jazzとは? わかりやすく解説

jazz

別表記:ジャズ

「jazz」の意味・「jazz」とは

「jazz」は、19世紀末から20世紀初頭のアメリカ合衆国南部生まれた音楽ジャンルである。アフリカ系アメリカ人の間で発展したこの音楽は、即興演奏複雑なリズム特徴である。ブルースゴスペルラグタイムなどの要素取り入れその後多く音楽ジャンル影響与えた

「jazz」の発音・読み方

「jazz」の発音は、IPA表記では/dʒæz/となる。IPAカタカナ読みでは「ジャズ」となる。日本人発音するカタカナ英語では「ジャズ」と読む。発音によって意味や品詞が変わる単語ではない。

「jazz」の定義を英語で解説

「jazz」は、"A type of music of black American origin characterized by improvisation, syncopation, and usually a regular or forceful rhythm."と定義される即興演奏シンコペーション強拍弱拍に移すこと)、そして通常規則的かつ力強いリズム特徴とされている。

「jazz」の類語

「jazz」の類語としては、「swing」、「bebop」、「cool jazz」、「free jazz」などがある。これらはすべてジャズサブジャンル指しそれぞれ異な音楽的特徴歴史的背景を持つ。

「jazz」に関連する用語・表現

「jazz」に関連する用語表現としては、「improvisation」(即興演奏)、「syncopation」(シンコペーション)、「rhythm section」(リズムセクション)、「scat singing」(スキャット)などがある。これらはジャズ音楽の特徴演奏方法を表す用語である。

「jazz」の例文

1. He is a jazz musician.(彼はジャズミュージシャンである。)
2. I love listening to jazz.(私はジャズ聴くのが好きである。)
3. This is a jazz club.(これはジャズクラブである。)
4. Jazz has a rich history.(ジャズには豊かな歴史がある。)
5. Jazz was born in the United States.(ジャズアメリカ合衆国生まれた。)
6. Improvisation is a key element of jazz.(即興演奏ジャズ重要な要素である。)
7. Jazz has influenced many other genres of music.(ジャズ多くの他の音楽ジャンル影響与えた。)
8. She is studying jazz at a music college.(彼女は音楽大学ジャズ学んでいる。)
9. He plays the saxophone in a jazz band.(彼はジャズバンドサクソフォン演奏する。)
10. This song is a classic in the jazz repertoire.(この曲はジャズレパートリーの中のクラシックである。)

ジャズ【jazz】

読み方:じゃず

19世紀末から20世紀にかけて米国南部黒人民俗音楽白人ヨーロッパ音楽とが融合してできた音楽オフビートの独特のリズム感即興演奏などが特徴。ディキシーランドジャズ・スイングジャズ・モダンジャズ・フリージャズなどさまざまなスタイルがある。


ジャズ

英語 Jazz

音楽のジャンルを示す。威勢のよさ、活発にするという意味もある。1993年10月発売ハードウェアはいすゞのMU(ミュー)だが、オリジナル比べてバッジをはじめ、ボディカラーアルミホイールシート材などがホンダ独自のものだった。4WD仕様で、3.1Lディーゼルターボエンジン搭載

94年12月装備品類の見直し価格抑えたMS設定既存車もドアミラーをめっき塗装変え新色加えるなどの変更行った1年後95年12月には、運転席助手席SRSエアバッグABSオプション設定インパネステアリングホイールなどのデザイン変更もあったが、96年取り扱いをやめた。

ジャズ

※「大車林」の内容は、発行日である2004年時点の情報となっております。

JAZZ

作者中上健次

収載図書中上健次全集 1
出版社集英社
刊行年月1995.8


ジャズ

(jazz から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/07/19 07:13 UTC 版)

ジャズ
様式的起源 ブルース[1]ラグタイム[2]
文化的起源 19世紀、アメリカ南部(諸説あり)
使用楽器 ピアノトランペットトロンボーンサクソフォンクラリネットフルート鍵盤楽器コントラバスドラムギター
派生ジャンル
サブジャンル
融合ジャンル
関連項目
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ジャズ: jazz)は、19世紀末から20世紀初頭にかけてアメリカ合衆国南部、とくにニューオーリンズ周辺で形成された音楽である。アフリカ系アメリカ人の音楽文化を基盤とし、ブルースラグタイムスピリチュアルブラスバンド、ヨーロッパ系の和声や行進曲など、複数の音楽的要素が結びついて発展した[3][4][5]1920年代ジャズ・エイジ以降、伝統音楽ポピュラー音楽における主要な表現として認識されるようになった。

概要

一般にジャズは、即興演奏シンコペーションスウィング、ブルース的な音使い、演奏者同士の相互作用を重要な特徴とする[6]。ただし、ジャズは時代や地域によって大きく変化してきたため、単一の形式や編成によって定義することは難しい。小編成のコンボからビッグ・バンド、声楽、電子楽器を用いた編成まで、さまざまな形態が存在する。

20世紀を通じて、ジャズはニューオーリンズ・ジャズスウィング・ジャズビバップクール・ジャズハード・バップモード・ジャズフリー・ジャズフュージョンなど、多様な様式を生み出した。

ジャズの語源

卑猥な意味をもつという"jass(ジャス)"によるとする説や、19世紀からアメリカ南部の黒人が使っていた性行為などの性的意味、熱狂や急速なテンポ・リズムを意味するスラングのjazz(ジャズ)によるとする説などがある。jassという言葉の意味は様々に変化し、上記のような特徴をもつ黒人音楽を、ジャズと称するようになった時期も明らかではない。作曲家のジェリー・ロール・モートンは、ラグタイム時代からスウィングジャズ時代まで活動した[7]

