で日本武道館のシークレットライブに見に来ていたと同時に黄色いハンカチを持っていた一部の観客もいた)。ポケットビスケッツとしてウリナリ内で活動したのはこれが最後となっている。以後は千秋個人のタレント活動の中でポケットビスケッツの歌が披露されている。千秋はブログでポケビについて言及することもあり、2010年に行われたインタビューでは「復活はウッチャン次第」と語っている[32]。長らく3人とも多忙であるがゆえにそろって仕事することはなかなか叶わなかったが、2016年7月24日放送、フジテレビFNS27時間テレビ』内の内村光良(テル)司会のバラエティ「スカッとジャパン」にてようやくウリナリ最終回の有楽町・東京国際フォーラムでのライブ以来、約14年4か月ぶりに3人がテレビ番組での共演を果たす。千秋は自身のインスタグラムで3ショット写真を披露し、往年のファンを感動させた[33]

2018年8月25日、『24時間テレビ41「愛は地球を救う」』内で『18年ぶり一夜限りの復活』と称して、武道館で「YELLOW YELLOW HAPPY」と「POWER」を披露。事前に正式な出演の告知はされておらずシークレット扱いであった。 千秋は「みんなが揃うの20年ぶりくらいでしたけど、大丈夫でした。相変わらずウドちゃんはポンコツでした」とコメントした[34]

また『24時間テレビ41「愛は地球を救う」』で電撃復活したことにより、ポケビが2000年に発売した唯一のベスト盤『THANKS』の20周年記念盤として2016年に発売された『THANKS 20th Edition 〜Pocket Biscuits Single Collection+』に注文が殺到。レコード会社の担当者は「24時間テレビ出演直後から約2000枚のCDの注文が来ています」とうれしい悲鳴をあげたという[35]

2019年4月16日、NHK総合『うたコン「総決算!平成ヒットパレード-第1夜-」』に千秋が出演。平成を代表するヒット曲として「YELLOW YELLOW HAPPY」を歌唱[36]。千秋は「当時、番組の企画のオマケのオマケのバンドだったので、紅白に出られるようになるとは思っていませんでした」[37]など、第49回NHK紅白歌合戦に出場した際の裏話を披露した。

同年9月17日放送の『うたコン』では、千秋とAKB48柏木由紀とコラボで「POWER」を歌唱した[38]。柏木は千秋に会うことが目標[39]で「POWER」は人生を変えた曲だったという[40]。千秋によるNHKホールでの「POWER」の歌唱は第49回NHK紅白歌合戦以来、約20年9ヶ月ぶり。

2020年12月22日、 千秋がYouTubeチャンネル『千秋の歌YouTube』を開設し「POWER」を20年ぶりにフルサイズで歌唱した動画を掲載。収録・撮影にはパッパラー河合も参加した。

2021年9月3日には、YouTubeの登録者10万人突破記念動画を公開。50万人までの節目の登録者数に達する毎に「ポケビ」当時のアルバム曲・シングル曲を歌った動画公開を行うことを明かした。

更に、ポケビ当時の100万人署名活動に引っかけて「100万人登録者運動」企画を開始すると宣言。内村に対し突撃でインタビューを行った撮影動画にて、100万人達成記念での「1日限定」の再結成を打診(撮影動画内には出川哲朗も出演)。「(権利問題の絡みなどで、出来るか否かの)確約はしない」としながらも、再結成に対し了承を得た。また後日にはウドに対しても同様に打診した動画を公開。「是非お願いしますよ」と了承を得た。現在も企画は進行中。

2022年7月12日放送の『うたコン』には千秋とパッパラー河合が出演。「YELLOW YELLOW HAPPY」と、ポケビ以来のパッパラー河合とのタッグで、千秋としても20年ぶりの新曲「GREEN FLASH」を披露した。千秋曰く、当日の放送は内村光良も見ていたという[41]

2023年12月16日、大晦日に放送される『第74回NHK紅白歌合戦』に「ポケットビスケッツ&ブラックビスケッツ」として出場することが発表された。紅白歌合戦への出場は25年ぶり[42][43]。同月21日には歌唱曲が「YELLOW YELLOW HAPPY~Timing」と発表された [44]

