SMマニア誌の幕開けとは? わかりやすく解説

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SMマニア誌の幕開け

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 15:37 UTC 版)

鬼畜系」の記事における「SMマニア誌の幕開け」の解説

SMマニア専門誌第1号は、1947年カストリ雑誌として大阪創刊された『奇譚クラブ』(曙書房天星社→暁出版)である。創刊当初単なる大衆向け娯楽であったが、1950年頃を境にカストリ雑誌ブーム自体下火になり、さらには性交描写への厳し取り締まり影響もあって、ほとんどのカストリ雑誌姿を消していった。そこで同誌は須磨利之提案1952年5・6合併号から変態路線転向する転向背景には、同性愛SM女斗美切腹屍体愛好といった変態性欲は「特殊な趣味」として官憲側に過小評価されていたという事情もあった。だが、エロ売り物にしている大衆雑誌でも「変態に対して客観的立場から嘲笑、あるいは差別罵倒するニュアンス含まれており、マニアからは大変不評であった。 『奇譚クラブ』が画期的だったのは、編集者自身SM変態性欲造詣深かったことにある。特に編集部在籍していた須磨利之は、ライター・イラストレーター・編集者として1人3役をこなし、マニア向けSM専門誌スタイルをほぼ1人築き上げた。また須磨は「喜多玲子」という筆名で「責め絵」「縛り絵」も大量に手がけており、責め絵の第一人者である伊藤晴雨才能をほれ込まれるほどの人気作家となった須磨自身性的嗜好について次のように語っている。「ぼくは女色男色すべて好き。正常異常みんな好き。人が人を好きになってセックスを楽しむことみん好き。ぼくが体験していないのは、レズセックスだけだ。ぼくは男だから、彼女たちの心はわかっても、あれだけ経験できない。あとは何でもやってるよ」。須磨交流があった濡木痴夢男は、喜多玲子登場を「アブノーマル雑誌における驚嘆すべき出来事だった」と語っている。 その後須磨利之は『奇譚クラブ』から『裏窓』(久保書店)へ移籍し1970年代以降は『S&Mコレクター』(サン出版)に緊縛師責め絵師として携わるなど、名実ともに戦後SM文化立役者となった。『裏窓2代目編集長の濡木痴夢男は「日本にただ一人、あるいは世界一人存在」「須磨のように異常性欲に関して万感理解力と、表現能力をもつ画家はめったにいるものでない」と評している。 須磨敷いた誤解なし」「手抜きなし」「曖昧さなし」という誠実な編集体制は、レベルの高い誌面形成し文化人からの注目集めた。『奇譚クラブ』の愛読者には川端康成三島由紀夫澁澤龍彥寺山修司らがいる。同誌は1953年頃までに10万部を突破し東京では便乗誌『風俗草紙』が創刊され性風俗誌は黄金時代迎えた。 『奇譚クラブ』は須磨去った後も、日本中の変態読者から小説寄稿相次いだ。また滝麗子秋吉巒、四馬孝、中川彩子古庄英生、畔亭数久などの優秀なSM画家登場したこともあり、ハイレベルなアブノーマル路線維持された。途中発禁による影響ビジュアル面の大幅な縮小があったものの、沼正三鬼畜SM小説家畜人ヤプーや団鬼六花と蛇』など歴史上に残るSM文学輩出し発行人急逝によって1975年休刊するまで同誌は日本SM文化支え続けた

※この「SMマニア誌の幕開け」の解説は、「鬼畜系」の解説の一部です。
「SMマニア誌の幕開け」を含む「鬼畜系」の記事については、「鬼畜系」の概要を参照ください。

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