1916年にシカゴで活動していたジョニー・ステイン英語版をリーダーとする白人バンドが、jassということばにヒントを得てバンド名を"Stein's Dixieland Jass Band(ステインのディキシーjassバンド)"とし、これからジャズと称されるようになった、という記録がある。 同年10月にはアメリカの芸能誌『バラエティー』が「ジャズバンド結成」と報じたことを契機に一般化した[8]。 このグループはさらに"Original Dixieland Jass Band(オリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンド)"と改名、1917年1月に史上最初のジャズ・レコードを録音したが、そのレコードのラベルには"jass band"と印刷されていた[9]

文化的特徴

ジャズの音楽性は、黒人と白人の混血文化として醸成されてきたことからも多面的であり、ビバップ[10]やフリー・ジャズのような創造性、スウィング・ジャズやヴォーカル・ジャズのような保守性、大衆性、商業主義が混在しながらジャズ音楽は存続してきた。創造性は主に黒人ミュージシャンによって推し進められた芸術音楽としての一面、保守性は白人富裕層中流層に支持されたサロン音楽としての一面、また大衆性や商業主義は大衆音楽ポピュラー音楽としても発展した一面を表していた。こうした多面的な音楽性から、ジャズという音楽ジャンルは文化社会学上において、クラシック音楽オペラなどのハイカルチャーと、ロックポップスなどの大衆文化との間に位置する、中間文化として分類されることがある[11]

創造性

抽象派画家ジャクソン・ポロックアクション・ペインティングを模した絵画。ポロックの絵画は、オーネット・コールマンのアルバム『Free Jazz』のジャケットデザインに使用された。

ジャズは、欧州をルーツとするクラシック音楽への対抗や人種差別への抵抗、そして自由な音楽性を探求する音楽だった。それが1960年代初頭までは時代の先端として存在し(ジャズ黄金時代)、新たな演奏スタイルが次々と誕生し、ジャズをより幅広い音楽ジャンルへと変化させた。1940年代後半におけるビバップの誕生は、1950年代におけるビートニク[12][13]に共感する若者からの支持を獲得したほか、モダンアートの分野にも接近し、グラフィックデザイナーのリード・マイルスが手がけたブルーノート作品に代表されるような、アーティスティックな写真や絵画がモダン・ジャズアルバムのジャケットデザインに多く起用されたり、ヌーヴェルヴァーグと呼ばれる芸術性の高いフランス映画作品にモダン・ジャズがしばしば背景音楽として使用された。また、ジャズは1960年代の公民権運動ヒッピー文化などのカウンターカルチャーとは方向性が異なっていたが、ときに交わることもあった。

ビバップ、フリージャズジャズ・ロック(エレクトリック・ジャズ)など、革新的な音楽スタイルを見出してきたのは常に黒人ミュージシャンが中心であったが、この黒人主導の反抗的で自由な音楽性は、ヒップホップ・ミュージックに受け継がれたという意見がある[14]。また一部ビバップやフリー・ジャズなどのより革新的な演奏スタイルは、即興性が高く混沌としており、大衆性・商業性には結びつかず、現在でもジャズの中では前衛的ジャンルと認識されている[15]。一方でこの革新を追い求める姿勢こそが、ジャズが芸術性を有する音楽ジャンルとして認識されるようになった大きな要因ともなっている[16][17]

保守性

1956年の映画『上流社会』より、白人上流階級の邸宅でジャズを演奏するルイ・アームストロングら。

1910年代にクラシック音楽に倣った編成であるビッグバンド(後のスウィング・ジャズ)が誕生すると、それを機にハーレム・ルネサンスの後押しもあってジャズクラブジャズバーニューヨークの各所で開店されていった。しかしコットン・クラブをはじめとしたナイトクラブでは、演奏者は黒人でありながらも、顧客は白人の富裕層・中流層が多かった。それはジャズを、サロン音楽的ジャンルとしても定着させた。演奏者にはタキシードスーツといったフォーマルな服装の着用が求められ、その慣わしは1960年代まで続いた。このサロン音楽的な性格はクール・ジャズウエストコースト・ジャズの誕生、ボサノヴァとの融合にも表れ、これらは主に白人ミュージシャンによって主導された。

また、クラシック音楽とジャズは相対する音楽ジャンルとしてみなされることも多いが、実際には多くの(主に白人の)音楽家によって、その積極的な融合への模索はジャズ誕生時から常に図られてきた。ピアニストのビル・エヴァンスのように、ジャズのルーツをクラシック音楽の即興的側面に求め、その歴史的正統性をアピールしたミュージシャンもいた。また同じくピアニストであったフリードリヒ・グルダのように、クラシック音楽の演奏でその名を馳せながらジャズにも傾倒するようなミュージシャンもいた。

趣味社会階級の関係性を分析した研究で知られるフランスの社会学者ピエール・ブルデューは、フランスの支配階級の人々がクラシック音楽とともにジャズも好む傾向を明らかにしており[18]、転職サイトのキャリアインデックスによるアンケート調査によっても、クラシック音楽やジャズは年収の上昇とともに「好き」の割合が高くなっていくといった調査結果が示されている[19]