2023年12月31日、第74回NHK紅白歌合戦の『テレビ放送70年 特別企画「テレビが届けた名曲たち」』に出場。テルの「お久しぶりダニ!」のセリフと共にステージにポケビの3人が登場[45]ポケビが「YELLOW YELLOW HAPPY」を披露後、ブラビが「Timing」の前半を披露。南々見(南原)のサックス、テル(内村)のキーボード演奏の後「Timing」の後半はポケビとブラビ6人での歌唱とダンスを披露した。テレビ番組での2組の共演は『ウリナリ!!』の最終回以来、21年ぶり[46][47]

2023年12月中旬頃『第74回NHK紅白歌合戦』の出場に伴って、内村から千秋とウドに「年末にポケビで歌の仕事ができるから、よろしくお願いします」という旨の連絡が入る。NHKや紅白という文言が入っていなかったため、千秋は日本テレビの内村が司会の特別番組に少し出演するくらいのものだと認識していた。しかし、ある時、NHKでの打ち合わせがあり千秋は紅白歌合戦への出場を知った。後日、ポケビ3人で顔を合わせた際には「紅白って言ってないじゃん」「年末で伝わると思っていた」などのやりとりがあったという[48][49]


注釈

  1. ^ 内村とウドは後に別キャラクターとして、さまぁ~ず大竹らと共にウルトラキャッツを結成した
  2. ^ ポケットビスケッツ名義のシングル曲の合算、ソロ名義とYuming+Pocket Biscuits名義は含まない
  3. ^ 実際の千秋も当時では怖がり屋であった。
  4. ^ 実際の千秋も辛い食べ物が苦手。
  5. ^ 実際のウドも酒好き。
  6. ^ マモー・ミモー=ウッチャンナンチャンのかつての冠番組『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』で放送されていたコントドラマ「ナン魔くん」で、内村とタレントのちはるが演じていたキャラクター。内村がマモー、ちはるがミモーを演じて人気を博し『マモーミモー野望のテーマ』という曲も発売された。
  7. ^ 『いままで出れなかったのは、HEY!HEY!HEY!とウリナリの撮りが日曜日で一緒だったからです。しかし今回はHEY!HEY!HEY!が月曜日の生放送なのでやっと出ることができました。という賞。』を受賞したという名目で登場。
  8. ^ 正確にはRed angel→YELLOW YELLOW HAPPY →Rapturous Blue→Red angelの順で、Red Angelをメドレー冒頭と終盤に2度歌唱。
  9. ^ ギター奏者としてパッパラー河合も登壇していたが紹介はなかった。