大衆性・商業主義

保守主義・商業主義の象徴であったエンターテイナー、フランク・シナトラ。

ジャズは、白人のメインカルチャーとは異なる、都市の黒人による洗練された音楽として登場したが、ラグタイムからの音楽性を受け継いだ当初から、大衆音楽としての側面があった。大衆文化に寄り添い、また商業性を意識した音楽性は、1940年代の芸術音楽であるビバップの誕生までは、ジャズの主要な特徴として認識された。ビッグバンドやスウィング・ジャズは、クラブやバーで演奏されるだけでなく、ダンスホールで演奏される、大衆のためのダンス・ミュージックとしての役割も担い、狂騒の20年代を文化的側面から支えた(ジャズ・エイジ)。ヴォーカル・ジャズも同様にジャズファンのみならず大衆からも人気を博し、ポピュラー音楽の一翼を担っていた。ビリー・ホリデイサラ・ヴォーンエラ・フィッツジェラルドといった、保守本流の正統なジャズシンガーとして活躍した者もいたが、ビング・クロスビーフランク・シナトラのように、ポピュラーソングとしても多数のヒットを放ち、映画俳優やラジオ司会者など多方面でも活躍して、稀代のエンターテイナーとして歴史に名を残したジャズシンガーもいた。またルイ・アームストロングチェット・ベイカーのように、演奏・ヴォーカルともに活躍した者もいた。

歴史

1910年代 - 1920年代

バディ・ボールデン(後列左から2人目、1905年頃)

ジャズは、19世紀末から20世紀初頭のニューオーリンズにおいて、ブルースラグタイムスピリチュアル、ブラスバンド、ダンス音楽などが結びついて形成された。初期の演奏は、コルネット、クラリネット、トロンボーン、ピアノ、バンジョーまたはギター、チューバまたはベース、ドラムスなどを含む小編成で行われ、複数の旋律が同時に進行する集団即興を特徴とした[20]。20世紀初頭には、コルネット奏者のバディ・ボールデンがニューオーリンズで人気を博したが、本人による録音は残されていない。

1917年、ニューオーリンズ出身の白人バンド、オリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンドがビクターから「Livery Stable Blues」と「Dixie Jass Band One-Step」を録音した。これは一般に最初の商業的なジャズ録音とされ、全米的なヒットとなった[21]。一方で、ニューオーリンズではそれ以前から黒人演奏家による即興的な音楽実践が発展しており、キング・オリヴァーキッド・オリールイ・アームストロングらが1920年代に録音を行うと、より高度な即興演奏が広く知られるようになった。

1920年代には、禁酒法下の酒場、ダンスホール、劇場、ラジオ放送、レコード産業の発展を背景に、ジャズはアメリカの都市文化を象徴する音楽となった。この時代は作家F・スコット・フィッツジェラルドらによって「ジャズ・エイジ」と呼ばれた[22]。ニューオーリンズの音楽家たちは、シカゴニューヨークなどの都市へ移り、レコードやラジオを通じてジャズの普及に大きな役割を果たした。

とくにルイ・アームストロングは、1920年代半ばのホット・ファイヴおよびホット・セヴンの録音を通じて、集団即興を中心とする初期ジャズの中で独立したソロ奏者の重要性を高めた[22]。また、シドニー・ベシェジェリー・ロール・モートンビックス・バイダーベックらも、初期ジャズの即興、作曲、録音に重要な足跡を残した。

1930年代 - 1940年代

デューク・エリントン(1943年)

1930年代には、ダンス・オーケストラの大型化と編曲技法の発展により、ビッグバンドによるスウィング・ジャズが確立した。フレッチャー・ヘンダーソンはビッグバンドの編成と編曲様式に大きな影響を与え、デューク・エリントンは楽団員それぞれの音色や個性を生かした作品を作った[22]。また、ベニー・グッドマンカウント・ベイシーグレン・ミラートミー・ドーシーらの楽団は、ラジオ放送、レコード、ダンスホールを通じて広い人気を得た。

スウィング期には、編曲されたアンサンブルと即興ソロの関係が発展し、バンドリーダー、編曲家、スター・ソリストの役割がそれぞれ重要になった。エリントン楽団のジョニー・ホッジス、ベイシー楽団のレスター・ヤング、グッドマン楽団のジーン・クルーパライオネル・ハンプトンなどは、各楽器の演奏様式に影響を与えた。また、グッドマンが黒人演奏家のテディ・ウィルソンやハンプトンを自らの小編成グループに起用したことは、人種隔離が強かった当時のアメリカ社会において象徴的な出来事となった[22]

一方で、1930年代末から1940年代初頭にかけて、スウィングの大編成や商業的なダンス音楽に飽き足らない若い演奏家たちは、小編成によるより複雑な即興演奏を追求するようになった。チャーリー・パーカーディジー・ガレスピーセロニアス・モンクケニー・クラークマックス・ローチらは、ニューヨークのミントンズ・プレイハウスなどのジャム・セッションで新しい語法を発展させ、これがビバップと呼ばれるようになり、1940年代以降のモダン・ジャズの出発点となった[23]。ただし、1942年から始まったアメリカ音楽家連盟による録音禁止措置の影響により、スウィングからビバップへの移行期の録音は限られている[24]

第二次世界大戦中の徴兵、移動制限、興行税、録音禁止などもビッグバンドの運営を困難にした。戦後には、大編成のスウィング楽団に代わって、小編成のモダン・ジャズや歌手を中心とするポピュラー音楽がより大きな比重を占めるようになった[22]

1950年代 - 1960年代

アート・ブレイキー(1985年)

1950年代から1960年代にかけて、ジャズは1940年代に成立したビバップを基盤としながら多様な様式を生み出し、モダン・ジャズの黄金期を形成した。

ビバップの発展と並行して、1950年代にはクール・ジャズウエストコースト・ジャズが広がった。マイルス・デイヴィスの九重奏団による録音『クールの誕生』は、対位法的な編曲、抑制された音色、管楽器の多彩な組み合わせによってクール・ジャズの重要な出発点となった。西海岸では、ジェリー・マリガンチェット・ベイカー、ショーティ・ロジャース、シェリー・マンらが、編曲性や室内楽的な響きを重視した演奏を行った[25]

一方、1950年代半ばには、ビバップを軸にブルースゴスペルR&Bの要素をより強く取り入れたハード・バップが発展した。アート・ブレイキーホレス・シルヴァークリフォード・ブラウンソニー・ロリンズキャノンボール・アダレイらは、強いリズム感、明快なテーマ、ブルースに根ざしたフレージングを特徴とする演奏を行った。ブルーノート・レコードプレスティッジ・レコードリバーサイド・レコードなどのレーベルは、この時期のモダン・ジャズの録音を多数残した[26]

この時期には、ジャズと映画音楽の結びつきも強まった。モダン・ジャズ・カルテットは、1957年にロジェ・ヴァディム監督の映画『大運河』のためにジョン・ルイスが作曲した音楽を録音し、『たそがれのヴェニス』として発表した[27]。同年、マイルス・デイヴィスはルイ・マル監督の『死刑台のエレベーター』の音楽をパリで録音し、映像を見ながら即興的に演奏した[28]。こうした作品は、モダン・ジャズが映画の雰囲気や心理描写と結びつく可能性を示した。

1950年代末には、モード・ジャズが重要な展開を見せた。従来のビバップやハード・バップでは、頻繁に変化するコード進行に沿って即興を行うことが多かったが、モード・ジャズでは、少数の旋法を基礎として、より長い時間的な広がりの中で旋律を展開した。マイルス・デイヴィスの『カインド・オブ・ブルー』はその代表作とされ、ジョン・コルトレーンキャノンボール・アダレイビル・エヴァンスらが参加した[29][30]

1960年代には、オーネット・コールマンセシル・テイラーアルバート・アイラーサン・ラ、後期のジョン・コルトレーンらによって、より自由な即興を重視するフリー・ジャズアヴァンギャルド・ジャズが発展した。コールマンの『ジャズ来るべきもの』は、ビバップ的な和声構造や定型的な拍節から距離を取りながらも、即興演奏をジャズの中心に置いた作品として評価されている[31]。また、コルトレーンの『至上の愛』は、モード・ジャズ、精神性、拡張された即興を結びつけた1960年代の重要作となった[32]

1960年代前半には、ブラジルのボサノヴァとジャズの結びつきも広がった。スタン・ゲッツはチャーリー・バード、ジョアン・ジルベルトアントニオ・カルロス・ジョビンらと共演し、『ゲッツ/ジルベルト』や「イパネマの娘」を通じて、ボサノヴァをアメリカのジャズおよびポピュラー音楽の聴衆へ広めた[33]

ジャズ・ヴォーカルでは、エラ・フィッツジェラルドサラ・ヴォーンビリー・ホリデイカーメン・マクレエアニタ・オデイらが活動を続け、ナット・キング・コールメル・トーメペギー・リーフランク・シナトラらもジャズとポピュラー・ソングの境界を横断して人気を得た。1960年代にはニーナ・シモンのように、ジャズ、ブルース、ソウル、フォーク、ゴスペルを横断しながら、同時代の社会的・政治的状況と結びついた表現を行う歌手も登場した。

1960年代までのジャズは、エレクトリック・ギターハモンドオルガンなど一部の楽器を除き、アコースティック楽器を主体として演奏されることが多かった。しかし1960年代末になると、マイルス・デイヴィスはエレクトリックピアノエレクトリック・ギターエレクトリック・ベースなどを積極的に導入し、ロックファンクのリズム、スタジオ編集を取り入れた音楽を展開した。1970年に発表された『ビッチェズ・ブリュー』は、アコースティック楽器と電気楽器を混在させた大編成、反復的なグルーヴ、即興演奏、録音後の編集を結びつけた作品であり、1970年代のジャズの発展に大きな影響を与えた[34]

1970年代 - 1980年代

『ビッチェズ・ブリュー』およびその前後のマイルス・デイヴィスのグループに参加したミュージシャンの多くは、1970年代に入ると独自の活動を展開した。ジョー・ザヴィヌルウェイン・ショーターウェザー・リポートチック・コリアリターン・トゥ・フォーエヴァージョン・マクラフリンマハヴィシュヌ・オーケストラを結成し、ハービー・ハンコックヘッドハンターズでファンク色の強い電化ジャズを発展させた。これらのグループは、技巧的な即興演奏と、ロック、ファンク、ラテン音楽などのリズムや音響を結びつけ、クロスオーバージャズ・ファンクジャズ・ロックフュージョンと呼ばれるスタイルを発展させた[35]

フュージョンは、チック・コリアジョー・ザヴィヌルウェイン・ショータージョン・マクラフリンスタンリー・クラークジャコ・パストリアスらによって、技巧的な即興演奏と同時代のポピュラー音楽の音響を結びつけた。一方で、ジョージ・ベンソングローヴァー・ワシントン・ジュニアチャック・マンジョーネリー・リトナーラリー・カールトンらは、よりメロディアスで商業的なクロスオーバー/フュージョン作品を発表し、FMラジオや大規模なコンサート市場にも受け入れられた。1970年代後半から1980年代には、この流れの一部がスムーズジャズへとつながった[36]