出典

  1. ^ 『ポケットビスケッツ公式ガイドブック』p.3
  2. ^ a b 『日経エンタテインメント!』1998年6月号(日経BP社)pp.46-49
  3. ^ 『週刊女性』1998年7月21日号、p.66
  4. ^ ポケビ&ブラビで紅白復活のキャイ~ン、「本当」の印税を明かす 現在とケタ違いのMV撮影も証言、ORICON NEWS、2023年12月21日。
  5. ^ a b c 『ポケットビスケッツ公式ガイドブック』p.4
  6. ^ 『ポケットビスケッツ公式ガイドブック』p.6
  7. ^ a b 『ポケットビスケッツ公式ガイドブック』p.8
  8. ^ a b 『ポケットビスケッツ公式ガイドブック』p.22
  9. ^ a b c 『ポケットビスケッツ公式ガイドブック』p.44
  10. ^ a b c 『ポケットビスケッツ公式ガイドブック』p.23
  11. ^ a b c 『ポケットビスケッツ公式ガイドブック』p.24
  12. ^ 『ポケットビスケッツ公式ガイドブック』p.25
  13. ^ a b c d e 『ポケットビスケッツ公式ガイドブック』p.49
  14. ^ 『ポケットビスケッツ公式ガイドブック』p.11
  15. ^ a b c 『ポケットビスケッツ公式ガイドブック』p.46
  16. ^ a b 『ポケットビスケッツ公式ガイドブック』p.26
  17. ^ 『ポケットビスケッツ公式ガイドブック』p.12
  18. ^ a b 『ポケットビスケッツ公式ガイドブック』p.27
  19. ^ 『ポケットビスケッツ公式ガイドブック』pp.30-31
  20. ^ 『ポケットビスケッツ公式ガイドブック』p.33
  21. ^ a b c 『ポケットビスケッツ公式ガイドブック』pp.34-35
  22. ^ 『ザ・テレビジョン』1998年7月18日-7月24日号、p.17
  23. ^ a b 『TOKYO1週間』1998年3月21日号、p.24
  24. ^ a b c d e f 『ザ・テレビジョン』2000年2月5日-2月11日号、p.37
  25. ^ a b 『週刊女性』1998年7月21日号、p.67
  26. ^ a b 『ザ・テレビジョン』1998年7月18日-7月24日号、p.16
  27. ^ a b 『週刊女性』1998年7月21日号、p.68
  28. ^ 開催地の日本テレビ系列局では、ローカル番組でメンバー出演による事前告知が行われた。この内、沖縄テレビでの出演のみポケットビスケッツに扮せず事前告知を行った。
  29. ^ 1998年に発売されたVHS「ポケットビスケッツ 100万人署名御礼日本縦断ツアー全記録」に収録されている
  30. ^ 『ザ・テレビジョン』1998年7月18日-7月24日号、p.15
  31. ^ 『ザ・テレビジョン』2000年2月5日-2月11日号、p.36
  32. ^ 千秋、ポケビ復活は「企んでいる」 初体験の日比谷野音で野望語る(オリコン)
  33. ^ 【エンタがビタミン♪】千秋『ポケットビスケッツ』の3ショット公開 「本当に復活してほしい!」とファン願う(Techinsight)
  34. ^ ポケットビスケッツ、日本武道館で18年ぶり一夜限りの復活
  35. ^ ポケビ、一夜限定の18年ぶり復活にベスト盤注文殺到
  36. ^ 千秋オフィシャルブログ 苺同盟(2019年4月17日の投稿)より
  37. ^ MusicVoice 19年04月17日07時59分掲載分より
  38. ^ 千秋オフィシャルブログ 苺同盟(2019年9月19日の投稿)より
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  41. ^ 「令和にテレビで聴けるなんて...」 千秋が「ポケビ」曲生披露で「胸熱」”. J-CAST, Inc.. 2023年12月28日閲覧。
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  45. ^ 【紅白】ポケビ&ブラビ“25年ぶり”の登場「お久しぶりダニ!」 一世を風靡した楽曲披露に反響「懐かしすぎて泣いた」 https://www.oricon.co.jp/news/2309148/
  46. ^ ポケットビスケッツ&ブラックビスケッツ、25年ぶりの紅白歌合戦 TERU「このメイクで出ると思いませんでした」”. 中日スポーツ. 2024年1月1日閲覧。
  47. ^ <紅白本番>ポケットビスケッツ&ブラックビスケッツ、25年ぶり「紅白」千秋&ビビアン・スーの変わらぬ美貌に反響”. モデルプレス. 2024年1月1日閲覧。
  48. ^ https://www.oricon.co.jp/news/2315748/full/ 千秋、ポケビあわや紅白白紙に? その裏にあった内村光良の“やさしい気配り” 2024-02-24 18:49 ORICON NEWS
  49. ^ 千秋の歌YouTube 2024年2月2日の投稿でも同じ趣旨の発言をしている
  50. ^ a b 『ポケットビスケッツ公式ガイドブック』p.48
  51. ^ a b 【1996年9月】YELLOW YELLOW HAPPY/共感呼んだポケビの一生懸命さ”. Sponichi Annex (2011年9月13日). 2012年8月4日閲覧。
  52. ^ 内村光良 安室さんラスト紅白「震えていて、マイクを両手で…」 イッテQ出演も「紅白が縁」 スポニチアネックス│https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2019/04/30/kiji/20190430s00041000110000c.html


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