同じ時期、フュージョンとは別に、フリー・ジャズやアヴァンギャルド・ジャズの流れも継続した。ニューヨークでは、サム・リヴァースのスタジオ・リヴビーなど、ミュージシャン自身が運営するロフト空間を拠点としたロフト・ジャズの動きが生まれ、商業的なクラブとは異なる場所で自由な即興演奏が行われた[37]

また、ドイツのECMレコードは、キース・ジャレットヤン・ガルバレクパット・メセニーらを通じて、室内楽的な響きや欧州の民俗音楽、現代音楽の要素を含む独自のジャズを広めた[38]

1980年代には、フュージョンや前衛的な流れに対する反動として、ビバップ、ハード・バップ、モード・ジャズなどのアコースティックな語法を再評価する動きも強まった。ウィントン・マルサリスブランフォード・マルサリステレンス・ブランチャードドナルド・ハリソンらは、しばしば「ヤング・ライオンズ」と呼ばれ、ストレート・アヘッドなジャズの復興を象徴する存在となった[39]。この動きは、後にネオ・バップやジャズ教育機関の発展とも結びついた。

1990年代 - 2000年代

1990年代には、1980年代に台頭したアコースティックなポスト・バップやネオ・バップの潮流が、ジョシュア・レッドマンクリスチャン・マクブライドロイ・ハーグローヴブランフォード・マルサリスケニー・ギャレットらに継承された。一方、ブラッド・メルドーはジャズの即興語法を保ちながら、ロックやポピュラー音楽の楽曲を取り上げ、レパートリーの拡張を進めた。この方向性は、2000年代に登場したザ・バッド・プラスなどにも引き継がれた[40]

この時期には、ヒップホップやR&B、ネオ・ソウルとの交流も活発になった。ア・トライブ・コールド・クエストギャング・スターUS3などは、ジャズの録音をサンプリングに用い、ジャズ・ラップを普及させた[41]。また、ブランフォード・マルサリスはバックショット・ルフォンクでヒップホップ、ロック、ファンクを横断する作品を発表し、ロイ・ハーグローヴは2000年代にRHファクターを結成して、ジャズとR&Bの接続を推し進めた。

2000年代には、エスペランサ・スポルディングホセ・ジェイムズグレゴリー・ポーターロバート・グラスパーらが登場し、ソウルやR&B、ヒップホップ、シンガーソングライター的な作家性をジャズに取り込んだ。なかでもグラスパーは、アコースティック・ジャズの語法、J・ディラ以後のビート感覚、ネオ・ソウルの歌唱を横断する音楽によって、次の時代におけるジャズとブラック・ミュージックの新たな接点を示した。

また、ヨーロッパを中心にニュージャズが台頭し、ジャザノヴァ、ブッゲ・ヴェッセルトフトニルス・ペッター・モルヴェルらが、即興演奏と電子音楽、DJカルチャーの制作手法を組み合わせた作品を発表した[42]

2010年代 - 2020年代前半

2010年代には、ジャズとヒップホップ、R&B、電子音楽、地域ごとのクラブ・カルチャーを結びつける動きがさらに広がった。ロバート・グラスパーは、ロバート・グラスパー・エクスペリメント名義の『ブラック・レディオ』でジャズ、R&B、ヒップホップの境界を横断し、同作は2013年のグラミー賞で最優秀R&Bアルバムを受賞した[43]。この時期には、カマシ・ワシントン、テラス・マーティン、サンダーキャットらが、ロサンゼルスのジャズ、ヒップホップ、R&Bの接点を広く知らしめた[44]

シカゴでは、マカヤ・マクレイヴンらが、即興演奏を録音後に編集・再構成する手法によって、ジャズとビート・ミュージック、現代的なプロダクションを結びつけた。また、インターナショナル・アンセムなどのレーベルは、シカゴを中心とする新しいジャズの発表の場となった。ニューヨークでは、イマニュエル・ウィルキンスジョエル・ロスメアリー・ハルヴァーソン、ヴィジェイ・アイヤーらが、それぞれ異なる形で現代ジャズの表現を更新した。

イギリスでは、2010年代後半以降、ロンドンを中心とするジャズ・シーンが国際的に注目された。シャバカ・ハッチングス、ヌバイア・ガルシア、モーゼス・ボイド、エズラ・コレクティヴらは、ジャズをアフロビートダブ、カリブ音楽、ヒップホップ、クラブ・ミュージックと結びつけた[45]。エズラ・コレクティヴは2023年に『Where I'm Meant to Be』でマーキュリー賞を受賞し、同賞初のジャズ作品による受賞となった[46]

2020年代前半には、ジャズ系アーティストが一般的な音楽賞で注目される例も見られた。ジョン・バティステは『We Are』で2022年のグラミー賞年間最優秀アルバムを受賞し、サマラ・ジョイは2023年にグラミー賞最優秀新人賞を受賞した[47][48]。こうした動きは、ジャズが特定の様式に収束するのではなく、R&B、ヒップホップ、電子音楽、アフロビート、地域的な音楽文化と結びつきながら、多極的に展開していることを示している。

ジャズメンの来日

NHK『タモリのジャズスタジオ』においてピーター・バラカン・ブロードキャスターが「ヨーロッパ日本がなければ、アメリカのジャズ・ミュージシャンは生計が立たなかった」と述べた様に[要出典] 、ジャズ・プレイヤーにとって日本は重要なマーケットで、多くのミュージシャンが来日公演を行なっている。日本にジャズ・ミュージシャンとして初めて来日したアメリカ人は1952年、ベニー・グッドマン楽団で活躍したドラマーのジーン・クルーパである。翌年には、オスカー・ピーターソンベニー・カーター、エラ・フィッツジェラルドなどと共にジャズ・アット・ザ・フィルハーモニック(JATP)として再来日した(この一座にチャーリー・パーカーが参加し来日する予定もあったが結果的に実現しなかった)。その翌月にはルイ・アームストロングが初来日し公演を行っている。

文化的意義

ジャズは、20世紀を代表する音楽文化の一つであり、アメリカ合衆国で生まれた最初の独自の芸術音楽として評価されることが多い[49]。1987年には、アメリカ連邦議会がジャズを「アメリカの希少かつ価値ある国民的財産(a rare and valuable national American treasure)」と位置づける決議を採択し、その文化的・歴史的意義を公式に認めた[50]

現在では、ジャズは演奏活動だけでなく教育・研究の対象としても広く定着している。アメリカやヨーロッパ、日本などでは、大学や音楽院にジャズ教育課程が設置され、演奏技法、作曲・編曲、音楽理論、音楽史などが体系的に教授されている。また、スミソニアン博物館ジャズ・アット・リンカーン・センターをはじめとする文化機関は、演奏会、教育活動、資料保存を通じてジャズ文化の継承と普及に取り組んでいる[51]

また、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)は、2011年に毎年4月30日を「国際ジャズ・デー(International Jazz Day)」に制定した。国際ジャズ・デーは、ジャズを異文化間の対話や相互理解、平和の促進に寄与する文化として位置づけ、世界各地でコンサートや教育プログラムなどが開催されている[52]

各地域のジャズ

ヨーロッパ

ヨーロッパではイギリス、フランス、ドイツ、北欧などでもジャズが発展した。イギリスのジャズメンでは、ケニー・ボール&ヒズ・ジャズメンの「遥かなるアラモ」、クリス・バーバーの「可愛い花」などがよく知られている。フランスではアメリカから移住した、「小さな花」のシドニー・ベシェや、後のデクスター・ゴードンらがジャズを広めた。北欧でもジャズが、盛んに演奏された。しかし、ヨーロッパの一部では、保守層やファシズム政権等で、「黒人音楽」「軽佻浮薄」な「非音楽」であるとしてジャズを排斥する動きも起こった。ナチ党に支配されたナチス・ドイツでは、反ジャズが政府の公式な見解となり、「退廃音楽」「斜めの音楽」(比喩:「変な音楽」)と呼ばれ1935年に黒人が演奏するジャズの放送が禁止されるなど、様々な条例が作られた。しかし当局によるジャズの定義があいまいであったため、ドイツ人演奏家によるジャズ演奏自体は行われていた。ナチスは、すでに大衆音楽として普及していたジャズを禁止することは得策ではないとして、娯楽放送や宣伝放送にジャズを紛れ込ませた[53]

ラテン・アメリカ

アフロキューバン・ジャズと呼ばれ、ラロ・シフリンらが活躍した。

アフリカ

ダラー・ブランドらがいたが、彼のジャズはアメリカのジャズとほぼ同じ音楽性だった。アフロ・ジャズ、アフロ・ディスコは、欧米や日本で考えられている、ジャズ、ディスコとは、サウンドが異なる。

戦前日本のジャズ

戦前の日本にすでに渡ってきていた舶来音楽、西洋音楽には、ジャズとタンゴがあった。初期のジャズ演奏家には、紙恭輔、南里文雄、井田一郎らがいた。井田は1923年に日本で初めてのプロのジャズバンドを神戸で結成した[54][55]

ジャズの聴き手や演奏家には、都会人やブルジョワ階級の子弟が多かった。当時のレコード業界はポリドール(1927)、ビクター (1927)、コロムビア(1928)と外資系の大手レコード会社が設立された。テイチクは、異業種参入組のキング(大日本雄弁会講談社のレコード会社)より更に遅い1934年だが、その年の12月に発売したディック・ミネの「ダイナ」がヒット。「ダイナ」はよくカバーされた日本のジャズソングであり、榎本健一はパロディとしてカバーした。

最初のジャズソングとされるのが二村定一ジーン・オースティン英語版の"My Blue Heaven"をカバーした「青空」で、1927年にラジオ放送された。レコードが発売されたのは翌年の1928年。A面が「青空」、B面が「アラビヤの唄」だった。また、ラジオ、レコードで企画を立ち上げる人間も必要になり堀内敬三が登場した。初期のジャズ演奏家である紙恭輔がコロムビアに関わった。

1930年代のスウィングジャズは、時代の最先端であり、服部良一は1935年当時のデザインの流線型を題材にした「流線型ジャズ」(志村道夫)を世に出した[56]。しかし、1940年10月31日限りで日本全国のダンスホールは一斉閉鎖された。

行政警察を管掌する内務省、映画や音楽を監督指導する情報局はジャズを「敵性音楽」として禁令[注釈 1]を出したが、抽象的過ぎて何の曲がジャズに含まれるか、音楽の素人である役人に判別は難しかった。また1943年1月にはジャズレコードの演奏禁止、更にレコードの自発的提出、「治安警察法第十六条」の適用による強制的回収などにより米英音楽の一掃を図ったが、北村栄治のように自宅でこっそり聴いていた者もいた。最終的には役人に協力する音楽業界の人間が、日本音楽文化協会、いわゆる「音文」(音楽界の統制団体)の小委員会の決定により、「ジャズの演奏は禁止」となった。こののちジャズメンの活動は、各種の慰問団などに変わっていった。

戦前に活躍したジャズ・ミュージシャン、ジャズ歌手としては、二村定一服部良一淡谷のり子ディック・ミネ志村道夫南里文雄堀内敬三川畑文子ベティ稲田、井田一郎、レイモンド・コンデ水島早苗あきれたぼういずらがいた。

戦後日本のジャズ

戦後、ジャズ、カントリー、ハワイアンなどのアメリカ音楽が、日本に入ってきた。進駐軍の音楽は、「ベース」で演奏された。戦後の日本のジャズの早い例には、ニュー・パシフィック・ジャズバンドがあげられる。弘田三枝子伊東ゆかりしばたはつみは少女歌手として、米軍キャンプで歌った。

戦後は、服部良一が作曲したブギウギ笠置シヅ子に歌わせたことから始まる。江利チエミジョージ川口ティーブ釜萢ムッシュかまやつの父)、ナンシー・梅木世良譲などのすぐれた歌手、演奏家などが出、ジャズが大衆化した。一時期は、外国のポピュラー音楽をすべて「ジャズ」と呼ぶ風潮が広がったほどである[58]。また、ディキシーランドジャズ・バンドが数多く生まれている。

鈴木章治とリズムエース、北村英治らも音楽活動を始めた。宮沢昭、守安祥太郎らも活躍した。1956年穐吉敏子が、1962年渡辺貞夫がバークリー音楽院(現バークリー音楽大学)に留学[59]1963年には松本英彦モントレー・ジャズ・フェスティバルに出演する等、国際的に活動するミュージシャンも増えていった。八木正生、猪俣猛らも活躍した。

1960年頃、アート・ブレイキーのモーニン1958年発表)のヒットにより、ファンキー・ブームが起こった[60]1961年に発足、翌年改名したミュージシャンたちの勉強会 新世紀音楽研究所(改名前はジャズ・アカデミー)に集った高柳昌行富樫雅彦日野皓正菊地雅章山下洋輔らが、毎週金曜日に銀巴里ジャムセッションを行った。日野皓正は、そこが自身の原点だと述べる[61]

1965年、ニューポートジャズフェスティバルに日本人ジャズシンガーとして初めて出演したのは、3日目のトリをビリーテイラートリオと一緒に出演した弘田三枝子だった。1960年代、70年代から日本でもフリー・ジャズが盛んになってくる。日本のフリー・ジャズの先駆者となったのは、阿部薫、高柳昌行らである。1970年代後半になるとフュージョン・ブームとなり、渡辺貞夫らもフュージョン・アルバムを出すほどだった。中央線沿線を拠点とするミュージシャンも多く登場し、1980年代後半、新星堂プロデューサーが続に中央線ジャズという言葉を提唱した[62]

21世紀に入ってからも、H ZETTRIO山中千尋矢野沙織寺久保エレナ上原ひろみ国府弘子、西山瞳、菊地成孔小曽根真石若駿らが活躍した。

エピソード

ジャズ、ロックの評論家で、若者に人気だった植草甚一の約4000枚のジャズ・レコード・コレクションは、タモリが引き取ることになったという[63]

セクシーな女性歌手の系譜は、ヘレン・メリルらがルーツとも見られているが、21世紀の日本のジャズでも、高木里代子らがそれを引き継ぎ、山下毅雄の音楽が映画のサウンドトラックとして使用される現象も見られた[64][65]。 他の音楽ジャンルにおけるジャズ要素を取り入れた楽曲は、ジャジーと表現されることがある。ジャジーという表現は、ロックやポップス、歌謡曲など、異なるジャンルでも使用される[66]。またジャズは聴衆に、大人向け、自由といったイメージを抱かせ、BGM業界にも一定の役割を果たした[67]

ジャズ・アンバサダーズ

ジャズ・アンバサダーズ英語版は、冷戦時代にアメリカ合衆国国務省が行ったジャズ外交で、ジャズ文化を世界に広めるためにツアーを行ったミュージシャンたちである[68]

主なスタイル/ジャンル

過去に演奏されたスタイルと、現在も演奏されているスタイルの双方を掲載している。

主なアーティスト

著名な評論家

著名な演奏場所

著名なジャズクラブ

  • ヴィレッジ・ヴァンガード(1935年 - 、ニューヨーク)グリニッジ・ヴィレッジ地区にあり、モダンジャズを牽引した名店。
  • ミントンズ・プレイハウス(1938年 - 1974年、ニューヨーク)テナーサックス奏者ヘンリー・ミントンが開店。ビバップの発祥の証しとなる「ミントンハウスのチャーリー・クリスチャン」1941年でのセッションレコードで有名。2006年再開店。
  • バードランド(1949年 - 1965年、ニューヨーク)マンハッタン地区にあったビバップ・モダンジャズの黄金時代を牽引した名店。1986年再開店。
  • プリザベーション・ホール(1960年代 - 、ニューオーリンズ)ディキシーランド・ニューオーリンズジャズ主体の名店。
  • ブルーノート(1981年 - 、ニューヨーク)グリニッジ・ヴィレッジ地区にあり、世界各国にレストランをチェーン展開。ブルーノート・レコードとは無関係。

ジャズクラブ以外

ジャズ喫茶

ジャズを聴きながら楽しむ喫茶店。日本で1950年代後半から流行り、1970年代から下火となる。

著名なフェスティバル

三大ジャズ・フェスティバル

北アメリカ

ヨーロッパ

アフリカ

アジア

日本

開催終了

著名な教育機関

関連作品・関連メディア

TV・ラジオ番組

ジャズ専門衛星放送

ジャズ専門ネットラジオ局(無償配信)

ラジオ放送

映画

アーティスト伝記物、もしくはストーリー・音楽ともにジャズと関わりの深い作品

洋画

伝記物
記録映画
  • 真夏の夜のジャズ (1960年)
  • カウント・ベイシー(2018年)
  • ミュージック・フォー・ブラック・ピジョン ―ジャズが生まれる瞬間―(2022年)
フィクション

邦画

伝記物
フィクション
ジャズの映画音楽/サウンドトラック

その他

脚注

注釈

  1. 以下の3つの基準で禁止された。「1).旋律の美しさを失った騒擾的なるリズム音楽。2).余りに扇情的淫蕩的感情を抱かしめる音楽。3).怠惰感を抱かしめる様な退廃的或は亡国的なる音楽」[57]
  2. 11PM』オープニング・テーマ曲の作曲者。

出典

  1. blues and jazz cincyblues 2023年4月1日閲覧
  2. ラグタイム  Jazzhistorytree.com 2023年4月1日閲覧
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  5. Roth, Russell (1952). “On the Instrumental Origins of Jazz”. American Quarterly 4 (4): 305–16. doi:10.2307/3031415. ISSN 0003-0678. JSTOR 3031415.
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  7. “Jelly Rolled into Vancouver”. CBC Radio 2. 2022年2月1日閲覧.
  8. 下川耿史 家庭総合研究会 編『明治・大正家庭史年表:1868-1925』河出書房新社、2000年、413頁。 ISBN 4-309-22361-3
  9. 参考文献:小学館日本大百科全書(ニッポニカ)』「ジャズ<語源>」(著・青木啓、2018年11月19日)
  10. チャーリー・パーカー バイオグラフィBiography.com 2021年1月14日閲覧
  11. 片岡栄美, 階級のハビトゥスとしての文化弁別力とその社会的構成 —文化評価におけるディスタンクシオンの感覚—, 4-5頁, 理論と方法 (Sociological Theory and Methods) Vol.11 No.1:1-20, 1996.
  12. The Beat Generation – Literature Periods & Movements. ビート・ジェネレーション2021年2月1日閲覧
  13. Beat Down to Your Soul: What was the Beat Generation?| Charters Ann Penguin Books | isbn = 0141001518
  14. ドキュメンタリー映画『ブルーノート・レコード ジャズを超えて』より
  15. 「フリー・ジャズ」の誕生と存在意義”. uDiscoverMusic. 2020年9月17日閲覧。
  16. 山下洋輔「魂の音楽 ジャズの魅力」”. KEIO MCC. 2020年9月13日閲覧。
  17. 坂本龍一インタビュー後篇 「音楽に力はあるか」”. WHAT’s IN? tokyo. 2020年9月17日閲覧。
  18. 片岡栄美. 「文化と意識に関する全国調査」(2019年)にみる文化消費とライフスタイルの社会的特性―日本の高地位者は文化的雑食か?―”. 中央調査社. 2025年9月24日閲覧。
  19. 高収入層は「アイドル」や「アニソン」を聴かない? 転職サイトが「音楽と年収」のアンケート結果を公開”. キャリコネニュース. 2020年9月15日閲覧。
  20. What is Jazz? (英語). National Museum of American History. 2026年7月16日閲覧。
  21. Himes, Geoffrey (2017年1月). “This Is the “Jass” Record That Introduced Millions of Americans to a New Kind of Music” (英語). Smithsonian Magazine 2026年7月16日閲覧。.
  22. 1 2 3 4 5 Jazz (英語). Smithsonian Music. 2026年7月16日閲覧。
  23. History of Bebop (英語). Carnegie Hall. 2026年7月16日閲覧。
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  58. みつとみ俊郎 『音楽ジャンルって何だろう』 新潮社〈新潮選書〉、1999年12月25日、p.40
  59. 『jazzLife』(2010年7月号)p.57
  60. 『jazzLife』(2010年7月号)p.55 ファンキー・ブームは世界のいくつかの国で起こり、フランスでのブームが最初。
  61. 『jazzLife』(2010年7月号)p.56, 57 日本のミントンズ・プレイハウスといえるのだという。
  62. 『音楽CD検定公式ガイドブック上巻』(音楽出版社、2007年)p.131, 220
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  66. ジャジー[jazzy](音楽用語辞典)”. ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス. 2020年9月17日閲覧。
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  68. 著:齋藤嘉臣『ジャズ・アンバサダーズ 「アメリカ」の音楽外交史』
  69. ABOUT | しながわジャズフェスティバル”. しながわジャズフェスティバル. 2026年5月25日閲覧。
  70. お茶の水文化祭|2025年11月30(日) @明治大学駿河台キャンパス”. お茶の水文化祭 -. 2026年5月25日閲覧。

関連項目

More Reading

  • 『ハーレムの黒人たち』植草甚一、晶文社(2005/5)
  • 『コーヒー一杯のジャズ』植草甚一、 晶文社(2004/12)
  • 『ファンキー・ジャズの勉強』植草甚一、晶文社(2005/6)
  • 『ジャズの十月革命』植草甚一、晶文社(2005/4)
  • 『ジャズは海をわたる』植草甚一、晶文社(2005/7)
  • 『ジャズマガジンを読みながら』植草甚一、晶文社(2005/7)
  • 『ビリー・ホリディ物語』油井正一、大橋巨泉

外部リンク


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